parpiro
カート・ヴォネガット「未来への言葉」1
SF作家カート・ヴォネガット、
ニヒリズムに裏付けされたユーモリストだ。
ユートピアを探し求めた彼は
第二次世界大戦での経験によって、
人類の未来に絶望してしまった。
だからこそ、
笑いという技法で自分の思いを伝えようとした。
どんな主題であれ、
物語にとりかかると、
なんとかしてそこに
愉快なものを見つける。
さもなければやめにするだけだ。
cromacom
カート・ヴォネガット「未来への言葉」2
カート・ヴォネガットは、
ドイツ軍の捕虜として強制労働に従事しているとき
ドレスデンの無差別爆撃を体験した。
街の85%は破壊され、彼は生き残った。
無差別爆撃は、全く無意味な軍事作戦だったという。
その体験をもとに
「スローターハウス5」を書いたのだ。
私の小説に登場する悪玉は、
文化、社会、歴史です。
けっして個人ではありません。
そしてインスピレーションの源は、
除け者にされたという現実、または、幻想だという。
失うものがない人々は、
自由な気分で自分の考えをつらぬける。
まわりの連中の考えかたを真似ても
何の得にもならないからだ。
絶望は独創の母。
B Rosen
カート・ヴォネガット「未来への言葉」3
SFというスタイルで小説を書いているにもかかわらず、
カート・ヴォネガットは、SF作家と呼ばれることを嫌った。
戦争での体験を通じて、
テクノロジーが進みすぎることを悲観していた。
彼が若かったころのアメリカにあって、
今はなくなってしまって悲しんでいるものについて、
こう書いている。
人間がこの湿り気たっぷりな青緑色の惑星を
まもなく人間の住めない場所にしてしまう、
という確実な知識のなかった、あの気楽さ。
そして、いつか空飛ぶ円盤に乗った生き物か、
天使か、それかほかのなにかが地球にやってきて
人類が恐竜のように滅びてしまったことを発見するとしたら
大きな字でグランドキャニオンの断崖に
次のメッセージを残すべきだという。
われわれは自分たちを救えたかもしれないが、
呪わしいほどなまけものであったため、
その努力をしなかった。
BioDivLibrary
カート・ヴォネガット「未来への言葉」4
SF作家カート・ヴォネガットは、
第二次世界大戦後、アメリカに帰還し
コーネル大学で人類学を学んだ。
そして小説家になった。
晩年になってからの思いは、
原始的共同生活が実現すれば、
もっと幸福になれる、ということだった。
なにも考えてない人たちと、
何も考えずに暮らしたいと。
私の考えでは、人間の頭脳はこの特定の宇宙で
いろいろと実際的な効用を発揮するには
高性能すぎるんですよ。
わたしはワニと一緒に住み、ワニのように考えたい。
Sherlock77 (James)
カート・ヴォネガット「未来への言葉」5
カート・ヴォネガットは、
SFとユーモアというスタイルを通じて、
平和への思いを伝えてきた。
彼の思うユートピア、幸福な暮らしは、
長続きする共同生活だ。
たとえば、若い人が農場を引き受けて
共同生活を始める。
創設者達は、ひとりひとり相違をもっているが、
そういうコミューンがうんと長続きして、
こども達がおたがいに気楽になり
態度や経験に共通ものをもてば、
本当の身内のようになる。
でも実際には、うまくいかないかもしれない。
長続きせずに失敗することもあるだろう。
それもわかっていると語る。
これは、より幸福な人類について
私が抱いているぬくぬくとした小さな夢なのです。
なにかそういう明るい小さな夢でもないと、
私自身の悲観主義を克服できそうにないので。
あくまでも私の夢ですから、
それは間違いだなんて、言わんでください。
DonkeyHotey
カート・ヴォネガット「未来への言葉」6
SF小説という手法があるからこそ、
カート・ヴォネガットは、
環境破壊や、国と国との紛争、テクノロジーを
奇妙な、ヘンテコなものとしてシニカルに語る。
あるときインタビュアーが、そんな彼を
世の中のありとあらゆる悲しみに対して
とても優しい気持ちをいだいてると評する。
他人を同情して回るなんて、一種の自己満足だ。
わたしはあまりそういうことをしない。
わたしはただ、恐ろしい苦難から抜け出られない人が
たくさんいることを知っている。
ある人々は、他人からの大きな助けを
本当に必要としている。わたしは、そう思います。
カート・ヴォネガット「未来への言葉」7
カート・ヴォネガットのユーモアは、
ときどき突拍子もない。
「煙に撒く」ことで、彼の平和への思いを
より強く印象づけようとしていたのかもしれない。
アメリカ人は、どうしたらいまよりも幸福になれるか
今より愛されるかについて、
私はいろいろなアイデアをもっています。
それは、彼の作品
「タイタンの妖女」や「スローターハウス5」で表現される
現在の意志の行為によって未来を変えることはできない、
という考えと違うと、指摘されると
もちろんおわかりでしょうが、私の言っていることは、
みんなたわごとです。
そうはぐらかす。
まるで、彼の小説の台詞のように。
ここで「ハイホー」
あるいは「そういうものだ」
カート・ヴォネガット「未来への言葉」8
第二次世界大戦で絶望を経験した作家
カート・ヴォネガットがシニカルなのは、
人類に対する大きすぎる愛があったからかもしれない。
ある時、テネシー・ウイリアムズの「イグアナの夜」に
出ていた女優に相談を受けた。
キャストがみんな芝居になじんでいない、と打ち明けられたのだ。
ヴォネガットは、彼女にメモを渡した。
イグアナは、ぞっとするような姿だが、
食べるとけっこううまい。
私は、この劇からこんなメッセージを受け取った。
まったくなにも愛さないよりは、
他人がみにくいと思うかもしれないものを愛するほうがいい。
イグアナを食べよう。
そうすれば、だれにも負けない栄養が得られる。
彼の、愛することの基本姿勢が書かれている。