2013 年 5 月 のアーカイブ

TCC賞発表

★ グランプリ
  高崎卓馬「映画は本当のことを言う嘘だ。」
           エイベックス・エンタテインメント dビデオ

★ TCC賞
  藤本宗将「負けるもんか。」本田技研工業 企業
  福里真一「バカヤロー!」トヨタ自動車 企業
  廣瀬大「使うたびに電源を入れる。そんな必要もありません。」ステッドラー日本
  福里真一・谷山雅計「話しかけちゃった。こたえちゃった。」他 東洋水産
  前田知巳・澤本嘉光「権力より愛だね」他 トヨタ自動車
  福部明浩「とどけ、熱量。」    
  磯島拓也・平山浩司「考えよう。答えはある。」旭化成ホームス
  黒田康嗣「 もう、通勤もないし、どこに住んでも自由ですよ、って
     いわれても、逆にいろいろ考えることが。」三井不動産リアルティ
  秋山晶「時間栄養学」他 キユーピー

★ 新人賞グランプリ
  吉岡丈晴「姉のメリットと妻の気遣い」旭化成ホームス

★ 新人賞
  永井史子「お客さんは神様やって言うけど、うちの常連さんは半分くらい
       仏様になってもうたなあ」新世界市場協同組合
  戸谷吉希「毎日、命懸けで生きている魚に、遊びで勝てるわけがない。」イシグロ
  佐藤舞葉「言い間違いは取り消せないけど、書き間違いは取り消せる。」
       パイロットコーポレーション
  正樂地咲「帰る時に、泣かれると辛い。我慢されると、もっと辛い。」
       ドナルド・マクドナルド・ハウス
  橋本卓郎「先生はいいよね、ひとつの科目だけできればいいんだから…」四谷学院
  川田琢磨「オオカミを殺した人間は、シカも殺さなければならなくなった。」
       日本オオカミ協会
  渋谷三紀「それでもときめかないときは、こう呼んでみる。奥さん!」味の素
  中川英明「ワコールから、すべての女性の皆様に。 ブラジャーのお知らせです。」
       ワコール
  外崎郁美「仕事だけの関係だったら、あんなに仕事していない。」ぐるなひ

詳細はTCCホームページへ:http://www.tcc.gr.jp/pdf/award2013.pdf

 

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閑話休題。育児中の母が食べたいものの話し。

営業のニシダさんは、奥さまが専業主婦をしていて、
ふたりのカワイイお子さんも主に奥さまが育てている。

ある日、ニシダさんは奥さまを慰労しようと考えた。
実家の両親に子どもたちを預け、
久しぶりにふたりで外食をすることにしたのだ。
さあ、どこへ行こう?
キミが食べたいものを思いっきり食べよう!
張り切るニシダさんに、奥さまはこうリクエストした。
「ラーメン食べたい」

そして夫婦は仲良く、アツアツのラーメンをすすったのでした。
めでたしめでたし。

ニシダさん曰く、「妻の気持ちがわからない」とのこと。
私はですね、めちゃくちゃわかりますっ!!

というかわが家もまったく同じ話しがあったのです!
仕事復帰のちょっと前に、
オットが実家の両親にすーさんを預けて外食に誘ってくれたのです。
「お寿司でも食べようよ!」って。

「…はあ?」って感じです。
「キミは本当に何もわかってない」と。

寿司なぞは赤子を抱きながらでも安全に食べられるのです。
むしろ、育児中の母親のために進化した食べ物が
寿司なのではないでしょうか。
右手でひょいとつまんで、ひとくちでぱくっと食べられる。
万が一ごはんつぶ(醤油付き)が赤子に落ちたとしても
なんの危険もありません。ひょいぱく。
それが寿司!ビバ!寿司!

その対極にあるデンジャーメニューが、
アツアツの汁モノなのです。
特に麺類!ツユが飛ぶ!!赤子に!!
超危険!!!!

だったら赤ちゃんが寝てる隙に食えよ!
とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
そりゃそうです。

しかし赤子というものはどんなにすやすや寝ていても、
母がインスタントラーメンにお湯をそそいで
うきうきの3分が経ったタイミングで目を覚ますものなのです。
うどんに満を持して天かすを投入したタイミングで
いきなりぐずるものなのです!

うう、私のラーメン、私のうどん(天かすはカリカリのうちに食べたい)・・・。

というわけで、私が仕事復帰してまずやったことは
丸亀製麺でアツアツのうどんをはふはふすることでした。
もちろん天かすはカリカリでね!

という話しをニシダさんに熱く語ったところ
「寿司を提案しなくて命拾いした…」と感謝されました。
よかったよかった。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」北原白秋

北原白秋は、完璧な父だった。

 父はこのうえなく寛大だった。
 どんなときでも慈愛ぶかくあった。

そう書く長男、隆太郎は一度だけ
白秋に厳しく叱責された。
叔母が亡くなった時、あまりの悲しさに
追悼文が書けなかったのだ。
白秋は、自分はそんな理由で
義理を欠かしたことがないと叱った。

その夜、白秋は再び隆太郎を呼び、
母と妹、家族全員で
伯母の追悼録をつくろうと提案する。
厳しさと優しさの父だった。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」ディケンズ

