2012 年 4 月 のアーカイブ

五島のはなし(172)

くちびるに歌を

Vision執筆者のひとりでもある先輩コピーライター
蛭田さんとお昼ご飯食べていたら、
「五島っていえばさあ・・・」
と、最近蛭田さんが耳した情報を教えてくれた。

なんでも五島の中学校を舞台にした物語がヒットしているとのこと。
調べてみたら小説だった。

「くちびるに歌を」 中田永一

舞台となっている中学校は、城跡に建てられている、という設定だと聞いて、
それはぼくの母校五島高校をモチーフにしてるのかな?と想像した。
にしても、なんで五島が舞台なのだろうか。
作者がゆかりがあるのか、たんに訪れてみて、舞台設定にぴんとくるものがあったのか。

すばらしい小説らしいので、
すこしでも五島が役にたったのなら、うれしい。

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三島邦彦 12年4月15日放送



いつまでも素敵な女性/小篠綾子

ヒロコ、ジュンコ、ミチコ。
世界的ファッションデザイナー、
コシノ三姉妹の母、小篠綾子さん。

自らもデザイナーとして
大阪の岸和田市で
洋服屋を生涯営んだ。

これは綾子さん88歳の時の言葉。

今や私も良きライバルとして、
また良き友として、娘たちの仲間入りをして、
四姉妹のつもりで歩いていこうと思っています。

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三國菜恵 12年4月15日放送


imajou
いつまでも素敵な女性/宇野千代

今年も、山口県の岩国市に桜が咲いた。
作家・宇野千代の生家にある2本の桜。

生前、

私は幸福を撒き散らす、花咲かばあさんになりたい

と言った、宇野千代。

たしかに彼女は、
いつも春のなかを生きているような人だった。

次から次へと、恋をする。
新しい興味が、次々に湧く。
作家。編集者。着物デザイナー。
その肩書の多さは、好奇心の証し。

彼女の人生訓を、ひとことで言うと、こうなるのだという。

人生は、行動である

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三島邦彦  12年4月15日放送



いつまでも素敵な女性/ 幸田文

明治の文豪、幸田露伴はある日、
子どもたちにそれぞれ木を与え
庭で育てるよう命じた。

次女の幸田文はその庭で、
草木に強く心をよせた。

時が流れ、孫も生まれた文は、
北海道のえぞ松から
屋久島の縄文杉まで、
珍しい木が見られるとあれば
人に背負われてでも森へ山へと
分け入るようになっていた。

松やイチョウ、ヒノキにポプラ。
木の皮が織りなす模様を
美しい着物のように愛でる彼女。

今そこに生きる命として、
木の立ち姿を味わった。

これは、そんな幸田文の言葉。

いのちの詩をうたって山野にいる姿と、
いのち終えてなお美しく力ある材となった姿と、
どちらをもともにいとおしむ心情を、
若い人にもってもらいたい、と切におもう。

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三國菜恵 12年4月15日放送



いつまでも素敵な女性/ココ・シャネル

世界のファッションブランド
「シャネル」の創始者、ココ・シャネル。
彼女はデザイナーとして人生で二度、開花した。

その二度目は71歳、
誰もが引退を考える年齢になって
彼女はシャネルスーツという新しいスタイルを
世界に発表したのだ。

シンプルで動きやすい上着と膝丈のスカート
それは当時のミニスカートブームに挑戦するかのような
保守的なデザインにも見えた。

けれども、シャネルはこう考えていた。
誰もが15歳ではない、
40を過ぎてから似合うエレガンスもあるのだ、と。

その考えに賛同するかのように、
シャネルスーツは世界の女性のあこがれになり
ココ・シャネルはモード・オスカー賞を受賞した。

いくつになってもチャレンジする人は素敵だ。

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中村直史 12年4月15日放送


Berliner Büchertisch
いつまでも素敵な女性/ハイデマリー・シュベルマー

そして、その女性は、一文無しになってしまった。
理由は、借金をつづけたからでも、事業に失敗したからでもない。
ただ、お金を持っていたくなかったから。

ドイツに住むハイデマリー・シュベルマー。
お金にふりまわされるこの世界はどうもおかしい、と、
ある日、持っているお金をすべて手放した。
家も手放し、年金も放棄。
市場で捨てられた野菜をわけてもらい、
スーパーの掃除をした見返りに果物をもらい、
友人宅を泊まり歩く。

 すべてがなくなったら、一気に開放された気持ちで、
飛びあがりたいほどうれしかった!

