2012 年 12 月 のアーカイブ

佐藤理人 12年12月15日放送



力道山⑦「最後の酒」

「日本国、力道山様」

そう書くだけで
本人に手紙が届く時代があった。
どこへ行っても常に
国民的英雄でいなければならない。
重圧のあまり力道山は酒に溺れた。

ある日のこと。大相撲協会から
初の海外巡業に参加して欲しいと頼まれた。
かつて自分に冷たくした奴らが頭を下げている。
久々に上機嫌で酒を飲んだその夜、
力道山はナイフで腹を刺された。
きっかけは足を踏んだ踏まないの、
本当につまらないケンカだった。

49年前の今日、「日本プロレス界の父」
力道山は39歳の若さでこの世を去った。
戦後最大のジャパニーズドリームを体現し、

天皇の次に有名な男

と呼ばれた男の悲しすぎる最期だった。

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0歳6カ月の育児の話し。

すーさん(美少年でぶ)はそろそろ6カ月。

年末年始も近づき、お酒でも飲んじゃうぜ!
と、浮かれ張り切るおかあさん。
まずは下準備と、すーさんに久しぶりにミルクを飲ませました。

すると、あら不思議。
全身に広がる赤い湿疹。

慌てて皮膚科に駆け込んだところ
「牛乳のアレルギーかもネ」
とおっしゃるおじいちゃん先生。

アレルギー???

私も夫もアレルギーを持っていなかったので、
すっかり油断していましたね。
後日、血液検査をして頂いたところ、しっかり出ました。
牛乳、卵白、卵黄。
3つも出た。
わお。

6か月を機に離乳食を始めたところだったので、
夫とは、このタイミングで気づいて良かったねという話しに。

しかしおかあさん苦悩・・・。

なぜなら、私。

お酒をガマンする代わりに
ほぼ毎日、
ケーキを食べていたのです!
生クリーム!バター!クッキー!カスタード!!!

親の因果が子に報いたのでは・・・!!

う、うわーん!!!

とりあえず反省の意味も込めて(今さらですが)
おかあさん、卵と牛乳を断ちました。

あ、もちろん、すーさんの離乳食も
卵&牛乳除去です。

幸い、アレルギーの数値は高くなく。
1歳までは除去食にして、
3歳くらいまでに、徐々に
卵と牛乳を摂れるようにできればいいね
というお医者さんのお話しでした。

すーさんの素晴らしい可能性と付き合うのと同様に、
(アイドルになったらどうしよう、ピアノの才能があるかも、
 スポーツ選手もありかも、なんつって毎日うはうはしてます)
目の前に次々現れる困難にも、付き合っていかなくちゃ。
そして、すこしずつ、すこしずつ、いい方に行ければいいな。と。

さて。
問題はおかあさんです。
出産前は、私の体はほぼお酒とスイーツでできている
と言っても過言ではなかった人間です。
除去3日目にはイライライライラしてしまい
夫を蹴飛ばしてしまうところでした。
実際に蹴飛ばしたかもしらん。

こりゃ無理、と思って、
改めて保健士さんにお話しを聞きに行ったところ、
母体の除去食は意味無いよ、母乳に関係無いよ、とのこと。

あ、そうなの・・・。

というわけで以前より控え目に(量ではなく、態度が)
ケーキを食べるようになったおかあさんでした。
もぐもぐ。

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五島のはなし(183)

後輩、とりすくんの五島での結婚式は素晴らしかったのだそうです。
東京から参加した人たちが、ぼくんとこに来て、
「いい結婚式だったよ〜。そして五島はいいところだね」
と言ってくれました。そういうのは、ほんとうれしいです。
あ、とりすくん夫妻にはひさびさの五島名誉島民状を一方的に送りつけたいな。
(名誉島民状は、かつて一方的に、中山佐知子氏に発行された経緯がある)

五島は、観光地として優れた場所ではないです。
行きにくいし、行ったら行ったで移動も大変だし。
沖縄みたいに年中暖かいわけでもないし、
すばらしいリゾート施設があるわけでもない。
でも、そのとっつきにくさの先に五島の良さがある。断言できます。
そういうのを、良いと思ってくれる人に出会うと、ほんとうれしくなります。

ちなみにぼくは、ちかごろ福岡に引っ越しました。
五島に近くなりました。
上の写真は3日前の高浜ビーチ。
北西風が吹きつける五島の冬の海はだれもいなくて、
とっつきにくくて、きれいです。

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高田麦 12年12月9日放送



偶然を集める人 赤瀬川原平

世の中には、
意味のないものを愛でる人がいる。

ただ昇って降りるだけの意味不明な階段、
何を仕切っているのか推察不能なガードレール、
色あせて文字の一部が読めなくなっている看板など…。

70年代、これらの美しさを発見した赤瀬川原平は、
トマソンと名づける。
そして、街中で自分の感性が反応したものに
次々とカメラを向け、採集していった。

今も散歩を続ける赤瀬川の言葉。

 この世は偶然に満ちている。
 街はいづれ老朽化し、その隙間から、
 追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。
 カメラにはそれが美味しい。

