名雪祐平 13年1月27日放送
大島渚がいた 3
1960年、大島渚は
3本の映画を公開した。
『青春残酷物語』
『太陽の墓場』
この2本はヒット作となり、
大島は松竹ヌーベルヴァーグの旗手と呼ばれ、
スターになった。
だが、3本目の『日本の夜と霧』は、
公開わずか4日で上映中止になる。
表向きの理由は「不入り」。
実は、時の国家権力から
クレームが入ったといわれている。
60年安保闘争を舞台に
ディスカッションを繰り広げる
前衛的な映画だった。
社会党の浅沼委員長が17歳の少年に刺殺されるという
不穏な世の中の空気のなかで公開された。
そういう時期に、政治状況に対する批判を含む
『日本の夜と霧』の上映に
政治的な横やりがあったという。
無断で上映中止した松竹に、大島は激怒した。
激しく抗議し、会社との契約を破棄。
違約金を払い、松竹を退社した。