そうにこやかに語るハイデマリー。
世の中の人は言う。あなたのようには生きられない、と。
・・・でもぜひ話を聞かせてほしい!いつでも泊まりにきて!
そうやって、つぎからつぎへと、彼女の生活を支える人はふえていく。

一文無しになって14年。
お金にしばられた世界のおかしさを訴えつづけるハイデマリーの生き方は、
実は、世界がやさしい気持ちに満ちていることも、示している。

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三國菜恵 12年4月15日放送


Nathan Duckworth
いつまでも素敵な女性/原ひさ子

ほのぼのとした笑顔が印象的だった
女優・原ひさ子。
彼女には、実は、あるかたくなな一面があった。

8月6日。
広島の原爆投下と同じ日に生まれた彼女は、
自分の誕生日を決して祝わなかった。

すいとんで 反省の夜や 敗戦日

その生き方は、彼女からのメッセージ。

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三島邦彦 12年4月15日放送



いつまでも素敵な女性/ターシャ・テューダ

アメリカの絵本作家、ターシャ・テューダは、
57歳から92歳で亡くなるまでの35年間を
バーモント州の田舎町で自給自足の一人暮らしをしていた。

小さな町がすっぽり入りそうな広大な庭と
家具職人の息子が作った小さな家。

天気がいい日は裸足で外に駆けだして、
夢中になって庭いじり。
午後は紅茶でひとやすみ。

いくつになっても
毎日幸せそうな彼女に、
だれかが幸せの秘訣をきいてみた。

返ってきたのは、こんな答え。

 人生は短いから、不幸になってる暇なんてないのよ。

幸せな人は素敵な人。

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中村直史 12年4月15日放送


よしぼー
いつまでも素敵な女性/村山キヨ

沖縄のおばあちゃんたちは、
愛情と敬意をこめて「おばあ」と呼ばれる。

宮古島・西原地区の村山キヨさんは、そんなおばあのひとり。
そして、その地方に古くから伝わる歌、
「古謡」の伝承者として知られている。

前の世代から受け継いだ数々の歌を、残らずぜんぶ記憶している。
そのヒケツを聞かれたキヨおばあはこう答えています。

 今の若者は紙に書くから、紙が覚える。
 自分たちは紙に書かないから、頭が覚える。

おばあちゃんの言うことって、深みがあります。

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小宮由美子 12年4月14日放送


qthomasbower
母は教えてくれる① レディ・ガガの母

レディ・ガガがティーンエイジャーだった頃。
周囲から受け入れられずにいじめにあっていたとき、
その個性を肯定し、勇気づけたのは母だった。

子どもの頃 ママはこう言った
「誰もがみんな、生まれたときからスーパースターなのよ」
鏡の前で私の髪を巻いて、口紅を塗ってくれて、こうも言った。
「ありのままの自分を愛しなさい。
神様はあなたを完璧に創った。だから前を向いて、進むのよ」

(『Born This Way』歌詞)

レディ・ガガを支えた母の言葉。
それが、娘であるレディ・ガガのメッセージになり、
今、世界中の、さまざまな人たちの心に響いている。



母は教えてくれる② エジソンの母

父親は彼を、出来の悪い息子だと決め込んだ。
小学校の校長は、彼をおかしな子どもだと言った。
母親だけが、そんな周囲の決めつけを拒んだ。
彼女は息子の風変わりな個性をみとめて、
その個性をさらに伸ばそうと務めた。
そして、息子は努力をした。
「天才とは、99%の努力と、1%のインスピレーション」
という言葉を残すほどに。
彼の名は、発明家トーマス・アルバ・エジソン。

エジソンは、後年になって、
「私をつくりあげたのは、母だった」と回想している。
「(かつて私は)自分が母にとって価値ある人間であることを知り、
 その信頼が間違いではないことを示そうと決心したのだ」



