afagen
美空ひばりという存在
美空ひばりが亡くなった時、
多くの人々が、ひばりのことを天才だったと語った。
指揮者の岩城宏之は言う。
音楽史上唯一の『天才』は、
モーツァルトだけというのが、常識である。
しかしぼくはこの言葉を、ためらいなく
美空ひばりさんにも使いたい。
天才は空に昇った。
しかし、日本のどこかで
今日も彼女の歌は響いている。
afagen
美空ひばりという存在
美空ひばりが亡くなった時、
多くの人々が、ひばりのことを天才だったと語った。
指揮者の岩城宏之は言う。
音楽史上唯一の『天才』は、
モーツァルトだけというのが、常識である。
しかしぼくはこの言葉を、ためらいなく
美空ひばりさんにも使いたい。
天才は空に昇った。
しかし、日本のどこかで
今日も彼女の歌は響いている。
美空ひばりと舞台衣装
昭和21年9月。
横浜にある「アテネ劇場」というちいさな舞台に
美空ひばりは立った。
そこでの公演は、ある意味で歴史的な舞台だったという。
ステージの1曲目 『旅姿三人男』という曲で
ひばりは三度笠をかぶって登場。
そして、パッ!と笠を取ると同時に、
パッ!とスポットライトが彼女を照らしだした。
この演出を考えたのは、ひばりの母、加藤喜美枝。
実は、当時
「歌手が扮装して歌をうたう」ということは前例がなかった。
親子二人三脚で「お客さんをたのしませよう」とした気持ちが
結果として、戦後の日本ではじめての試みを生んだのだった。
美空ひばりと母
あなたがいちばん尊敬する人は誰ですか。
昭和の大歌手、美空ひばりはその質問に対して、
デビューしたての9歳の頃からその生涯に渡り、
「母です。」と答え続けた。
美空ひばりの母、加藤喜美枝。
戦時中、夫が戦地へ向かったため、
夫が帰って来るまで、残された魚屋をつぶしてはいけないと
ゴムの長靴をはいて市場に仕入れに出かけ、
女手一つで切り盛りをした。
戦時中は自ら庭に防空壕を掘り、
戦後は娘の地方巡業や海外公演に必ず同行し、
娘の和枝を守り、
大歌手、美空ひばりへと育て上げた。
これは、美空ひばりの言葉。
お母さん。私がこうして一人前になれたのは、あなたのおかげです。
お母さんと和枝と二人で美空ひばりという歌い手をつくったのです。
お母さん、あなたが美空ひばりなのよ。
喜美枝と和枝。
どこへ行くにも一緒の親子。
今は、美しい空の上で一緒にくらしている。
美空ひばりの歌
自分の歌を歌いたい。
幼い日の美空ひばりはずっとそう思っていた。
大人顔負けの歌声を珍しがられて、
ずっと意味もわからない大人の歌を歌わされてきたひばり。
人のまねではなく、自分の歌を歌わなければ、
大人たちが本当には認めてくれないということが、わかってきた。
そんな中、子役として出演した映画の中で、
ひばりのために歌が作られることになった。
もう、ものまねではない、だれにも気がねする必要はないんだ。
美空ひばりは、その名前のように、
とても晴れやかな心もちになったという。
Ako
美空ひばりの使命
美空ひばりは、幼いころから全国各地をめぐり、人々の前で歌った。
10歳のときのこと。
四国巡業中に、乗っていたバスが崖下へ転落する。
頭と胸を強く打ち、左手首からはひどい出血。
バスの中ら助け出されたときは仮死状態だったが、
奇跡的に回復し、実家の横浜へと戻った。
事故に驚いたのが、ひばりの父。
もともとひばりの芸能活動に反対していたこともあり、
今後一切、歌手活動をさせない、と迫った。
おそろしい父を前に、わずか10歳の少女は決して首をたてにふらなかった。
泣きながら、ただただ、歌手をやめたくない、と言いつづけた。
私の人生のテーマはそのとき決まりました。
私は歌い手になるために生まれてきたんだ。
だから、神様が生命を救ってくれたんだって。
その日から42年間。
美空ひばりは、自分の使命を一瞬たりとも疑わなかったように
命を燃やしながら歌いつづけた。
今日、6月24日。
亡くなってから23年がたつ今も、
美空ひばりはたくさんの人の心の中で歌いつづけている。
美空ひばりの信念
歌手・美空ひばりは、
大人の歌を大人顔負けにうたいあげる
めずらしい少女だった。
けれども、中にはそれをこころよく思わない人もいた。
たとえば、
『買い物ブギ』などで一世を風靡していた歌手・笠置シズ子からは
「私の歌をカバーしてはなりません」とクレームがあった。
さらには、新聞のコラム欄で、
「こどものくせ大人の歌をうたうな」と叩かれたこともあった。
けれども、ひばりは、どんな言葉にもぐっとこらえた。
そこには、こんな思いがあったという。
喧嘩したってろくなことにはなりません。
とにかく仕事をしちゃった方が勝ちなのです。
「不言実行」の精神で、
彼女はひとつひとつ確実に自分の居場所を手に入れていった。
MO
美空ひばりの感覚
なぜ美空ひばりの歌声に
日本中が心を動かされたのか。
その秘密は、美空ひばりが子どものころから持ちつづけた
独特の感覚にあったのかもしれない。
歌を歌います。するとお客さまの心がピーンと伝わってくるんです。
隅のほう、大むこう、上手、下手、劇場のあらゆる場所から、
楽しい気分や悲しい気分が、はねかえってきます。
その気分と一つになり、溶け込んでいくんです。
美空ひばりは、
ひとりで歌っているのではなった。
みんなとともに歌っていた
KYR
美空ひばりと詩
歌手・美空ひばりは
歌うこと以外にもうひとつ好きなことがあった。
それは詩を書くこと。
詩というものは、
相手に自分の気持を、
わずか四行ぐらいでわかってもらえるので、
こんなにいいものはない
彼女にとって自分の思いを詩にすることは
歌手として過ごすときとは別の、
何か特別な解放感があったのかもしれない。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.