2012 年 1 月 22 日 のアーカイブ

三島邦彦 12年1月22日放送


Misogi
立川談志という男

落語家、立川談志は、
ファンからサインを頼まれるといつも、
その時頭に浮かぶ一言を添えていた。

酒場でサインを求められた時は、

 酔おうよ 世の中がきれいにみえてくる

おいしくない定食屋からサインを求められると、

 がまんして食え

その中で、何度も談志が書いた言葉、それは、

 幸せの基準を決めよ

そして、

 人生成り行き



立川談志という男

万雷の拍手。

向けられる先は、舞台の上で頭を下げる一人の男。落語家、立川談志。

深いお辞儀から顔を上げ、両手をふせて拍手をおさめる。
腕を組んで、何度もうなずき、口を開いた。

  また違った芝浜がやれました。
  よかったと思います。

2007年12月18日。東京、有楽町。
立川談志とっておきの十八番、人情噺「芝浜」を演じる恒例の落語会。
何度となくこの噺をやってきた談志師匠にとっても、この日の出来は格別だった。

一度下がった幕が再び上がり、談志がしみじみと語りはじめた。

 一期一会ですね。
 けど、こんなにできる芸人を
 そう早く殺しちゃもったいないような気もします。
 くどいようですが、一期一会、
 いい夜をありがとうございました。

後に、「神がかりの芝浜」と呼ばれるこの会。
落語の神にふれたせいか、いつになく謙虚な談志師匠。
一期一会の名演に、再び拍手がわき起こった。



立川談志という男

 学問は貧乏人の暇つぶしだ。

そんな、高座での奔放な発言も魅力だった、立川流家元、立川談志。
ある日の落語会で、こう語った。

  俺は正しい人間だと言える。
  なぜかというと、いつも間違ってねえかな、大丈夫かなと思ってる。
  これを正しい人間と言うんじゃないんですかね。

奔放の裏側にある謙虚さ。
これが立川流、嘘のない生き方。



立川談志という男

立川談志、35歳の時のこと。
参議院議員選挙に出馬し、周囲を驚かせた。
選挙当日の夜。
開票がはじまったが、
夜が更けても談志の名前は出てこない。
とうとう最後の当選者となった時、
立川談志の名前が呼ばれた。
リポーターからコメントを求められて一言。

 真打ちは最後に出てくるもんだ。

これぞ、落語家、立川談志の粋。



立川談志という男

落語の中には、色々な登場人物が出てくる。

あくびの作法を教える師匠。
生きているのに死んでいると思い込む人。
犬から人間に生まれ変わった人。
みかん欲しさに病気になる人。
狸に殿様、酔っぱらい。
立派な武士まで、実に様々。

落語家、立川談志は、
落語とは何かという問いを、こう結論づけた。

 落語とは、人間の業の肯定である。

業とは、人間の心の奥にある、どうしようもない部分のこと。

人間のありのままを受けとめる。
それが、落語であり、
それが、立川談志だった。

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中村直史 12年1月22日放送



立川談志という男

2007年1月。渋谷パルコ劇場。
落語をやり終えた立川志の輔は、
割れんばかりの拍手を受けながらも、いまだ緊張しているように見えた。

客席に師匠、立川談志が来ていた。
談志が弟子の落語を客席から見るのは極めてまれ。
しかも芸に厳しい談志。
客の前であろうと、何を言い出すかわからない。

「本日は客席に私の師匠、立川談志が来ております」
志の輔が紹介をした。

談志はすっと立ち上がると
ステージの志の輔に向かって、無言で親指を立てグーサインを出した。
深々とおじぎをする志の輔。
どれほどの賛辞か、本人が痛いほどわかっただろう。

立川談志は死んだ。
けれど、談志は生きている。
たとえば、志の輔の落語の中にも。



立川談志という男

精神に肉体が追いつかない。
病と老いに、談志はとまどった。
いらだち、眠れない日々がつづいた。

ヒツジを数えて寝ようとすると、無限に数えてしまう。
だから、キリのあるものにしようと思って
鈴木と名のつく人を挙げてみる。
すると記憶のひだの中から
有名人、無名人、過去の人、いまの人、いくらでも名前が浮かび上がる。
そしてまた眠れない。

ずば抜けた記憶力が
天才、立川談志の芸を支え、
同じくらい苦しめていたかもしれない。


Jaidn
立川談志という男

立川談志が落語に追い求めた「イリュージョン」を受け継いでいる。
そう評されたのが、弟子、立川志らく。

志らくは最後に談志を見舞った日、
心の中でお別れの言葉を言ったという。

 師匠、私がいるから、落語は大丈夫です。

立川流を名乗る者として、
それ以上の別れの言葉はなかった。

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