佐藤理人 12年7月28日放送
ymorimo
旅が教えてくれたこと 「岡本太郎の東北」
優れた民俗学者としての顔も持つ画家、岡本太郎。
近代化で失われた日本人らしさを探しに、
彼は東北へ旅立った。
なまはげ。鹿(しし)踊り。
太鼓に合わせ獣となって踊る姿に、
彼は小躍りしてシャッターを切った。
どうも私は人間よりも動物の方にひかれるらしい
今日の人間があんまり温帯植物のように、
無気力に見えるせいだろう
太郎はそこに、芸術に求めた
人間のエネルギーの爆発を見た。
爆発する芸術は、
爆発する人生から生まれるのか。
Vince Millett
旅が教えてくれたこと 「向田邦子のモロッコ」
日本語にはない色や景色や音を求めて、
作家向田邦子はモロッコへ旅だった。
女性が一人でアフリカを旅することは決して楽なことではない。
中でも食いしん坊の向田にとって最も辛かったのが食事だ。
食べられるのはほとんどなく、特に羊の肉は苦手だった。
しかしやがて、
顔をそむけ、鼻をつまむようにして通った
羊横町を面白いと思うようになった
汚いと見えたものが、生き生きとうつるようになった
と、積極的に挑戦し始める。
世界は頭より、
胃袋で理解した方が早いようだ。
New Perspective
旅が教えてくれたこと 「チャトウィンのパタゴニア」
20世紀を代表する紀行文学、
ブルース・チャトウィンの「パタゴニア」。
しかし普通の紀行文とは違い、
彼自身のことはほとんど書かれていない。
幻の共和国の王になろうとした男など
旅の途中で聞いた不思議なエピソードが、
パッチワークのように綴られる。
時間や場所を飛び越えた構成は、
チャトウィンの旅そのもの。
彼は言う。
つきまとう虹に追いかけられて
諸国を流浪する女神官のように僕は移動し続ける
でも、僕に虹はついてこない
旅の本当の目的地は、
旅の途中にあるという。
Jose Pires
旅が教えてくれたこと 「ル・コルビュジエのギリシャ」
近代建築の父、ル・コルビュジエ。
彼は23歳のとき、
古典建築をめぐる半年間の旅に出た。
この旅は後に「東方への旅」という本にまとめられた。
そこには才能ある建築家の卵の興奮が、
生き生きとしたスケッチと率直な言葉で綴られている。
印象的なのが、
ギリシャのパルテノン神殿を訪れたときの記述だ。
巨大な柱が整然と並ぶ空間の美しさに、
若きコルビュジエは圧倒された。
無言のスケッチからは、彼の静かな感動が伝わってくる。
感極まった彼は一言、
おお!光!大理石!モノクローム!
とだけ記した。この旅を経てコルビュジエは、
当時の流行だった装飾華美な建築と決別。
「家は住むための機械である」と唱え、
現代建築の基礎を築いた。
過去には、未来が隠れていたりする。
旅が教えてくれたこと 「ロバート・キャパのベトナム」
俺の血がベトナムに従軍するのを止められないんだよ
戦場カメラマン、ロバート・キャパはベトナム戦争に旅だった。
滞在先のハノイで、彼はあるシーンをフィルムにおさめる。
道路を横断する少年少女たちと、
彼らのために車をとめるフランス軍人。
平和に潜む暴力。
それこそがベトナム戦争の本質だと、キャパは気づいた。
そして、その罠にキャパもかかってしまう。
1954年5月25日、
取材の移動中に地雷を踏み、彼は帰らぬ人となる。
彼が学んだ教訓を、
人類は今も探し続けている。
旅が教えてくれたこと 「ブコウスキーのドイツ」
社会から取り残された者を優しく詠んだ
酔いどれ詩人チャールズ・ブコウスキー。
故郷のドイツで朗読会を開いたとき、
彼は人生初の体験をする。
聴衆の拍手喝采を浴びたのだ。
私はすっかり酔いがさめてしまい、
もっと飲まなければならなくなった。
ステージに取り残された
ひねくれ者のブコウスキー。
世界中どこにいても変わらないのが、
「本当の自分」というやつらしい。
Poetografie
旅が教えてくれたこと 「チェ・ゲバラのボリビア」
アルゼンチンの裕福な家に生まれた
エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナにとって、
医者は自然な人生の選択だった。
ベネズエラで医者になろう。そう決めて旅だった彼は、
ボリビアで革命政権と保守派の争いを目にする。
医者か、革命家か。ゲバラの心は揺れた。
そんなある日「グアテマラに行かないか?」と誘われた。
革命のためにともに戦おうというのだ。
そのひと言にゲバラは飛びついた。
もともと心の奥底で考えていたことで、
僕自身が決心するのに、この一押しが欲しかったのだ
日記に彼はそう記している。
そして運命の1955年7月7日。彼は一人の男と出会う。
フィデル・カストロ。一目で互いを気にいった二人は
その後、キューバ革命政権を樹立する。
旅はときに、自分への小さな革命になる。