2013 年 1 月 のアーカイブ

大友美有紀 13年1月6日放送


あうる
「春の七草」ハコベラ

春の七草のハコベラは、ハコベのこと。
古い歳時記には「野原や道ばたでよくみかけるナデシコ科の雑草」とある。
野原という場所は、東京ではほどんど出会うことはないが、
可憐な白い花をつける姿は、野原の化身のようでもある。
鳥やうさぎの餌にもなる。

 カナリヤの 餌に束ねる はこべかな 正岡子規

英語では、チックウィード、ニワトリの雑草と言う名がついている。
日本でもヒヨコグサ、スズメグサと言われることもある。

それがどうして、七草の仲間入りをしたのか。
昔から薬草として使われていたらしい。
ミネラルなどの栄養を豊富に含んでいるようだ。
昔はハコベの汁に塩を加えて焼き、粉にしたものをハコベ塩といい
歯磨きに利用したらしい。
弱々しくみえて、生命力のある植物なのかもしれない。

 石垣に はこべの花や 橋普請 永井荷風

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大友美有紀 13年1月6日放送


風々堂くも
「春の七草」ホトケノザ

七草のホトケノザ。キク科の植物。
円座をなして地面にはりつくように映えている。
その中心には、黄色い花が咲く。その姿からついた名前

 野寺あれて 跡にやはゆる 仏の座 貞徳

実は、ホトケノザはもうひとつある。
茎の先端を囲むように葉がつき、赤紫の小さな花が幾つもつく。
シソ科の植物なので、七草にいれると、味わいが変わってしまう。

七草のほうのホトケノザは、田平ら子(たびらこ)とも言う。
お間違えなく。

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大友美有紀 13年1月6日放送


風々堂くも
「春の七草」スズナ

スズナは、鈴の菜と書く。カブのことである。
その根が鈴のように見えたことからついた名だという。
神を呼ぶ鈴、と言われてもいる。

 すずなと言ひ すずしろといひ 祝ひけり 下村梅子

カブはジアスターゼが豊富。疲れた胃を休めてくれる。
七草は、細かく刻んで、柔らかく炊いたごはんと、コトコト煮る。
その時間も滋養になる。

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大友美有紀 13年1月6日放送


どら猫
「春の七草」スズシロ

大根、冬によく似合う野菜である。
ブリ大根、おでん、ふろふき大根、湯気と出汁、温かい夜を思わせる。
その大根は、春の七草ではスズシロ、と呼ばれる。
清らかに白い、と書く。汚れのない新春を迎えるにふさわしい名だ。
もともとは野生の大根を用いたようだ。
宮中で昔、元日に鏡餅の上に置いたので、鏡草とも言われていた。

 大根を 刻む刃物の 音つづく 山口誓子

七草は、六日の晩に叩いておくもの、だそうだ。

 せり なずな ごぎょう はこべら
 ほとけのざ すずな すずしろ
 これぞ ななくさ

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佐藤延夫 13年1月5日放送


Mourner
佐村河内守さんの生き方1

今までピアノを習った人なら、
誰でも一度は開いた、おなじみの教本がある。

赤のバイエルと、黄色のバイエル。

広島に住む、才能豊かな四歳の少年は、
この二冊をわずか四ヶ月でマスターした。
いつもお母さんは隣に座り、
ミスタッチをすると、竹の物差しで手を叩いたという。
それでも少年は、ピアノを弾ける喜びに包まれていた。

作曲家、佐村河内守さんが思い出すのは、お母さんのこんな言葉だ。

  基本をおろそかにして、この先泣くのは、あなたです。

それは、全ての人生に通じる、愛の鞭。

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佐藤延夫 13年1月5日放送


alika89
佐村河内守さんの生き方2

作曲家の佐村河内守さんが
幼少時代に感銘を受けた曲は、
ベートーヴェンの「悲愴」だった。

叱られることを覚悟で、
「この曲を教えてください」と頼むと
いつも厳しいお母さんの表情が和らいだという。

朝6時から、復習レッスンを一時間。
学校から帰宅して5時から6時までレッスン。
夕食後に課題練習とレッスンを2時間。

こんな暮らしを続ける少年に、
練習曲とは大きく違う「悲愴」の音色は、
とても優しく聞こえたに違いない。

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佐藤延夫 13年1月5日放送


K YR
佐村河内守さんの生き方3

作曲家、佐村河内守さんとお母さんの
二人三脚のレッスンは、何年も続いた。

小学二年生になると、一年かけてバッハ作曲の「インベンション」を学び、
三年生では「ソナタ」と「コンチェルト」へ。

難関だったソナタを全て制覇した夜、
いつも標準語で指導するお母さんが、こう言ったそうだ。

  今日までよう頑張ったね。
  明日であんたは、お母さんを抜くじゃろう。
  もうお母さんがあんたに教えてあげられることは、なくなったんよ。

標準語は、指導者としての言葉。
広島弁は、優しい母からの言葉。

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佐藤延夫 13年1月5日放送



佐村河内守さんの生き方4

音楽家を志す少年が、
常に品行方正で、おとなしい性格とは限らない。

中学時代、喧嘩に明け暮れていたのは、
作曲家の佐村河内守さんだ。

音楽なんて女性がやるものだ、という恥じらいから、
学校では楽器を習っていることを隠し通した。
反面、毎日2時間のピアノレッスンのほか、
夜中まで管弦楽の知識学習を続ける。
母から教わることは全て教わったので、すべて独学で。
音楽関係の本を読み漁るほど、彼の心は飢えていた。

そして高校二年のときに、家出を決意する。
広島を出て、東京で音楽を学ぶための家出だった。
洋服上下に、下着と靴下、石鹸をひとつ。
それに五線紙と筆箱を入れると、ボストンバッグは一杯になった。

結局、この家出は未遂に終わったが、
少年のボストンバッグの中には、
「交響曲をやりたい」という夢が詰まっていた。

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佐藤延夫 13年1月5日放送


itou
佐村河内守さんの生き方5

作曲家の佐村河内守さんは、音楽大学を出ていない。
もちろん、これには理由がある。

膨大な量の専門書で独学を重ねてきたので、学ぶことはない。

特定の教授に師事すれば、自分の作風が偏ってしまう。

クラシック音楽の作曲家という壮大な夢を持つ少年は、
音大進学というレールを拒絶し、独学の道を選んだ。

数々のアルバイトを渡り歩き、
時折襲いかかる偏頭痛とも戦いながら、
モグリの作曲家として、少しずつチャンスを手にしていく。

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佐藤延夫 13年1月5日放送



佐村河内守さんの生き方6

作曲家、佐村河内守さんは、
35歳のとき、全ての聴力を失ってしまう。
迫り来る絶望と恐怖の中で、彼は、ひとつの試みをする。

ベートーヴェンの「月光」を頭の中で流し、
その旋律を五線譜に書き記す。
あとで楽譜と照合すると、一音も間違っていなかったという。

音を失っても、絶対音感は消えない。

その自信を糧に、彼は音楽の在処を見つけていく。

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