Chris Gionet
~追悼ピニンファリーナ~
カーデザイナーの哲学①「ピニンファリーナ」
2012年7月3日、
世界最高のカーデザイナーがこの世を去った。
イタリア随一のデザイン工房
「ピニンファリーナ」の二代目、
セルジオ・ピニンファリーナ。
創業者である父から
工房を受け継いだ彼は、
そのデザイン哲学をさらに押し進め、
フェラーリなど数々の名車を世に送り出した。
イタリア、トリノにある
ピニンファリーナ本社に飾られた
父バティスタの肖像には
こんな言葉が刻まれている。
イタリアンスタイル。
それはバランスの美しさとシンプルさ、
そして線の調和である。
その美しさは時代を超えて生き続け、
決して記憶の中にだけ
留まるものであってはならない。
ピニンファリーナは、
車を単なる移動の手段から、
科学と美の融合体にまで昇華させた。
rnair
~追悼ピニンファリーナ~
カーデザイナーの哲学②「フィオラバンティ」
スーパーカー時代のフェラーリをデザインした男、
レオナルド・フィオラバンティ。
スポーツカーは速くなければならない。
彼にとってデザインとは、
すなわち「速さ」であった。
エンジンは車体の中央にあるべきだと考えた彼は、
社長にそのことを進言。しかし答えはノー。
すると彼は内緒で試作車を制作、
強引に承認をもらう。
このデザインがもたらす速さによって、
フェラーリは現在の地位を築くことができた。
デザインとはときどき「闘い」でもある。
Charles01
~追悼ピニンファリーナ~
カーデザイナーの哲学③「ジウジアーロ」
カーデザイナー、
ジョルジェット・ジウジアーロは
デザイン画を描いたことがない。
アイデアを頭の中で育てると、
紙には立体図で表現した。
実現不可能なデザインを描いても
意味がないからだ。
彼は言う。
デザインを進化させるには、
人との出会いを大切にし、
いい関係を築き上げること。
絵が描けるだけじゃダメなのさ。
彼は常にエンジニアとの対話を重視した。
面白いことを思いつくのは誰でもできる。
それを実現させてこそ、
真のアイデアと言えるのだ。
DryHeatPanzer
~追悼ピニンファリーナ~
カーデザイナーの哲学④「ガンディーニ」
世間をアッと言わせること。
頭にはそれしかなかったよ。
そう語るのは、
史上最も有名なスーパーカー、
ランボルギーニカウンタックの生みの親、
マルチェロ・ガンディーニ。
デザインにあたって制約は何もなかった。
マーケティングも多数決もなし。
誰にも邪魔されず、車への情熱を、
自由に形にできる環境がそこにはあった。
デザインが純粋だったからこそ
カウンタックは、
遠い日本の子供たちの
純粋な心を虜にできたのだと思う。
Alexxsandro
~追悼ピニンファリーナ~
カーデザイナーの哲学⑤「ベルトーネ」
車づくりにおいて、
エンジニアだけが大事にされた時代に、
デザイナーの必要性を理解していた男、
ヌッチオ・ベルトーネ。
ジウジアーロとガンディーニの師でもある
彼について、妻シニョーラはこう述べる。
彼は自分の車作りについて
若い子に惜しみなく教えたわ。
自分のDNAが受け継がれてこそ、
本物になれるとわかっていたのよ。
天才を育てるのも、また天才である。
~追悼ピニンファリーナ~
カーデザイナーの哲学⑥「ブーレイ」
伝統工芸とハイテク。
一見正反対な日本の職人技術の結晶。
それらを生かすことこそ、
欧米の真似ではない
日本車づくりの鍵である。
そう語るのは
元三菱自動車デザイン本部長、
オリビエ・ブーレイ。
彼は言う。
水の中を泳ぐ魚は、
自分が水中にいることを知らないし、
その水がきれいかどうかもわからない。
自分しか知らない自分らしさがあるなら、
他人しか知らない自分らしさもきっとある。
いや、もしかすると、
そっちのほうが
本当の自分かもしれない。
Brian Digital
~追悼ピニンファリーナ~
カーデザイナーの哲学⑦「中村史郎」
デザインはスピーチだ。
明確にスパッと述べるのがかっこいい。
そう語るのは日産のデザイン本部長、中村史郎。
細身のスーツに身を包み、
メガネからシャツ、ネクタイ、
靴下、靴に至るまで、色合わせも完璧。
ベストドレッサー賞も受賞した彼が、
車のデザインで最も大切にするもの。
それは、統一感。
家族にはどこか共通点があるように。
生み出されるすべての車にも、
作り手の想いが
貫かれていなければならない。
だからこそ、と彼は言う。
人に興味を持つこと。
感情、文化、社会の動きを理解すること。
それが愛されるデザインをする上で一番大切。
キレイな形を作るだけではダメなんです。
どんなにいいスピーチも、
聴く人の気持ちを考えて話さなければ、
心には響かない。