よっちん
「自由律俳句・尾崎放哉」一人
咳をしても一人
寂しい句である。けれど、あっけらかんとしている。
作者は尾崎放哉。自由律俳句を極めた表現者。
東京帝国大学卒業、生命保険会社勤務。
エリートサラリーマンだった。
束縛された人生を嫌い会社を辞め、妻と別れ、
自由を求め、寺男となり、一人きりであることを望んだ。
たった一人になり切って夕空
4月7日は放哉忌。
よっちん
「自由律俳句・尾崎放哉」一人
咳をしても一人
寂しい句である。けれど、あっけらかんとしている。
作者は尾崎放哉。自由律俳句を極めた表現者。
東京帝国大学卒業、生命保険会社勤務。
エリートサラリーマンだった。
束縛された人生を嫌い会社を辞め、妻と別れ、
自由を求め、寺男となり、一人きりであることを望んだ。
たった一人になり切って夕空
4月7日は放哉忌。
「自由律俳句・尾崎放哉」帽子
自由律俳句の尾崎放哉。
帽子が嫌いで嫌いでしかたなかった。
学生時代は、いつも着物の懐に押し込んでいた。
厳格な父のもとに育った彼は、
帽子を、頭を押さえつける不自由なもの、
と感じていた。
冬帽かぶってだまりこくって居る
そのうえに或る、空を望む気持ちがあった。
大空の ました帽子かぶらず
帽子に象徴される、束縛があって、
そこから逃れようとする表現が生まれてくる。
「自由律俳句・尾崎放哉」即物的
入れものがない両手で受ける
放哉の句は、即物的で客観的だ。
ひとりよがりや自己陶酔を嫌い、
感情や抽象的な表現を削り落とした。
理屈も嫌い、ぐずぐずしたことも嫌い。
自分がいかに大胆で、きっぱりした性格かを
友人、知人に表明している。
あらしがすっかり青空にしてしまった
すたすた行く旅人らしく晩の店をしまう
削ぎ落としたからこそ、
「すっかり」「すたすた」に放哉の感情が表れる。
ツイッターやフェイスブックでのコミュニケーションに
慣れ始めた私たちも、簡潔にして、なお、心を伝える、
放哉の表現に学ぶところがあるだろう。
「自由律俳句・尾崎放哉」母
尾崎放哉は、鳥取の士族の出の家に
生まれた。
裁判官書記の父は、非常に厳格。
それを支える母は、慈愛に満ちていた。
待望の跡継ぎとして、甘やかされ、
大切に育てられた。
漬物桶に塩ふれと母は産んだか
孤独を求める放哉の、甘えん坊が見えている。
きんちゃん
「自由律俳句・尾崎放哉」山と海
分け入っても分け入っても青い山
種田山頭火、尾崎放哉と並び称される自由律俳句の詩人。
山頭火の山好きに対して、放哉は海が好きだった。
何か求むる心海へ放つ
海は慈母のように自分をあたたかく包んでくれる。
海を見ていると心が休まると言う。
山頭火が自らを追い込むように放浪に出たのに対し、
放哉は束縛から逃れ、自由と孤独と安住の地を求め彷徨った。
晩年、彼が移り住んだ庵は、全て海のそばだった。
障子あけて置く海も暮れ来る
放哉は、山頭火より3歳年下であったが、
14年も早く亡くなっている。
放哉へのオマージュともいえる、
山頭火の句がある。
鴉(からす)啼いてわたしも一人
孤独の魂は、孤独を惹き付ける。
Molly Des Jardin
「自由律俳句・尾崎放哉」窓
海が好きだった尾崎放哉は、
心を解き放ってくれるものとして、
窓も好んだ。
窓あけた笑い顔だ
晩年の作。
子どもを詠んだとも、
笑い合う気持ちを詠んだとも
解釈されている。
この句のリズム、その開放感を
楽しむだけでいいのかもしれない。
「自由律俳句・尾崎放哉」恋
世俗を捨て、妻とも別れ、
孤独の淵に身を沈めていった尾崎放哉。
けれど、女性らしさ、女性の美しさから
目をそらすことはできなかった。
わかれを云いて幌おろす白いゆびさき
凝縮した言葉、その奥にある物語、切なさ。
「自由律俳句・尾崎放哉」ユーモア
厭世的で自由と孤独を渇望した尾崎放哉。
乾いた寂しさの中に、くすりと笑えるような句もある。
銅像に悪口ついて行ってしまった
底が抜けた杓で水を飲もうとした
ねそべって書いて居る手紙を鶏に覗かれる
放哉は肺を病み
大正15年4月7日小豆島にて、没する。
望んでいた一人っきりの時間を手に入れて、
海のそばで句作に明け暮れた晩年、
放哉は幸福だったのかもしれない。
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