何の変哲もない風景も、
見る人間次第でまったく違うものとなるらしい。

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岡安徹 12年12月9日放送



靴を集める人 イメルダ・マルコス

フィリピン共和国第10代大統領夫人、
イメルダ・マルコス。独裁者の妻として、
また驚くべき靴コレクターとして
その名を世界に轟かせた美女。

総数3000足と言われたコレクションは
壁一面のクローゼットを埋め尽くし、
ハイヒールから乗馬用ブーツまで
一生かかっても履ききれないほどを集めた。

ある時、華やかな生活を皮肉られ言われた
「3000足もお持ちとはさぞやご満足でしょう」と。

イメルダはこたえた。
「3000足なんて持っていません。1060足です」と。

一見、皮肉に言い返しただけとも思える一言。
しかしそこに、独裁者という悪名に隠された彼女の素顔が見えた気がする。

それは、靴の一足一足にまで愛着を持って接し、
人生を賭けて美を追究した健気ともいえる姿勢だった。

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岡安徹 12年12月9日放送



人を集める人 坂本龍馬

日本の歴史が大きく動いた、幕末期。
多くの若者が新時代の幕開けを期待し
動乱の渦中に身を投じていた時代。

居並ぶ傑人の中でもひときわ多くの者に影響を与え、
心を惹きつける男がいた。その名は坂本龍馬。

なぜ、龍馬の周辺には多くの人は集まったのか。
その答えに近づく言葉がひとつ残されている。

龍馬曰く
事は十中八、九まで自らこれを行い、
残り一、ニを他に譲りて功をなさしむべし。


花道を譲ること。
簡単そうで難しい、功名心にとらわれない生き方を貫いたからこそ
明治維新という険しい道の真ん中を、龍馬は歩いて行けたのもしれない。

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宮田知明 12年12月9日放送



集めるひと 松下幸之助

経営の神様、と言われた男、
松下電器産業、
現Panasonicの創業者、
松下幸之助。

いかにして、良い人材を集めるか、
という問いに、彼はこう述べている。

一流の人材ばかり集めると、会社はおかしくなる。

世の中、賢い人が揃っていれば
万事うまくいくというものではない。
むしろ、うまくいかないことの方が多い。

松下は、優秀な人材を集めるというより、
集まった人を育てる、という考え方をもっていた。
松下曰く、

 松下電器は、人をつくる会社です。
 同時に、電化製品もつくっています。

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宮田知明 12年12月9日放送



集めるひと 野村克也

再生工場、と言われたプロ野球の名監督、
野村克也。

伸び悩む選手や、他球団で戦力外となった選手、
トレードで獲得した選手を、
コンバートや起用法を変えて活躍の場を与えたことから、
そんな異名がついた。

選手たちを、どうやってうまく導くのかを
聞かれたときの、彼の言葉。

監督業とは、気づかせ業である。

活躍している選手を集めてくるのは、
強いチームだからできること。
そうではないチームだからこそ、
野村の、選手の素質を見抜く力が、
いい選手を集めることにつながった。

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渋谷三紀 12年12月9日放送



集める人 ハーブ&ドロシー

夫のハーブは郵便局員、妻のドロシーは図書館司書。
ふたりの楽しみは現代アートの収集。
選ぶ基準はふたつだけ。
お給料で買える値段。
1LDKのアパートに収まるサイズ。

つつましい暮らしの中で、30年の歳月をかけて。
コツコツ集めた作品は4000以上。

アパートいっぱいに並べられたそれは、
アート史に名を残すミニマルアートや
コンセプチュアリズム・アーティストの名作ばかり。

それは、お金以上に愛情をかけてつくりあげた
ふたりだけのコレクション。
妻のドロシーは、こんなことを言っている。

美意識は人それぞれのものでしょう。
ハーブをハンサムだと思わない人はたくさんいるけど、
私にとってはキュートで魅力的な人なの。

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渋谷三紀 12年12月9日放送



集める人 タモリ

ある漫画家が、
タモリにこんな相談をした。

漫画家の自分がテレビに出ると、
必ずネットで悪口を書かれる。
自分はテレビに出ていいんでしょうか。

タモリは言った。

 出ていいんだよ。でも、
 出るなら見るな。見るなら出るな。だよ。

年下へのアドバイスは難しい。
ただの慰めでも、恩着せがましくてもいけない。

役に立つこと、言ってほしいことを言ってくれる。
タモリが若手の人望を集めてしまう理由が、
わかる気がする。

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