佐藤延夫 12年8月4日放送



オリンピックの話/桜井孝雄

オリンピックでは、名言が生まれる。

1964年の東京オリンピック。
桜井孝雄選手は、ボクシングのバンタム級で金メダルを獲得した。
直後、記者からこんな質問を受ける。
「感激の涙が見られませんが?」
それに対し、桜井選手はこう答えた。

 水を飲まなかったら、涙の出ようがないですよ。

過酷な減量があったから、
粋なコメントが生まれたのかもしれない。


harrymoon
オリンピックの話/釜本邦茂

オリンピックでは、本音が聞こえる。

1968年のメキシコオリンピックで
男子サッカーは、銅メダルを獲得した。
当時、プロの選手は出場できなかったため、全員がアマチュアだった。

「あなたたちは、プロ並の練習をしているのか?」
海外の記者からの質問に、7得点をあげた釜本邦茂選手は、こう答えた。

  我々はみんなビジネスマンだ。
  8時間、会社の仕事をして、そのあとで練習をしている。

そう。スポーツマンは、誇り高きビジネスマンでもあるのだ。



オリンピックの話/金栗四三

オリンピックでは、事件が起こる。

これは今からちょうど100年前、
1912年のストックホルムオリンピックでの出来事だ。

マラソン日本代表の金栗四三(かなぐりしそう)選手は、
レース途中で意識を失い倒れてしまう。
目を覚ましたのは翌日のことで、
記録上は、競技中に失踪、行方不明と扱われた。

それから月日は流れる。
ストックホルムオリンピック55周年を祝う式典で、
委員会は金栗選手を招待し、行方不明になった場所からレースを再開させた。

オリンピック正式記録。
54年8ヶ月と6日、5時間32分20秒3。
ゴール後に彼は、スピーチでこんなコメントを残している。

  長い道のりでした。この間に孫が5人できました。

オリンピック史上、最も遅いマラソン記録。
感動とユーモアに満ちたこのタイムは、今後誰にも破られることはないだろう。



オリンピックの話/富山英明

オリンピックでは、なにかが終わり、なにかが始まる。

1984年、ロサンゼルスオリンピック。
男子レスリング57キロ級決勝の舞台に立っていたのは、
富山(とみやま)英明選手だった。

 やっと12年が終わった。これが現役最後の試合です。

金メダルを獲得したときのコメントは、いかにも苦労人らしい。
ちなみに、記念写真のときにメダルを噛む、
今ではお決まりになっている仕草は、
この人が最初に始めたという説がある。


AirmanMagazine
オリンピックの話/加藤喜代美

オリンピックでは、予想外のドラマが生まれる。

1972年のミュンヘンオリンピック。
男子レスリング代表の加藤喜代美選手は、
試合以外でも日本中を驚かせた。
羽田空港まで見送りにきた婚約者に、
突然プロポーズをしたのだ。

 帰ったら式を挙げよう。体育の日なんてどう?

そして加藤選手は、金メダルを獲得。
日本中は、二度驚かされた。



オリンピックの話/遠藤幸雄

オリンピックでは、英雄が現れる。

ローマ、東京、メキシコと3度にわたり
金メダルを獲得した、男子体操の遠藤幸雄選手。

その生い立ちは、決して恵まれたものではなかった。
小学3年生のときに母親を亡くし、
中学生になると養護施設に預けられた。
体操と出会ったのも、そのときだった。

大学在学中、日本代表に選ばれ数々の国際大会に出場し、
東京オリンピックでは、日本人初の個人総合優勝を果たす。
遠藤選手は、こんなコメントを残した。

 私はその感動で泣いたのです。
 私の涙は金メダルの涙ではない。
 自分に勝てた感動で涙をこぼしたのです。

彼は、亡くなるまで養護施設への援助を続けていたという。
本物の伊達直人が、ここにいた。

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