名雪祐平 12年9月30日放送



パラリンピックの父、子 ルードヴィヒ・グットマン③

64年前も、ロンドンオリンピックだった。

1948年。つい3年前までの第二次大戦で国のために戦い、
下半身不随となった若い障害者たちに、
イギリス社会は目を閉ざし、
華やかなオリンピックのほうばかり見ようとしていた。

若者たちの医師であった
ルードヴィヒ・グットマンは真剣に企んでいた。

 世界が戦後初のオリンピックに沸く。
 車椅子の若者にも参加する資格がある。

そう考え、自分たちのストーク・マンデヒル病院で
車椅子の患者による競技会を開催した。

それはまさしく1948年7月28日。
ロンドンオリンピック開会式と同じ日だった。

参加選手はわずか16人。
それでも、その後も毎年開催された。

4年後の1952年。オランダを加えた国際大会となった。

12年後の1960年。オリンピックが開催されたローマで、
23カ国400人が参加。
これが実質、第1回パラリンピックとなった。

64年後の2012年。
発祥の地に戻ってきたロンドンパラリンピック。
史上最大の164の国と地域、4280人の選手が参加した。

すでに他界していたパラリンピックの父、
グットマン医師はいなかった。

けれども、16人で始まったパラリンピックのふるさと、
ストーク・マンデヒル・スタジアムには
グットマン医師の娘エバさんが姿があった。

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