2013 年 4 月 のアーカイブ

大友美有紀 13年4月7日放送


Molly Des Jardin
「自由律俳句・尾崎放哉」窓

海が好きだった尾崎放哉は、
心を解き放ってくれるものとして、
窓も好んだ。

 窓あけた笑い顔だ

晩年の作。
子どもを詠んだとも、
笑い合う気持ちを詠んだとも
解釈されている。
この句のリズム、その開放感を
楽しむだけでいいのかもしれない。

topへ

大友美有紀 13年4月7日放送



「自由律俳句・尾崎放哉」恋

世俗を捨て、妻とも別れ、
孤独の淵に身を沈めていった尾崎放哉。
けれど、女性らしさ、女性の美しさから
目をそらすことはできなかった。

 わかれを云いて幌おろす白いゆびさき

凝縮した言葉、その奥にある物語、切なさ。

topへ

大友美有紀 13年4月7日放送



「自由律俳句・尾崎放哉」ユーモア

厭世的で自由と孤独を渇望した尾崎放哉。
乾いた寂しさの中に、くすりと笑えるような句もある。

 銅像に悪口ついて行ってしまった
 
 底が抜けた杓で水を飲もうとした

 ねそべって書いて居る手紙を鶏に覗かれる

放哉は肺を病み
大正15年4月7日小豆島にて、没する。
望んでいた一人っきりの時間を手に入れて、
海のそばで句作に明け暮れた晩年、
放哉は幸福だったのかもしれない。

topへ

佐藤延夫 13年4月6日放送


カノープス
前衛芸術家、草間彌生1

スミレの花が、人間の顔になり話しかける。
犬が人の言葉で吠えてくる。
そうかと思えば、自分の声が犬の声になっている。
目に見えるもの全てが水玉になり、
あらゆる場所を覆い尽くす。

前衛芸術家、草間彌生は、幼いときから幻覚をみていた。

10歳で描いた母の肖像画は、
水玉で埋め尽くされていたそうだ。

「芸術を作りつづけることだけが、
 私をその病から回復させる手段だった」

そう語る彼女の芸術は、
頭に巡る幻覚をキャンバスにうつすことから始まった。

topへ

佐藤延夫 13年4月6日放送


HerrWick
前衛芸術家、草間彌生2

解体と集積。
増殖と分離。
粒子的消滅感と見えざる宇宙からの音響。

この難しい言葉は、草間彌生が考える芸術の基本的な概念だ。
水玉模様に、無数の網目。
それはやがて、彼女を象徴するモチーフになっていく。

「永遠の時の無限と、空間の絶対の中に自分も、
 あらゆる物質も回帰し、還元されてしまう」

水玉のひとつが、網目のひとつが、
草間彌生の命そのもの。

topへ

佐藤延夫 13年4月6日放送


荷大包
前衛芸術家、草間彌生3

水玉模様に、無数の網目。
前衛芸術家、草間彌生がその次に選んだのは、鏡だった。

「反復と増殖」という彼女が一貫して表現してきたスタイルで、
鏡は格好の素材になった。
さらに電球の光を組み合わせ、立体的な無限をつくりあげた。

「かつて私が具体的に実感した、
 魂のひきこまれていく生と死の境めを彷徨う恍惚の境地を実現したのだ」

鏡を覗くと、奥へ奥へ、無限に世界が広がっていく。
魂の在処が、そのどこかにあるのだろうか。

topへ

佐藤延夫 13年4月6日放送



前衛芸術家、草間彌生4

1929年。
前衛芸術家、草間彌生は、長野県松本市で生まれた。
生家は事業を営み、裕福ではあったが
両親は不仲で諍いが絶えなかったという。
放蕩を重ねる父。
絵描きという職業を見下す母。
そんな環境で、娘は、ひたすらに絵を描き続けた。
憎むべき現実を消滅させる手段として。
彼女はそのときの思いを、こう表現する。

「思春期における救いようのない暗黒との心の傷痕よりおびきよせられた、
 精神と神経の病巣からくるもの。
 それこそが私が芸術を作りつづける根本的な原因なのである」

一見、恵まれた環境に見えても
そこには自分を拒絶する人間がいて、
閉鎖された環境があった。
目に映るのは、しがらみと古びた因習、そして偏見という悪魔。

その全てを拭い去るために、草間彌生は、アメリカに向かった。

topへ

佐藤延夫 13年4月6日放送



前衛芸術家、草間彌生6

前衛芸術家、草間彌生は、ニューヨークに移住した翌年、
キャンバスに向かい、ただ白い網目を描いていた。

縦182.9センチ。
横274.3センチにも及ぶ巨大な絵は、
小さな網目で埋め尽くされた。

「No.2」というタイトルのその作品は、
2008年のオークションで、
579万2000ドルの高値で落札されている。

飢えをしのいで描いた一枚は、数えきれないほどのドルに変わった。

topへ

佐藤延夫 13年4月6日放送


roberthuffstutter
前衛芸術家、草間彌生5

前衛芸術家、草間彌生は
28歳のとき、単身でアメリカに渡った。

生活は困窮を極めたが、
創作活動の傍ら、街頭でゲリラ的なパフォーマンスを仕掛けた。
ときには自ら全裸になり、
体中に水玉模様のペイントをした。
それは「クサマ・ハプニング」と呼ばれ、
ヒッピーから絶大な支持を受ける。

ベトナム戦争の余波で、鈍くうごめくアメリカ。
新たなアイデンティティが求められた自由の国を住処にして、
草間彌生は、自由の羽をいっぱいに広げた。

topへ

佐藤延夫 13年4月6日放送


garryknight
前衛芸術家、草間彌生7

前衛芸術家、草間彌生は、この3月で84歳になった。
ときどき、ドキュメンタリー番組で見せるその姿は、
絵の大好きな、あどけない少女のまま。
しかし心の内は、純粋な野心に満ちている。
これは20代のとき、アメリカで誓った言葉だ。

「ピカソでもマチスでもなんでもこい。
 私はこの水玉ひとつで立ち向かってやる」

もちろんそれを支えるのは、自分への絶対的な自信だった。
幼いころからイメージし、描き続けた作品の数々は、
まだ、氷山の一角なのかもしれない。
彼女はその昔、こんなことも言っていた。

「むちゃくちゃに数多くの絵を描きまくるので、
 その量たるや累々として天井まで積み重ねられていき、
 頭の中のイメージは活火山の噴火のように出てくる」

今月26日から、
六本木ヒルズ森美術館で始まる「LoVE展」。
そこで私たちは、草間彌生の作品に会うことができる。

topへ


login