2012 年 10 月 のアーカイブ

小野麻利江 12年10月7日放送



色のはなし ターナーのパレット

イギリス・ロマン主義の画家、
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。
西洋絵画史初の本格的な風景画家の1人。

彼が描く水彩画の特徴は
明るい色彩をちりばめた、
空気感のある風景表現。

そのため彼のパレットは、
透明度の高い色であふれていた。

好んで使った色は、黄色。
現存する彼の絵具箱の大半が、
黄色系統の色で占められている。

それとは逆に、非常に嫌っていたのが、緑色。
緑を極力使わないよう、苦心したという。

 木を描かずに済めばありがたい

知人の1人にそう漏らしたという逸話さえ、残っている。

緑が嫌い、木が嫌い。
それでもターナーは風景画家でありつづけた。

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石橋涼子 12年10月7日放送


カノープス
色のはなし 志村ふくみの色

紬(つむぎ)の重要無形文化財保持者でもある
染織(せんしょく)作家、志村ふくみ。

染めるという行為は植物から色を「いただく」ことだと
彼女は考える。
植物が、花を咲かせ芽を吹くために体内に蓄える、
その命の色を「いただく」のだと考えている。

例えばピンク色は桜の木の皮から煮出してつくるのだが、
9月の桜の木と、
3月の花が咲く直前の桜の木からいただく色は
まったく違うと彼女は言う。
3月のピンクは、花を咲かせるために
樹木に蓄えられた命の色が匂い立つのだ、と。

志村ふくみが
自然から色をいただく姿勢は、
謙虚で厳粛であると同時に、激しく情熱的だ。

90歳を目前にした今も
染織作家として活動し続ける彼女はこう語る。

 植物から色が抽出され、媒染されるのも、
 人間がさまざまの事象に出会い、苦しみを受け、
 自身の色に染めあげられていくのも、
 根源は一つであり、光の旅ではないだろうか。

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茂木彩海 12年10月7日放送



色のはなし  黒澤明の椿

巨匠、黒澤明は色にもこだわる監督だった。
昭和37年公開、モノクロ映画『椿三十郎』。

撮影中、黒澤はふと思う。
椿の花だけ、赤くできないだろうか

そこで、赤い椿をすべて墨で黒く塗り、
白い椿とのコントラストを強めることで白黒の世界に、
赤い椿を咲かせてみせた。

色だって型にはめない。それが黒澤流。

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茂木彩海 12年10月7日放送



色のはなし 色の住人ポロック

床に広げた紙に、筆につけたペンキを上から垂らしたり、
飛ばしたりしながら
その色を重ねて、絵画にしていく。
今だからこそよく見られる、ポーリングという技法。
この技法を一番最初に使用し、世界を驚かせた画家がいる。

ジャクソン・ポロック。
44歳でこの世を去った、アメリカを代表する画家。

画家としての活動をはじめてから間もないころ、
ある仕事で、尊敬していたメキシコ壁画運動を行う作家の助手を務め
巨大な壁にスプレーやエアブラシで描くその姿に唖然とした。

直接筆を持ってキャンバスに向かえば、
どうしたって意識的に線を描いてしまう。
筆を地面に着けずに色だけを落とすことで
無意識の世界が描けるのではないか。

そうしてポーリングという技法にたどり着いたポロックは、
ついにアメリカ抽象絵画の頂点に立つ。

このころ描かれた伝説の最高傑作
「インディアンレッドの地の壁画」には、
現在200億円の値が付けられている。

ポロックは言う。

 絵のまわりを歩き、四方から制作し、
 文字通り絵のなかにいることができるのだから、
 わたしは絵をより身近に、絵の一部のように感じられる。

色の中に住む画家ほど、
画家に嫉妬される者はいないだろう。

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熊埜御堂由香 12年10月7日放送


Thomas Hawk
色のはなし  ハッピーホ―リ!

インド全土で、春のあるいち日だけ。
人々が壮大に絵の具を掛けあう
ホーリーとよばれるお祭りがある。
人も車も犬も牛も、街中が
たちまちカラフルに汚れていく。
けれど怒りだすひとなんていない。

その日の合言葉は、
ハッピーホーリー!

色、色、色の世界の中で
みんなが、無邪気に遊ぶ日だ。

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熊埜御堂由香 12年10月7日放送


KYR
色のはなし  生命の色

 どんな色も生命の色だと思う。
作家富岡多恵子は言う。
 だから移ろいゆく
 夕方の空の色を
 いまだにうまく言いあらわせない

と言う。

夕焼けを真っ赤だと、簡単に言わない
77歳の作家は、真摯な言葉を紡ぎ続ける。

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薄景子 12年10月7日放送



色のはなし やなせたかしの赤

やなせたかしの代表作、
「アンパンマン」がブレイクしはじめたのは
60歳を超えてからだという。

それまでの人生は、決して順風満帆ではなかった。
幼いころから劣等感に悩み、戦争も経験し、
仲間たちが次々と漫画家として売れていく日々。

悶々としていたある日、
夜中に冷たい手を懐中電灯で
温めながら仕事をしていた時。
ふと見ると、手に真っ赤な血が透けているのに彼は気づく。

自分がどんなときでも、血は赤々と流れている。
その驚きとよろこびを、あの歌詞にこめた。

 手のひらを太陽に すかしてみれば
 まっかに流れる ぼくの血潮

93歳の今もなお、第一線で働くやなせは言う。

 諦めさえしなければ、人生は必ず何とかなる。

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佐藤延夫 12年10月6日放送


ハッピーナイン
ショートショートの神様1

小説家というものは、昔から文章が上手だったに違いない。

そう思っている皆さんへ。
これは、ショートショートの神様と言われる
星新一が書いた、小学生のときの作文だ。

  夕ごはんがすんでから、そこらを散歩してこようと思つて
  公園の方に行つたら、へんな道を見つけた。
  その道をずんずん上つて行くとケーブルカーのせんろのそばへ出た。
  公園上から向かふへわたつて、えきの中を通つてかへつた。

事実だけを淡々と記したこの作文は、
感情表現がない、と先生からお叱りを受けたそうだ。
しかし、この短い文章が、のちに類い希なセンスへと変わっていく。

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佐藤延夫 12年10月6日放送


ハッピーナイン
ショートショートの神様2

ショートショートの神様、星新一。

彼が初めて世に出したSF小説は、「セキストラ」。
電気性処理器がもたらす世界平和を描いた作品だ。
新聞記事の切り抜きや雑誌の記事、
電報などを切り貼りして繋ぎ合わせた実験的な小説で、
その評判は、ある男の耳にも届くことになる。

  先生、ついに天才がひとり出ました。

その先生というのは、江戸川乱歩。
星新一は、ミステリーの天才を味方につけた。

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佐藤延夫 12年10月6日放送


masaaki miyara
ショートショートの神様3

ショートショートの神様、星新一は、
言葉に対して、独特のポリシーを持っていた。

ことわざのような常套句や駄洒落を嫌う。
固有名詞や流行言葉、時事用語を避ける。
登場人物は、エヌ氏、エフ氏など架空の名称にする。
名前らしいものにすると、読者によってイメージが変わってしまうからだ。

もうひとつ大切なもの。
それは、彼が繰り返し語っていた言葉に現れている。

  健全な常識があってこそ、
  常識の枠を取り外した意表を突くアイデアが生まれる。

ただの変人では、数々の名作は生まれないのかもしれない。

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