2012 年 1 月 7 日 のアーカイブ

五島のはなし(166)

五島のはなし、ことしもよろしくおねがいします。
ところで、みなさん、天狗見たことあります?
ぼくはなかった。
この正月の帰省中、まわりの人から
「えっ・・・五島に生まれ育って天狗も見たことないの?」という反応をされまして。
で、「見せてやる」と言われたので、ついていきました。

天狗は、1月2日、岐宿町の山内という地区に現れるのだという。
そして、天狗は「とっても怖い」のだと言います。
「狙われるのは子どもだけど、大人もただでは済まない」
道中のクルマの中でそう言われました。
なかなか怖いセリフです。「大人もただでは済まない」。
ははんって鼻で笑いながらも、じつはだんだん心臓がドキドキしてきます。

山内に到着です。近くから太鼓の音が響いてきます。
天狗と太鼓はどうもセットらしいのです。
「どこかから太鼓が聞こえてきて、そこに天狗がいるらしい」という状況は、なかなかそわそわするものです。
こういうとき私は「お尻の穴が開く感じ」におそわれます。
みなさんもなりませんか?なりませんよね。
子どもたちは、怖いもの見たさで、太鼓の音のありかを探しに走りだしました。

しばらくすると、子どもたちが大声出しながら戻ってきた!
あ、天狗!
猛スピードで駆けてきます。子どもたちは死にもの狂いで逃げます。

天狗に続いて、太鼓のお兄さんたちもやってきました。
天狗は「ごめんください」も言わずに(あたりまえか)、家から家へとあがりこんで、子どもたちに襲いかかる。

天狗が手にしたこの植物で叩いてもらうとよいのだそうです。
子どもらも例年のことで慣れているのか、猛烈に戦いを挑みます。
天狗より強そうな子どもたちを何人か見ました。一瞬、天狗よりこわかった!

ひとしきり子どもたちを叩いた後は、太鼓と笛の音にあわせて、天狗と獅子の舞が始まります。
天狗が獅子を神様のもとへ連れて行く道中を描いている、とかなんとか、
そんなストーリーがあるらしいのですが、詳しいことを聞きそびれてしまった!

ふと玄関に目をやると、天狗のはいてきたスリッパが。
かわいい趣味してるじゃないか、天狗!
舞を終えた天狗は、朝からさんざんふるまわれた酒に足元をよろよろさせながら
次の家へと駆けて行きました。

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蛭田瑞穂 12年1月7日放送

引き際の美学①江夏豊

 おれはキラキラ光る外角線が見えなくなったら現役引退するよ。

プロ野球史上屈指の左腕、江夏豊は現役時代、記者にそう語った。

左投手でありながら、江夏が得意としていたのは右打者だった。
その秘密が江夏の言う「キラキラ光る外角線」である。

不思議なことに江夏には右打者が打席に立った時にだけ、
外角のストライクゾーン際に光輝く線が見えたという。

その線を頼りに江夏はボールを投げ、
長嶋茂雄など並み居る強打者を手玉に取った。

江夏豊が現役を退いたのはプロ入り18年目の1984年。
成績は1勝2敗8セーブ。

その時の江夏の目にはもう、キラキラと光る外角線は見えなかった。


Ako
引き際の美学②山本浩二

ミスター赤ヘル、山本浩二。
現役最後の年、彼は126試合に出場。
27本のホームランを打ち、チームをリーグ優勝に導いた。

燃え尽きて灰になるか、花のあるうちに潔く散るか。
男の引き際についてはふたつの見解があるが、
山本浩二は間違いなく後者だった。

その年の日本シリーズ、
第8戦までもつれこんだ戦いは西武ライオンズが制し、
広島カープは惜しくも日本一を逃した。

すると、試合後に広島ナインが山本浩二を取り巻き、胴上げを始めた。
その体は8度宙に舞い、山本浩二は男泣きに泣いた。

それは日本シリーズ史上初めておこなわれた、
負けたチームによる胴上げだった。

引き際の美学③平松政次

「巨人キラー」と呼ばれた男、平松政次。
平松のプロ野球人生は「打倒巨人」の言葉とともにあった。

通算201勝のうち、巨人から挙げた勝ち星は51。
歴代の投手の中でその比率はずば抜けている。

その平松が引退を決意したのはプロ18年目の1984年。
巨人戦に先発した彼は7回まで1失点に抑えながら敗戦投手になった。

それまでの平松であればグラブを叩きつけて悔しがるはずだった。
しかし、その時は不思議と無念さがこみ上げてこない。

巨人に負けて冷静でいられる自分を見て、
平松は自らの引き際を決意したという。

引き際の美学④大杉勝男

東映フライヤーズとヤクルトスワローズで活躍し、
多くのファンから愛された大杉勝男。

プロ入り4年目のある試合、
1本もヒットの出ていなかった大杉を見て監督はこうアドバイスした。
「レフトスタンドに月が見えるでしょう。あの月に向かって打ちなさい」。
その言葉で打撃に開眼した大杉はその後2度のホームラン王を獲得した。

大杉が現役を退いたのは1983年、
両リーグ200本塁打という前人未到の記録まで
わずか1本というところでの引退だった。

引退試合で大杉はファンに言った。

 最後にわがままなお願いですが、
 あと1本と迫っておりました両リーグ200号本塁打、
 この1本をファンの皆さまの夢の中で打たせていただければ、
 これに優る喜びはございません。


theseanster93
引き際の美学⑤村田兆治

「人生先発完投」を座右の銘に掲げた村田兆治。

プロ入り14年目に初の最多勝を獲得した村田は、
その翌年、肘の故障に見舞われた。

再起不能もささやかれる中、
当時タブーとされていた肘の腱の移植手術をおこない、
村田兆治は再びマウンドに戻ってきた。
その3年後には17勝を挙げ、カムバック賞を受賞した。

村田兆治が引退したのはプロ22年目の1990年。
史上ふたり目となる、40代での10勝という記録を
彼は自らの花道とした。

先発完投を貫いた男の見事な引き際だった。


うっち~
引き際の美学⑥王貞治

「世界のホームラン王」王貞治が引退したのは
プロ入り22年目の1980年。

その年に王は129試合に出場し、30本のホームランを打っている。
とても引退する選手の成績とは思えない。

しかし、868本のホームランを打った王にしてみると、
それはもう自分の姿ではなかった。

 王貞治としてのバッティングができなくなった。

王は最後にそう言って、静かにバットを置いた。

引き際の美学⑦長嶋茂雄

現役時代の長嶋茂雄は打席に立つと、
あえて相手投手の決め球を狙いにいった。

決め球を打つことで相手投手の自信を打ち砕く。
長嶋はそう説明した。
しかし本音はそれだけではなかった。

 決め球を打つと体がゾクゾクと震えるんです。
 それが快感なんですね。

その長嶋にもやがて引退を決意する時がくる。
1974年5月22日のことだった。

相手投手は江夏豊。互いに相手の腹は読んでいる。
長嶋は江夏のカーブを待ち、江夏は長嶋の待つカーブを投げた。
バットは空を切り、長嶋は三振に倒れた。

自らの限界を悟った長嶋はそれから5カ月後、
「巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残し、
ユニフォームを脱いだ。

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