 病気や悲しみも人にうつるが、
 笑いと上機嫌ほど、
 うつりやすいものもこの世にはない。

「オリバーツイスト」「クリスマスキャロル」、
イギリスの国民的作家、チャールズ・ディケンズ。

幼い頃、
のんだくれで賭け事が好きな、でも気のいい父と
その友人たちの気をひくために、
酒瓶の散乱したテーブルにのぼり、
滑稽なジェスチャーとダンスを披露した。
後に父は破産し、チャールズたちを苦しめることになる。
それでも、酔っぱらいの前の卓上で味わった
喝采と注目、人を楽しませることの喜びが、
のちのディケンズをつくった。
彼の弱者への視点は、父から生まれたものだった。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」ルノワール

「どん底」「大いなる幻影」「ゲームの規則」
1930年代、トーキー映画の幕開けの時代、
次々と傑作を世に送り出した映画監督。
ジャン・ルノワール。
父親は、印象派の巨匠、オーギュスト・ルノワール。
映画は芸術か?と問われれば、映画も庭いじりも
ヴェルレーヌの詩やドラクロワの絵と同等に芸術だという。

 父は私に芸術の話などしたことがない。
 この「芸術」という言葉に我慢がならなかったのだ。
 こどもたちが絵をやろうと、芝居か音楽でも
 まったく勝手だった。
 ただし、それをやりたいという気持ちが
 限りなく強くなって、
 どうしてもやらずにいられないようにならなければ、
 駄目なのだ。

ジャンの一生は、オーギュストが与えた影響を
確定しようとする試み費やされた。
抜け出そうとしたり、学んだことを実行したり、元に戻ったり。
彼の映画は、父の影響を隠せば隠すほど、
父を感じるものになった。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」中原中也

近代詩人・中原中也は、
人並みはずれた子煩悩だった。
長男を2歳で亡くした時、
悲しみのあまり屋根を歩き回った。

 窓から暗い月夜を見ていると
 瓦屋根のうえに白蛇が横たわっていて
 それが確かにこどもを奪ったヤツなので、
 踏み殺そうと思って屋根へ上った。

その1年後、
中也の通夜の席で、11ヶ月の次男が、
カステラを手でつかんでもみくちゃにしてしまった。
それを見た客がこんどは杯を持たせてみると
次男は小さな手でそれを受け取り、
生前の中也そっくりの手つきで杯を持った。
弔問客は、どっと笑い、悲しみの涙を絞った。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」チェーホフ

「桜の園」の作者・チェーホフ。南ロシア生まれ。
その掌編は、知的階級の俗物性をえぐり、
大胆に笑いを加える。近代人の不毛と絶望を描く。

祖父は、農奴だった。
苦労して得た金で自由身分を買った。
父親は祖父の店を継いで、チェーホフの兄たちを
大学に行かせたところで、力尽きてしまった。

彼は奨学金で医大に進み、
在学中から雑誌に投稿し、家計を助けた。
医師になってからも執筆を続け、著名な作家となった。
その後は、流刑囚の待遇改善運動に取り組み、
小学校を3つも寄付した。
しかし自作の中では、主人公に体制下の
診療所や小学校に対する批判をさせる。

 民衆は大きな鎖でがんじがらめに縛られているのに、
 あなたは、その鎖を断ち切ろうとせず、
 新しい鎖の環を付け加えているにすぎない。

父と違う生き方を選ばされた自分。
努力の末、ブルジョワ階級となった自分。
自己を辛辣に見つめることが
父への愛だったのかもしれない。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」セザンヌ

近代絵画の父、ポール・セザンヌは
気難しい人だった。
どこまで描いても満足せず、描いて描いて
命を縮めるほどに絵画に取りつかれていた。
30歳の時、19歳のオルタンスと出会い、結婚。
やがて、息子が生まれる。
しかし、父親から経済的援助を受けるため、
結婚と誕生を隠さなければならなかった。
オルタンスは、忍耐の結婚生活を強いられ、
セザンヌは絵に全エネルギーを注いだ。

晩年、糖尿病を煩ったセザンヌは、
妻と子に愛情溢れる言葉を残したのか。

 わしの悲境では、わしを慰め得るものは、
 唯おまえばかりだ

セザンヌが息子に宛てた手紙だ。
どこまでも自分の心情に素直だ。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」ルドン

フランス象徴主義を代表する画家・ルドン。
生後2日目で里子に出された、絶望的な孤独。
その環境が、心の奥底に棲む妖怪を描く、
幻想性と夢想性にあふれた、
彼の世界を形成した。

40歳を超えて、はじめて父となった感動は深い。
生後2ヶ月の息子に呼びかける。
その目を自分に向けさせようとする。

 彼は長い間私を見つめて、
 目に涙をためてほほえんだ。
 私は征服された。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」若田光一

2013年末。宇宙飛行士・若田光一は、
国際宇宙ステーションの、
日本人初のコマンダー・船長となる。

小学校のときは模型飛行機を飛ばして遊んでいた。
父は、公務員。朝早くから仕事に行き、残業や飲み会などで、
返ってくるのは夜遅かった。
その父は、給料日には、きっちりと早く帰ってくる。
夕食のおかずが一品多くなる。
母は、給料袋を感謝して受け取る。
給料が多かった月、父は母に服でも買えと言った。
母は、父のコートを買おうと言った。

 「じゃ、ちょっと無理して、光一の自転車でも買ってやるか」

光一は飛び上がって喜んだ。
小学2年まで、幼稚園の時の小さな自転車で我慢していた。
お金のありがたみ、人に感謝する心、働く尊さ、思いやり、我慢を、教えられた。
父から学んだ心構えが、宇宙でも活躍する。

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