蛭田瑞穂 11年12月11日放送
旅する作家村上春樹①
1986年の秋、村上春樹は突然日本を離れ、ヨーロッパへ旅立った。
半ば衝動的に旅に出た時の心境を、
村上春樹は太鼓の音という比喩的表現を用いて、こう綴っている。
ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、
その太鼓の音は響いてきた。とても微かに。
そしてその音を聞いているうちに、
僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。
遠い太鼓に誘われて、村上春樹は旅に出た。
それから丸3年、彼は妻とふたりでヨーロッパを流離い続けた。
村上春樹、作家は旅をする。
旅する作家村上春樹②
1986年秋から1989年秋まで、村上春樹は長い旅に明け暮れた。
ローマを拠点としながら、ヨーロッパの各地を転々とした。
こうした異国の生活を村上春樹は「常駐的滞在者」と自ら呼んだ。
その間、村上春樹は集中して小説を書いた。
『ノルウェイの森』はギリシャで書きはじめ、
シシリー島に移り、ロンドンで完成させた。
『ダンス・ダンス・ダンス』は大半をローマで書いて、
最終的にロンドンで仕上げた。
のちに村上春樹はこれらの作品に関して、こう述べている。
このふたつの小説には
宿命的に異国の影がしみついているように
僕には感じられる。
村上春樹、作家は旅をする。
旅する作家村上春樹③
村上春樹が1990年に出版した『遠い太鼓』は、
1986年から1989年までヨーロッパを旅していた間の
生活を綴った長編エッセイである。
外国でいう本格的な「トラベル・ライティング」で、
彼の好きな作家ポール・セローが書いた旅行記に近い。
3年の間に、村上春樹は妻とふたりで、ヨーロッパを転々とした。
イタリア、ギリシャ、イギリス、フィンランド、オーストリア。
慣れない異国の生活は予想外の出来事の連続だった。
ミコノス島では吹き荒れる冬の風に悩まされ、
シシリー島では車の騒音に辟易し、
ローマでは路上駐車と郵便事情に振り回され、
ロンドンではイギリス英語に手を焼いた。
それでも、村上春樹は『遠い太鼓』のあとがきでこう綴っている。
旅行というのはだいたいにおいて疲れるものです。
でも疲れることによって初めて身につく知識もあるのです。
くたびれることによって初めて得ることのできる喜びもあるのです。
これが僕が旅行を続けることによって得た事実です。
村上春樹、作家は旅をする。
旅する作家村上春樹④
旅とはいったい何か。
かつて村上春樹は3年もの間日本を離れ、
ヨーロッパの各地を旅してまわった。
その旅を一冊にまとめた『遠い太鼓』という本の最後で
村上春樹はこう書いている。
僕はふとこういう風にも思う。
今ここにいる過渡的で一時的な僕そのものが、
僕の営みそのものが、要するに旅という行為なのではないか、と。
そして僕は何処にでも行けるし、何処にも行けないのだ。
村上春樹によれば、旅とは人生そのもの。
その意味においては、人は誰もが旅人なのである。
村上春樹、作家は旅をする。
旅する作家村上春樹⑤
村上春樹はかつてウイスキーをめぐる旅をした。
スコットランドのアイラ島を訪ね、
世界的に名高いシングルモルトウイスキーの蒸留所を見学した。
それからアイルランドに渡り、町なかのバーにふらっと入り、
アイリッシュウイスキーを心ゆくまで堪能した。
旅のあと、東京に帰った村上春樹は、
いきつけのバーでウイスキーを飲む度に、
そこで見た風景を懐かしく思い出したという。
緑の草をなでつけながら、丘を駆け上がって行くアイラ島の海風。
あるいは、アイルランドの小さな町のパブに流れる親密な空気。
そして村上春樹はこう綴る。
旅行というのはいいものだなと、そういうときにあらためて思う。
人の心の中にしか残らないもの、
だからこそ何よりも貴重なものを旅は僕らに与えてくれる。
そのときには気づかなくても、あとでそれと知ることになるものを。
もしそうでなかったら、いったい誰が旅行なんかするだろう?
村上春樹、作家は旅をする。
旅する作家村上春樹⑥
村上春樹が初めてトルコを訪れたとき、
彼を引きつけたのはそこにある空気だった。
他のどことも違う不思議な空気がトルコにはあった。
そのことを村上春樹はこう綴っている。
旅行というのは本質的には、
空気を吸い込むことなんだと僕はそのとき思った。
おそらく記憶は消えるだろう。
絵はがきは色褪せるだろう。
でも空気は残る。少なくとも、ある種の空気は残る。
7年後、そのとき感じた空気を確かめるように、
村上春樹はトルコを再び訪れる。
そのために車の免許を取り、初歩的なトルコ語もならった。
そして頑丈な車を一台借りて、21日間でトルコ全土を一周した。
村上春樹、作家は旅をする。
旅する作家村上春樹⑦
旅先で多くの人は写真を撮る。
そこで見た風景を、ずっと記憶に残すために。
しかし、できあがった写真を見て、
旅先で実際に感じた印象と大きな隔たりがあることも多い。
「こんな感じじゃなかったはずだ」というふうに。
村上春樹はいう。
残念ながら、僕らの写した写真が、僕らの目にした風景の
特別な力を写し取っていることは、極めて稀である。
でも、それも悪くないことだと村上春樹は続ける。
僕は思うのだけれど、人生においてもっとも素晴らしいものは、
過ぎ去って、もうニ度と戻ってくることのないものなのだから。
村上春樹、作家は旅をする。
旅する作家村上春樹⑧
村上春樹はいう。
僕は旅行というものがあまり好きではない。
旅行というのはそもそも疲れるものだ。
疲れるように出来ているのだ。
そしてこう問いかける。
それでもあなたは旅に出る。それでも僕も旅行に出る。
何のために?
村上春樹によれば、それはこういうことである。
たぶん僕らはそこに自分のための風景を見つけようとしているのだ。
そしてそれはそこでしか見ることのできない風景なのだ。
どれほど使いみちがなかったとしても、
それらの風景を僕らは必要としているのだし、
それらの風景は僕らを根本的にひきつけることになるのだ。
かくして人は旅に出る。
自分だけの特別な風景を探しに、旅に出る。
(ex)旅する作家村上春樹⑨
1995年の阪神淡路大震災の2年後、
村上春樹は西宮から神戸までをひとり歩いた。
そこは村上春樹が幼少期から10代の大半を過ごした場所である。
しかし、被災した実家はすでにその土地を離れ、京都に移っていた。
家という具体的な絆を失った「故郷」が自分の目にどう映るのか、
そして、自分の育った町に震災がどのような影響を及ぼしたのか、
それを自分の目で確かめるために村上春樹は歩いた。
観光名所に行くことだけが旅ではない。
僻地に行くことだけが旅ではない。
旅とは極めて個人的な体験。
だからこそ人はどんな場所にでも旅することができるのだと、
村上春樹は教えてくれる。
村上春樹、作家は旅をする。