2013 年 6 月 22 日 のアーカイブ

宮田知明 13年6月22日放送



夫婦の話(石田純一と東尾理子)

不倫は文化。

そんな大胆な言葉で
プレイボーイといえば
真っ先に名前のあがる人、
石田純一。

なぜ、石田純一?
という言葉を、
妻である東尾理子は、
何度もかけられたことだろう。

しかし彼女には彼女の、
夫に対するしっかりした考え方がある。

 嫌なところをぜんぶ直したら、
 良いところまでなくなってしまう。

夫の良いところを、ちゃんと理解している。
それを考えると、表面的に
見えていることなど、小さいことなのかもしれない。

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岡安徹 13年6月22日放送


mckaysavage
夫婦の話(ゲルリンデ・カルテンブルンナー)

夫婦にとって最も大切な思い出の1つ、プロポーズ。

オーストリアの登山家ゲルリンデ・カルテンブルンナーは、
世界中の誰も真似できない場所でプロポーズされた女性だ。

「デスゾーン」の女王と呼ばれ、8,000m級の山に次々と
登頂していった世界的登山家、ゲルリンデ。
彼女は結婚して子供を作るという選択枝を明快に否定し、
山に全てを捧げていた。
その心を溶かし、プロポーズを成功させたのは同じく登山家の
ラルフ・ドゥイモビッツ。

彼が、文字通り決死の覚悟でプロポーズを行ったのは
ヒマラヤ山脈、標高7,250m地点のキャンプ地。

雪と氷に囲まれた極限の状況こそが互いの心の温もりを際だたせ、
夫婦で居ることの幸せに気づかせたのかもしれない。

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岡安徹 13年6月22日放送



夫婦の話(ドリス・デューク)

暗殺者に、惚れた。

そんな危険すぎる恋をしたのは、ドリス・デューク。
タバコ王として知られた父から莫大な財産を受け継ぎ、
若くして大富豪となった美女である。

数多くのプレイボーイ達と関係をもち、
奔放で、刺激的な恋愛に駆り立てられていったドリス。

彼女の心をとらえたドミニカ共和国の外交官、
ポーフィリオ・ルービローザは、政治的な暗殺計画への
関与も噂される危険な男だった。

しかも彼との結婚は、彼の妻に100万ドルもの大金
を支払って「買い受けた」ものだったという。

夫婦のカタチさえも、型にはめないから面白い。
稀代のセレブの人生は、危険な恋がくれる甘美さを
私たちに教えてくれるようだ。

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渋谷三紀 13年6月22日放送



夫婦の話(木村秋則さんと美千子さん)

絶対不可能と言われた
無農薬のリンゴ栽培を成功させた、
木村秋則(きむらあきのり)さん。

そもそもリンゴの木は病気や害虫に弱く、
年に十回以上農薬をまくのが常識だった。
無謀ともいえる挑戦のきっかけは、
妻の美千子さんの体調不良。
その原因が農薬だと知り、無農薬栽培を決意した。

毎日ひたすら害虫をとりつづけても、
花は咲かず、収入のない日々が続いた。
そんなぎりぎりの生活の中でも、
美千子さんは夫を笑顔で励ましつづけた。

八年目、一本の木に花が咲いた。
翌年には、畑中に白い花が咲き乱れた。
ふたりがつくったリンゴは、
「奇跡のリンゴ」と呼ばれた。

いまや公演で国内外を飛び回る、
ときの人となった秋則さん。
妻の美千子さんは笑ってこう話す。

 リンゴができなかった時のほうが
 いっしょにいられたから、
 そこだけはそのほうがよかったな。

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渋谷三紀 13年6月22日放送


okinawa soba
夫婦の話(ジューンブライド)

ジューンブライド。
六月の花嫁は幸せになるという欧米の言い伝えが
日本に入ってきたのは、終戦後間もなく。

しかし、日本の六月は梅雨の真っただ中。
雨も湿気も多い季節に
わざわざ式を挙げるカップルは少なかった。

ときは昭和40年代。
落ちこむ梅雨時期の売り上げアップを狙い、
ジューンブライドに目をつけたのは、
ホテルの支配人たち。
「六月の花嫁は幸せになりますよ。」と
ロマンティックな宣伝をはじめた。

とき同じくして開催された、大阪万博。
日本中に冷房が普及するタイミングで、
ジューンブライドは飛躍的に広まったという。

ジューンブライド。
今日もどこかで新しい幸せが生まれている

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伊藤健一郎 13年6月22日放送



夫婦の話(ゲーテとシュタイン夫人)

ドイツの文豪、ゲーテ。
数々の恋愛遍歴でも有名な彼が、
いちずに求愛しつづけた女性がいた。
彼女にゲーテは、こんな詩を贈っている。

 私たちはどこから生まれてきたか。
 愛から。
 私たちはいかにして滅びるか。
 愛がなければ。
 私たちは何によって自己に打ち克つか。
 愛によって。
 私たちも愛を見つけることができるか。
 愛によって。
 私たちを泣かせるのは何か。
 愛。
 私たちをつねに結びつけるのは何か。
 愛。

女性の名は、シャルロッテ・フォン・シュタイン。
彼女には、夫と3人の子供がいた。

ゲーテの熱心な求愛は、11年にも及んだが、
シュタイン夫婦の愛の結びつきを断ち切ることは、ついにできなかった。

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伊藤健一郎 13年6月22日放送


ゼロ
夫婦の話(内田裕也と樹木希林)

ロックンローラーの内田裕也と、女優の樹木希林といえば、
芸能界でも異色な夫婦だろう。

もう、かれこれ四十年も別居生活。
墓参りの時期など、数ヶ月に一度しか、二人は顔を合わせないという。

とあるインタビューで樹木は、こんなことを語っている。

 「目も合わせない夫婦なんてのもありますが、
  うちはめったに会わないから(会うと)ずっと向き合ってますよ。
 『私に言わせろ』『いや、おれに先にしゃべらせろ』なんてね」

夫婦関係には、適度な距離感が必要だという。

別居というと、一般的には不仲に聞こえるが、
ロックな夫婦のベストな距離感は、
このぐらいビッグでちょうどいいのだろう。

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高田麦 13年6月22日放送



夫婦の話(ヒッチコックとアルマ)

一人では天才になれないのかもしれない。

サスペンスの帝王、アルフレッド・ヒッチコックには、聡明な妻がいた。

脚本家として活躍していたアルマ・レヴィル。
よほど重要なことがない限り、
彼女は夫のセットへ姿を見せることはなかったが、
どの映画でも一番信頼できる意見を述べる相談役として、
ヒッチコックのキャリアで重要な役を果たした。

1959年、実在する殺人鬼エド・ゲインの伝記に
強い着想を得たヒッチコックは、
新作映画に取りかかろうとするが、
映画会社には残酷すぎる!と
ダメだしされ資金も集まらない。

自己資産を投入し、ようやく完成した映画は
最初の試写会でも散々酷評されるが、
妻だけが「あなたは編集の天才なんだから、
もう一度やり直せばいい」と励まし続けた。

開始30分でヒロインを殺すというセンセーショナルな展開、
有名なシャワーシーンへの印象的な音楽の挿入、
映画の最終的な編集は、彼女の助言によるものだ。

映画史に残る不朽の名作「サイコ」は、夫婦でつくりあげた映画だったのだ。

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