最期にこう言った 大宅壮一
テレビばかり見て、
自分の考えをなくしていく国民たち。
それを男は、「一億総白痴化」と指摘した。
地方の個性のない国立大学が
むやみに増えていく。
それを男は、「駅弁大学」と風刺した。
歳を重ねれば生き方が顔に表れる。
それを男は、「男の顔は履歴書である」と書いた。
男は、社会評論家、大宅壮一
世の中を斬る新語をつぎつぎに生み、
毒舌でならした大宅が死ぬ直前、
妻に最期にこう言った。
おい、だっこ。
最期にこう言った マーク・トウェイン
『トム・ソーヤの冒険』が有名な
アメリカの作家、マーク・トウェイン
死ぬ1年前に彼は、
私は1835年ハレー彗星とともに地球にやってきた。
来年はまた彗星が近づく。
私は彗星と一緒に去っていくだろう。
と周囲に語っていた。
はたして来年が来た。
ハレー彗星が75年ぶりにやってきた日の翌日、
彼は突如狭心症の発作を起こし、絶命した。
最期に、こう言った。
じゃあまた、
いずれあの世で会えるんだから。
最期にこう言った 一休
室町時代の禅僧、一休さんこと、
一休宗純は自由を貫いた。
禁じられていた
酒を呑み、
肉を食べ、
女と寝た。
戒律、形式に縛られない人間的な禅。
権威を否定し、悟りさえも否定し、
生涯をほぼ定住することなく、
各地を巡り、相手の身分の差別なく平等に
布教していった。
そんな一休に民衆は共感し、
生き仏とあがめられた。
応仁の乱後、
天皇の勅命により京都大徳寺に落ち着くまで
80歳まで全国を歩いた。
87歳、高熱が襲う。
ぎやく、といわれたマラリアにかかり、
とうとう臨終の時。
座ったままの姿で、眠るように死ぬ際、
一休は人間臭く、最期にこう言った。
死にとうない。
最期にこう言った 葛飾北斎
生涯に発表した作品数 3万点以上
弟子・孫弟子の数 200人
絵師の名前を改号すること 30回
引っ越しすること 90回
葛飾北斎の熱量は異常である。
熱しられた意志が絵となり、世界に伝わり、
北斎はゴッホやドガ、マネ、セザンヌが
こぞって憧れる存在となった。
向上心に燃える執念は、
自己評価の厳しさになった。
希代の絵師は88歳の時、
死の床で、まだまだまだまだという思いで、
最期にこう言った。
あと10年生きられたら
本当の絵師になれるのに。
いや5年でいい。
最期にこう言った 樋口一葉
五千円札の中に、若い女がいる。
貧困のまま生涯を終えた樋口一葉である。
お金がない自分が、
お金になっている。
なんて、思いもしなかったろう。
晩年というには早すぎる22歳~23歳にかけて、
『たけくらべ』『十三夜』『にごりえ』といった
優れた作品群を発表、絶賛された。
その期間は「奇跡の14カ月」と呼ばれる。
一葉は近代文学史における奇跡だったのだ。
そこにはお金にかえられない意味を持つ、命があった。
いったい一葉は何になっていただろう。
どこまで大きくなれただろう。
しかし、絶望的に、結核が一葉を襲う。
24歳の11月、見舞いに来た恩師が
冬休みにまた上京しますから、
そのときまた参りましょう。
と言うと、
一葉は苦しそうな声で切れ切れに、こう言った。
その時分には、私は何になっていましょう。
石にでもなっていましょうか。
最期にこう言った ヴィクトル・ユゴー
フランスの詩人であり、
小説『レ・ミゼラブル』で有名な
ヴィクトル・ユゴー
80歳で亡くなる時の様子は
こう伝えられている。
ベッドで横たわるユゴーが
付添人に訊ねる。
きみ、死ぬのはつらいね。
死んだりなさるものですか。
いや、死ぬね。
そして、しばらくすると
ここで夜と昼が戦っている。
と、つぶやいた。
200年後の今日まで
燦然と光り輝いている作品を書いた一人の老人は、
一行の詩のように、最期にこう言った。
黒い光が見える。
最期にこう言った 徳川夢声
徳川夢声は、元祖マルチタレントである。
大正時代、無声映画の弁士として人気者となった。
40歳で妻を亡くしたが、
縁あって親友の未亡人となっていた女性と
おたがい再婚。
戦後も漫談家、俳優として
舞台、映画、ラジオ、テレビなどジャンルを
軽くとびこえて活躍した。
77歳で、病に倒れた時。
妻に爪を切ってもらうと、夢声がその手をじっと眺めた。
妻は、病人が自分の手を見つめるようになると
死が間近という話を思い出し、
疲れますよ、と、夢声の手を下ろさせた。
その3日後、夢声は亡くなった。
妻に、最期にこう言った。
おい、いい夫婦だったなあ。
最期にこう言った 小津安二郎
映画監督、小津安二郎。
12月12日生まれ。
12月12日死去。
還暦60歳の誕生日が命日となった。
鎌倉の円覚寺の墓にはただ一字
「無」と刻まれている。
がんセンターに入院し、
手術後、一度退院したが、
亡くなる2カ月前に再入院。
何も悪いことをした覚えはないのに、
どうしてこんな病気にかかったんだろう。
ともらしたという。
突然ともいえる自分の死に、
どこまで「無」と意識できたのだろうか。
最期にこう言った。
右足がどっかに行っちゃったのかね。
ベッドの下に落っこちているんじゃないかね。