2012 年 11 月 のアーカイブ

大友美有紀 12年11月17日放送



パウル・クレー「食卓の言葉」
ゾフィー

チュニジア旅行から戻った画家クレーは、
無名ながらも絵を描き続ける。
しかしそれも、第一次世界大戦で中断。
兵士となって家を離れることになる。
クレーは、家族の食事の心配をし、
ゾフィーという女性に家事を頼む。
戦争中の彼の日記には、軍務についての記述や、
芸術への深い思索が綴られている。
もちろん家族への愛情も。

 3月14日。やっと手紙が来た!
 手紙がこんなに嬉しいものだとは!
 ただ、手紙の調子がちょっともの悲しすぎる。
 フェリックスは、ゾフィーは料理が上手だと言う。

嫉妬しているのである。

topへ

大友美有紀 12年11月17日放送



パウル・クレー「食卓の言葉」
アトリエ・レストラン

第一次世界大戦後、クレーはカンディンスキーとともに
総合造形学校バウハウスに招聘され、
画家として安定した暮らしを手に入れる。
数年後、学内の政治問題の負担に疲れ、バウハウスを去る。
家族と離れて暮らす土地でアトリエを構え、
そこにも料理場をこしらえた。
その様子を妻リリーへの手紙で伝えている。

 僕のアトリエ・レストランは、とてもすてき。
 今日は若鶏に野菜炒め、天下一品の味。
 アトリエには、いま水彩画とスケッチが壁いっぱいにかかり、
 生き生きとしています。そこに上等な若鶏の匂いがただよって
 欠かせないものとなっています。

topへ

大友美有紀 12年11月17日放送



パウル・クレー「食卓の言葉」
ゲルストット

1920年から30年にかけて
画家として黄金期をむかえたパウル・クレー。
しかし、近代芸術を退廃的なものと見なしたナチスに
突然、家宅捜索され、迫害される。
クレーは故郷ベルンのあるスイスへの亡命を決意する。

クレーの日記は、バウハウス時代から途絶えていたが、
スイスへ移り住んだ後の、メモ書きのようなものが残っている。
幼い頃からヴァイオリンの名手だったクレーは、
晩年、演奏と食事を楽しみに日々を過ごしていた。
1935年、55歳の時のある1日。

 1月3日木曜日。ロートマールのところで弦楽四重奏、
 シューベルトのト長調。チェロはガンギエ嬢。
 クンスハストでクリスマス市。ゲルストット、カリフラワー、
 ミックスサラダ。調理時間44分。バター、玉ねぎ、ニンニク少々、
 セロリー10分フタをして蒸す。大麦をきつね色に炒め、
 熱湯を注ぎ、最後にチーズ。

ゲルストットとはクレーの造語。「ゲルスト」はドイツ語で大麦。
トットはおそらくイタリア語のトゥット「たくさん」からきているのだろう。
再現してみると、やさしい味わいの大麦スープになる。
スイスに亡命し、妻リリーと質素に暮らす中の、愛情を感じる料理だ。

topへ

TCC50周年特設サイトが登場しました

TCC50周年特設サイトの登場です。
この1年、50周年のために実行された企画、実行中の企画が
一望できます。

http://www.tcc.gr.jp/50th/

topへ

こっちを向いてくれない(猫愚痴 23)

細い道一本隔てた向こうを縄張りにしている甲斐くんだとおもうのだが
なにしろこっちを向いてくれない。
お〜い、甲斐くんっ!
名前を呼んでも振り向いてくれない。
いつも挨拶しているのにこの日はどうもご機嫌が悪かった。

日なたぼっこの邪魔をしたのかしら。
甲斐くん、甲斐くんってば!
返事もしてくれなかった。

こんどオヤツ持ってくるから、と言ってもダメだった。
こういうとき、猫がかたくなだと思う(玉子)

topへ

古居利康 12年11月11日放送



左手の話 ①レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチは
左利きだった、という説がある。

数多く残されたデッサンをよく見ると、
斜線の筆致が、ほぼすべて、
左上から右下の方向に走っている。

右利きの人間がそのような方向へ
筆を運ぶのは不自然であり、無理がある、
というのが、ダ・ヴィンチ左利き説の
根拠になっている。

topへ

古居利康 12年11月11日放送



左手の話 ②宮本武蔵

宮本武蔵は、
絵を描くのが好きだった。
その腕前は、武芸者の余技を
はるかに超えるものだった。

彼が残した水墨画の
墨の濃淡から、
宮本武蔵は左利きだった、
と唱える人がいる。

武蔵が描く線は、
右側が濃く、左側が薄いことが多い。
筆で線を書いてみるとわかるが、
右利きの人間ならその逆になる。

このあたりから、
宮本武蔵は左利きだった、
という説が生まれた。

topへ

古居利康 12年11月11日放送



左手の話 ③天才たち

人間の脳は左右に分かれていて、
右脳が左半身を、左脳が右半身を司っている。
左右が交差するかたちだ。

右脳は音楽脳とも呼ばれ、
視覚・聴覚などの五感を認識し、
空間認知なども受けもっている。
左脳は言語脳とも呼ばれ、
言葉や文字などを認識し、
論理的な思考に展開する。

左利きの人は左手をよく動かすので、
右脳の働きが活発になり、
結果、感性が豊かになる。
天才に左利きが多いのはそのためだ、
と主張する向きもあるが、
科学的な根拠はなく、俗説の域を出ない。

ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、
ニュートン、ベートーベン、
アインシュタイン、ピカソ…。

左利きだったと伝えられる
そうそうたる天才たちの名を並べると、
左利き天才説を信じたくなってくるのだが。

topへ

古居利康 12年11月11日放送



左手の話 ④ジョージ6世

『英国王のスピーチ』という映画がある。

英国王ジョージ6世が吃音症を克服する
姿を描いてアカデミー賞を獲った。

左利きだった王は幼少時、
父・ジョージ5世から左利きを
むりやり矯正される経験をもつ。

食事のとき、息子の左手に
長い紐を結びつけ、左手を使った場合、
父が乱暴に引っ張って注意した。

この幼児体験がジョージ6世を
ストレス過多にし、内向的にし、
吃音症に悩む原因になったといわれている。

topへ

古居利康 12年11月11日放送


Helge Øverås
左手の話 ⑤デヴィッド・ボウイ

「左手で絵を描いたり字を書いたりすると、
まわりの連中が『こいつは悪魔だ!』と、
私をからかったことを、
いまでもはっきり覚えている」

そう語ったのは、デヴィッド・ボウイ。
左利きであるだけで差別を受けた
みずからの経験。
こんなことも語っている。

「教師は右利きにさせようとして
私の手をひっぱたいたものだ。
そう、かつてはイギリスでも
左利きは忌まわしいものとされていたんだ」

左利きをむりやり右利きに直されたのは、
英国王だけではなかった。

箸をもったり、鉛筆をつかったりするのは
右手で。という社会通念が、
かつて日本にもあった。漢字もひらがなも
右手で書くことを前提につくられている。
左手で毛筆をもって縦書きの文字を綴るのは
なかなか難儀なこと。そんな文化のありようが
左利きをあまり歓迎しなかった。

英国の場合、宗教上のなんらかの理由もあり、
左利きの存在をゆるさない空気があった。

topへ


login