ブルース・リーの1秒
考えるな。感じろ。
映画「燃えよドラゴン」のこの台詞で有名な、
アクションスター、ブルース・リー。
「アチョー!」という雄叫びと共に
ナイフのような肉体から繰り出される技の数々。
ブルッと動いたかと思うと、
次の瞬間、もう相手は吹っ飛んでいる。
そのスピードは余りに速すぎて、
通常の1秒24コマのフィルムでは
何が起きたのかほとんどわからなかった。
そのため闘いのシーンだけは
コマ数の多い特別なフィルムで撮影し、
手足の動きが少しでも見えるよう
編集し直さなければならなかったという。
実際のリーの技は、映画より遥かに速かった。
そこにはたゆまぬ自己鍛錬に裏打ちされた
本物の強さがあった。
サルバドール・ダリの時計
1931年のある夜。一人の画家が、
夕食に出たカマンベールチーズを見つめていた。
溶けゆくチーズを見ていると突然、
スーパーソフト
という概念がその心を強烈に捉えた。
2時間後、その画家の最も有名な絵が完成した。
記憶の固執
と名付けられたその絵には、
チーズのように溶けて垂れ下がった
不思議な時計が描かれていた。
男の名はシュルレアリスムの巨匠、
サルバドール・ダリ。
彼は言う。
柔らかな時計は自らの遺伝子の巨大な分子である。
舌平目の肉のように
機械的な時間という鮫に飲み込まれる運命なのだ。
溶けていく時計….
人の記憶のなかの時間は
これほど曖昧で儚いものなのか。
jef safi
アンリ・ベルクソンの5分
5分とは何か?
5分とは、時計の長い針が30度動く時間のこと、と
答えるのは簡単だけれど
私たちが時計で測っているものは、
果たして本当の時間と言えるのか。
ノーベル賞を受賞したフランスの哲学者、
アンリ・ベルクソンは考えた。
時計の針が実際に測っているのは、
30度という「空間の角度」にすぎない。
では、時間とは何か?
彼は言う。
本当の時間は決して測ることができない。
それは混沌と絡み合った「意識の流れ」なのだ。
「時間」を見ることができない三次元の世界で
「時間」についての議論はいまも多い。
「柳沢教授の腹時計」
腹時計は頭のなかにあった。
古来ヒトには、
お腹の空き具合で時間を計る、
体内時計が備わっているとされてきた。
しかしテキサス大学の
柳沢正史教授の研究によると、
食欲はお腹ではなく、
脳のある部分が司っているらしい。
食事の時間になると、
脳のその部分が食欲のスイッチを
自動的にオンにするというのだ。
夜中の間食がなかなかやめられない、
という人は、自分の腹時計の針を、
合わせ直してみるといいかもしれない。
claris
シンディ・ローパーのタイム・アフター・タイム
目の前に人が倒れていたら、あなたは助ける?
それとも踏みつけて行く?
2011年3月11日の東日本大震災の直後、そう言って、
ツアーのために来日したアーティスト、シンディ・ローパー。
他の海外ミュージシャンが日本公演を中止して帰国、
または来日をキャンセルする中、予定通りコンサートを行った。
更に会場で募金を呼び掛け、コンサートをチャリティイベントにした。
彼女の初の全米ナンバー1ソングにして、
マイルス・デイビスなど数多くのアーティストにカバーされ続ける名曲
タイム・アフター・タイム
その歌詞にこんな一節がある。
もしあなたが迷子になっても
あなたにはきっと見える 私を見つけられる
何度だって
もしあなたが倒れても
私が受け止めるわ あなたを待っているの
いつもずっと
ツアーを終えて日本を離れる時、
シンディはインタビューでこう話した。
人生にはいろんなことが起こるけど、
それで壊れちゃうわけじゃない。
逆に強くなれる。たくましくなる。
新しいことを発見していける。
本当に強い人だけが、優しい歌をうたえるのかもしれない。
H.G.ウェルズのタイムマシン
もしも時間を旅することができたら、
過去と未来、どちらに行きますか?
SFの父、H.G.ウェルズが書いた小説「タイムマシン」。
主人公が選んだのは80万年後の未来だった。
そこは富裕階級の末裔が労働者階級の末裔に
食料として貪り喰われる恐ろしい世界。
ウェルズは今から100年以上も前に、
貧富の格差の行く末を案じていた。
「宇宙戦争」では白人のアジア侵略を批判し、
「解放された世界」では原爆の恐怖を予見したウェルズ。
彼の小説には常に社会への鋭い問題提起があった。
我々の真の国籍は、人類である。
そう語るウェルズ自身が、
もしかしたら未来から警告に来た
タイムトラベラーだったのかもしれない。
ゾウの時間、ネズミの時間、ニンゲンの時間
時は万物に平等だ、という。
しかしベストセラー「ゾウの時間・ネズミの時間」の著者、
東工大の本川達雄教授の意見は違う。
全ての動物には固有の時間の流れがあり、
その速度は体のサイズに比例する
というのだ。
たとえばゾウはネズミに比べて遥かに長い寿命を持つが、
一回の鼓動にかかる時間はネズミよりずっと遅い。
ところが一生分の心拍数を計算すると、
不思議なことにどちらも約20億回になる。
結果、一生を生き切った「命の密度」は、
ゾウもネズミも変わらないのではないか。
つまり、ネズミの一生は短く儚いのではなく、
ゾウに比べて熱く激しく全速力で生きているということ。
この法則をニンゲンに当てはめると、なんとわずか26年。
縄文人の平均寿命とほぼ同じになる。
医学、食生活、住居の発達により、現代人の寿命は80歳までのびた。
30年弱という本来の寿命から考えると、残りの50年はほぼ余生、
生物学的に言うと「おまけ」の時間だとさえ言える。
本川教授は言う。
「おまけ」の部分は、ある意味では自分自身で設計して生きられる、
やりたいようにやれる自由な時間と言えるかもしれない。
今日からでも遅くない。ゾウのように長く、
ネズミのように激しく生きてみるのはいかがでしょう。