母は教えてくれる③ 小椋冬美の描く母

漫画家・小椋冬美の作品に登場する
炒り卵と紅生姜が入ったおにぎり。

それは、小椋が小さい頃に、
母親が実際に作って食べさせてくれたおにぎりだった。
「具としては変わっていたけど、おいしかった」
あとがきに小椋が書いている。

レストランでは食べられない、お店でも売っていない、
そんな母の味は、いつまでも恋しい。



母は教えてくれる④ ぺネロペ・クルスの母

スペインの女優、ぺネロペ・クルスが
演技に興味を持つようになったきっかけは、母親の仕事にあった。
ぺネロペは学校から帰ると、母の経営する美容室で時間を過ごした。
「変身したい、自分の理想像に近づきたい、そう思って
やってくる女性たち」。「そのほとんどが何かしらの役を
演じている」
ように幼いぺネロペには見えた。
子どものこと。親のこと。結婚。離婚。浮気。不安。
彼女たちがさまざまなことについて語り合い、秘密を共有しあうのを、
ぺネロペは精一杯の注意を向けて観察していた。
宿題をするふりをしながら。

母をとおして見える世界が、娘を、役者の道へと駆り立てた。
ぺネロペは言う。
「この母親の美容室こそが、私にとって最高の演劇学校だった」



母は教えてくれる⑤ 白洲正子

日本がアメリカ軍に占領されていた時代。
あるアメリカ人将校の家のパーティーに白洲桂子は
母・白洲正子とともに招かれた。
まわりの雰囲気に圧倒される桂子をよそに、
異国の人々に溶け込み、楽しそうに談笑する英語堪能な正子。

やがて、子どもたちにプレゼントが配られ、
桂子は見た事もない美しい人形をもらった。だが
突然、金髪の青い目の少女が何か言いながら人形をひったくり、
桂子に違う包みを押し付けた。包みの中には、猫の人形。
あの人形のほうがよかったのに。
桂子は助けをもとめる視線を送ったが、母・正子は気づかない。

家に帰り、娘が泣きながら話すのを聞いて、
白洲正子は慰めるどころか、怒り狂った。
「自分が欲しいと思ったら絶対に手放してはいけない。
なぜ取り返してこなかった、それはお前が悪い」

英語でわからなかった、と娘が言うと、
「日本語や英語の問題ではない、意志の弱さが問題だ」とも。

桂子は、今でも家に飾っている猫の人形を見るたびに、見た事もない
怖い顔をして怒った母・正子を思い出し、その教えを噛み締める。
「自分が手に入れたい物は天から降っては来ないのだ」と。


ari_taka
母は教えてくれる⑥ 舟越保武

「私は幼いときに母を亡くしているので、母の顔を覚えていない。
近頃になって、しきりに母の面影を追い求めていることに
気がつき出した。年をとったせいだろう」

彫刻家・舟越保武は、晩年、聖女の像をよく彫った。
優しく、若く、美しい。
夢の中で見る母が、創作の源になった。

そばにいても、そばにいなくとも、
人が生まれ、還っていく場所。とくべつな存在であり続ける、「母」。


かずっち
母は教えてくれる⑦ 夏目雅子の母

「あなたは何様じゃないんだから(仕事には)電車で通いなさい」

すでに女優として有名だった夏目雅子に、母はそう言った。
そして、夏目雅子はその一言をずっと守り続けた。

「電車の中で見かける人たちの話や仕草が
仕事でとても役に立った。ママ、ありがとう」

のちに、雅子はそう言った。
母は子どもに教えてくれる。いつも、たくさんのことを。


Spicks & Specks
母は教えてくれる⑧ クルム伊達公子の母

テニスプレーヤー、クルム伊達公子。
子どもの頃、試合を応援に来てくれた母を気が散るからと、
試合前に追い返したことがあった。母はそれでも娘を責めることなく、
むしろ気遣って、その気持ちを理解した。
自己主張も負けん気もしかたない。それでこそ世界を目指せると。

「母と私はよく似ている。タフで、行動力があって、負けず嫌い」
伊達自身がそう形容する母は、今でも欠かさず、
復活した伊達の試合を応援に来る。
その母を、もう昔のように追い返すことはない。
家族に感謝し、胸を張って、今の姿を見てもらえる自信があるから。
そう、伊達は言う。

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