フランシス・ベーコン①「2人のベーコン」
知は力なり
と唱え、学問の体系化に取り組んだ
ルネサンス期イギリスの哲学者、
フランシス・ベーコン。
約300年後の1909年、
彼の子孫がアイルランドに生を受けた。
体が弱く痩せっぽちなその男の子はやがて、
ピカソと並ぶ20世紀を代表する画家になった。
奇しくもその名は偉大な先祖と同姓同名の、
フランシス・ベーコンであった。
フランシス・ベーコン①「2人のベーコン」
知は力なり
と唱え、学問の体系化に取り組んだ
ルネサンス期イギリスの哲学者、
フランシス・ベーコン。
約300年後の1909年、
彼の子孫がアイルランドに生を受けた。
体が弱く痩せっぽちなその男の子はやがて、
ピカソと並ぶ20世紀を代表する画家になった。
奇しくもその名は偉大な先祖と同姓同名の、
フランシス・ベーコンであった。
patrick h. lauke
フランシス・ベーコン②「軍人の父」
アンソニー・ベーコンはいら立っていた。
息子のフランシスがひ弱すぎるのだ。
この間の仮装パーティで見せた女装はひどかった。
背中の空いたドレスを着て
イヤリングをつけた姿なんて女そのものじゃないか。
わが家は3世代続く由緒正しい軍人の家系。
これ以上あんなふるまいを許すわけにはいかん。
その日、寝室のドアを開けたアンソニーが目にしたもの。
それは母親の下着を試着するフランシスの姿だった。
息子がゲイだと知ったとき、
男らしさの塊のような父は何を思っただろう。
1920年代のイギリスで同性愛に対する理解など皆無。
アンソニーが感じたのはただ怒りだけだった。
家を勘当されたフランシスはロンドンに向かう。
自分がやがて20世紀を代表する画家になることなど
知る由もないその胸は、
父から解放された喜びでいっぱいだった。
Cea.
フランシス・ベーコン③「生きる恐怖」
歯をむき出して絶叫する顔。いびつにねじれた肉体。
人間とも動物ともつかない奇怪な生き物。
画家フランシス・ベーコンが描く人物はどれも、
グロテスクにデフォルメされ、破壊されている。
アイルランド独立戦争と
二度の世界大戦を体験したベーコンにとって、
暴力は日常であり、死は身近な存在だった。
彼は言う。
17のときです。道端に犬のフンが落ちていて、
それを見ているうちに突然思ったのです。
これだ、人生とはこういうものだ、と。
自分は今ここにいるけれど、
存在しているのはほんの一瞬であって、
壁に止まっているハエのように
たちまちはたかれてしまうのです。
人間はなんと無力な生き物だろう。
肉体とはただの容れ物にすぎない。
彼にとっては、生きていること、
それ自体が既に恐怖だった。
彼はその恐怖を、
うきうきする絶望
と呼んだ。
Francis Bacon
フランシス・ベーコン④「叫ぶ教皇」
死が人を奮い立たせる。
フランシス・ベーコンの絵には、
常に暴力と恐怖の臭いが漂っていた。
彼が好んで描いた題材に
「泣き叫ぶ教皇」というものがある。
世界中のカトリック教徒を導き、
神の代理人をつとめるローマ教皇。
彼でさえ未知の力を前にして、
赤ん坊のように喚き、断末魔の叫びをあげる。
その絶望した表情は私たちに、
運命に対して人間は等しく無力である、
という残酷な事実を突きつける。
その彼をしても、
新聞やTVを見てごらん。
私が描くものは到底、
今の世界の恐怖には敵わないよ。
と言う。
フランシス・ベーコン⑤「むき出しの本能」
何があなたに描かせるのか?
画家フランシス・ベーコンに
あるインタビュアーが尋ねた。
ベーコンは困った。
いくつもの戦争を経験し、
16歳からその日暮らしをしてきた彼にとって、
理由などなんの意味もなかった。
信じられるのは自分の本能。そして運。
絵描きなら見る物を本能で描くことができるんだ。
自己流で絶望しながら、本能に従って、
あっちに行ったりこっちに行ったりしている
ということだな。
描ける。だから描く。理由なんてない。
作品から一切の物語を排除し、本能のまま
むき出しの感情をキャンバスに叩きつけた
彼らしい答えだった。
Cea.
フランシス・ベーコン⑥「ダイア」
出会いは強盗だった。
ジョージ・ダイアというコソ泥が
一軒の家に忍び込んだ。
そこには金目の物どころか
不気味な油絵と画材しかなかった。
侵入するとき天窓から落ちたせいで、
彼はすぐ家の主に見つかってしまう。
主は言った。
キミは大した泥棒じゃないね。
彼の美しさに気づくと主はこう続けた。
服を脱いでベッドに来たまえ。
何でも好きなものをあげよう。
こうしてダイアは、
画家フランシス・ベーコンの最愛の恋人にして、
最高のインスピレーションになった。
彼を友人に紹介するときベーコンはいつも
こいつは天から降ってきた贈り物さ
と笑って言った。
Cea.
フランシス・ベーコン⑦「人生のギャラリー」
恋人が死んだとき、画家は喝采の中にいた。
1971年パリ。20世紀を代表する画家、
フランシス・ベーコンの大展覧会。
その記念すべき初日、
彼の恋人ジョージ・ダイアは自ら命を絶った。
みんな死んでいく
まるでハエのように
人生の冷徹なギャラリーである彼にとって、
心を病んだ恋人の姿は絶好の観察対象だった。
観察することは距離を置くことだ。
絵を描くときも、生身のモデルではなく
モデルを撮影した写真でデッサンするほど、
被写体を寄せ付けなかったベーコン。
彼の心の扉を開けない無力感が、
ダイアに死を選ばせたのだろうか。
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