ぼくらはすこし死んでいる 1.レイモンド・チャンドラー
女から結婚を持ちかけられたが、
それを断ってしまった男。
その心境はどういうものか。
レイモンド・チャンドラーが書いた
小説『ロング・グッドバイ』の一場面。
私立探偵フィリップ・マーロウは、
女と別れた朝、
ベッドに残された1本の黒髪を見た。
その時、小説家は男にこんなセリフを吐かせる。
さよならを言うのは、
少しだけ死ぬことだ。
つらい別れにじっと耐え、
世界から切り取られたような男が
そこにいた。
Monosnaps
ぼくらはすこし死んでいる 2.ボブ・マーリー
ボブ・マーリー、
歌うことで国家を変えた男。
ジャマイカが混乱し、悲惨な時、
人々にこう訴えた。
おまえの口からついてでる言葉が、
おまえを生かすのだ。
おまえの口からついてでる言葉が、
おまえを殺すのだ。
レゲエの神様は教えてくれた。
自分の言葉が、自分に、世界に影響することを。
完全にポジティブになるまで
すこしのネガティブが、すこし殺していることを。
ほんとうに神様だったのかもしれない。
絶大な存在感で、世界を変えた。
ぼくらはすこし死んでいる 3.草野心平
草野心平は、蛙の詩人、である。
昭和3年の詩集『第百階級』は、
全篇、蛙がテーマ。
どうして蛙なのか。
心平によれば、
蛙は人類よりも古くから存在し、
総理大臣もいなくて全員庶民だから、となる。
『第百階級』には、ゲリゲという蛙が登場する。
蛇に呑み込まれたゲリゲが瀕死状態で叫ぶ。
それはこの世でもがく詩人、心平自身の分身。
ゲリゲは仲間に向かって
必死にこう伝えるのだ。
死んだら死んだで生きてゆくのだ。
肉体は滅びても、魂は生き残る。
心平は命の限り、晩年まで書き続けた。
その魂は、作品というかたちで、
死んだら死んだで生きてゆくのだ。
ぼくらはすこし死んでいる 4.高村光太郎
死ぬことに想いをめぐらし、
死に近づく。
すると、生きる言葉が浮かび上がる。
自分の最期にどんな言葉を刻むか。
高村光太郎の『ある墓碑銘』という詩は
こう始まる。
一生を棒に振りし男此処に眠る。
彼は無価値に生きたり。
光太郎の自嘲的なこの言葉は、逆説であるらしい。
話すこと。歩くこと。詩を書くこと。
そういう腹の足しにもならない無駄こそ
全身全霊、命がけでやる、という強い誇りが、
言葉にあふれている。
ぼくらはすこし死んでいる 5.小熊秀雄
女よ、
真実よ、
お前を先に突落して
逃げかへるやうな
私は薄情な男ではない
人生とは
その日、その日の、
情死の連続のやうなものさ
これは、戦前のプロレタリア詩人
小熊秀雄の詩の一節である。
人生とは、それぞれの状況で選択を迫られる。
それは自分を限定し、
他の可能性を死なせていくことでもある。
人生はそのくり返し。情死の連続。
と、詩人は記した。
この世に、情死しない男など
いないのだ。
ぼくらはすこし死んでいる 6.岡倉天心
明治時代の思想家、岡倉天心は
こう書いた。
堂々男子は死んでもよい。
死にもの狂いで新境地を開いていこうとする
渾身の男の言葉である。
現在の東京藝術大学の設立に奔走し、
日本美術院の創設者としても、
近代日本の美術界を築いてきた天心。
死を覚悟してはじめて、
人間の生命力は
ほとばしるのかもしれない。
tokushima2000
ぼくらはすこし死んでいる 7.松田優作
俳優松田優作が残した言葉がある。
人間は二度死ぬ。
肉体が滅びた時と、
みんなに忘れられた時だ。
その意味で、伝説になった彼は
二度死んでいない。
しかし、いま生きている自分の場合は
どう考えたらいいだろう。
まわりから忘れられた時が死ならば、
毎日死んだり、毎日生き返ったり、
ずいぶん忙しそうだ。
せめて自分で自分のことは
忘れずに気をつけていたいもの。
ぼくらはすこし死んでいる 8.ジェームズ・ディーン
もし、エレガンスな死に方があるとしたら、
どういうものだろう。
ある時、ジェームズ・ディーンは
こう言葉にしてしまった。
速く生き、若く死に、
美しい死体になろう。
この言葉がまるで予言となり、
死神がすこしずつ忍び寄ってきたのだとしたら。
24歳での衝撃的な自動車事故死。
その死は、はたして、美しかったのだろうか。
時が過ぎ、美しい伝説のように語ることは、
生き残った者の勝手なのかもしれない。