2013 年 6 月 のアーカイブ

奥村広乃 13年6月16日放送



天文学の父

天文学の父、ガリレオ・ガリレイ。

彼が、地球は太陽の周りをまわっていると主張し、
宗教裁判にかけられたのは有名なお話。

結果にはすべて原因があると考えたガリレオ。
実験や観察を通じて、
様々な「なぜ」を解き明かしていった。

インターネットが普及した今、
ちょっとした疑問はネットで検索することが
当たり前になった。
そのぶん、「なぜ」と考えることが減ってしまった気もする。

君は、報告を信じるだけで、自分で確めないのか。

ガリレオが残したといわれるこの言葉は、
現代のビジネスマンにも少し耳が痛い。

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礒部建多 13年6月16日放送


Amakuha
テクノポップの父

1978年、「人間解体」のアルバムと共に
日本に強い衝撃を残した、クラフトワーク。
後に、テクノポップという新しいジャンルを確立させた。

シンセサイザーなどの電子楽器で作り上げられる
単一的なメロディーで、無機質な世界観。
彼らが、その音楽に込めたこだわりは
徹底的にシンプルに。無駄を削ぎ落し、
音楽から人間らしさをなくす事。

ボーカルをロボット声に変換するなど、
今までの音楽の常識を逸脱した実験的な音楽は
大きな反響を呼んだ。

今や、
多くの人に愛されるテクノポップは
当時とは、印象も大きく変わっている。
しかしいつまでも実験的であってほしい。
テクノポップの本質はそこにあるのだから。

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澁江俊一 13年6月16日放送



宇宙開発の父

小惑星イトカワをめざして
宇宙を旅した探査機はやぶさの活躍は
多くの日本人に夢を与えた。

その小惑星の名前は
日本の宇宙開発の父・糸川英夫にちなんでいる。

若い頃、空に憧れていた糸川は
戦時中の名機とうたわれた、
ある戦闘機の設計にも関わった。
その名もまた、隼。

戦後日本の宇宙開発を
大きく飛躍させたのは糸川がつくった
わずか23センチのペンシルロケットだ。
アメリカやソ連のような大型の実験機がない日本で
小さな物で実験し、それを巨大化して実用にするという
「逆転の発想」だった。

当時日本には
レーダーでロケットを追跡する技術がなかったが
糸川は上空ではなく、水平に発射することで
ペンシルロケットの実験を可能にした。

まさに探査機はやぶさのように
果てしなく遠い夢をめざし
アイデアと実行力で一歩ずつ近づいてゆく。

糸川の業績と、無限の好奇心は
今も日本の宇宙開発者たちの、
大きな目標になっている。

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礒部建多 13年6月16日放送



ヘアヌードの父

和製英語「ヘアヌード」
それは、編集者・元木昌彦が生んだ言葉。

元木は早稲田大学を卒業後、講談社に入社。
やがて、週刊現代の編集長となる。
挑戦的な姿勢から
様々な業界のタブーを記事にしていった。

裸体を紙面に掲載することも、
当時は絶対的なタブーとされていた。
しかし、元木にとってそれは好都合だった。

新聞記者がとりあげない領域を
とりあげることにこそ
僕らの存在理由がある。

今も編集に携わっている元木。
次はどんなタブーを狙っているのか。

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澁江俊一 13年6月16日放送


hobby_blog
怪獣の父

地球の平和を守るウルトラマンが
次々と倒す怪獣たち。
その怪獣たちが
誰が見ても愛せない存在だったら、
ウルトラマンはこんなに
人気者になっていただろうか。

レッドキング、ピグモン、ジャミラ、ゼットン…
主役のウルトラマンより
ファンが多いかもしれない
怪獣たちの着ぐるみを数多く手がけ、
怪獣の父と呼ばれている高山良策(たかやま りょうさく)。

デザイナーの成田亨(なりた とおる)とともに
日本中の子どもたちに恐れられながらも
どこか憎めない怪獣たちを生み出した高山には
恐さではなく、やさしさがあった。

結婚後すぐに入院した妻を
献身的に介護したやさしさ。
怪獣の造形にもこだわりながら
軽さ、安全性を重視し
着ぐるみを着る演技者が怪我しないよう
自由に怪獣を演じられるよう気を配った。

そんなやさしさが
どこか、にじみ出てしまうから
今もみんな高山が生んだ怪獣たちが
大好きなのだ。

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松岡康 13年6月16日放送



植物学の父

日本の植物学の父・牧野富太郎。
彼はまた、多くの子をもつ
大家族の父でもあった。

妻寿衛子(すえこ)との間に
もうけた子供はなんと13人。
研究に没頭する富太郎を
経済的に支えながら子供を育てるため、
寿衛子は料亭をはじめる。
店は大繁盛。
寿衛子は、研究室と書斎を備えた家を建て、
子供たちを立派に育て上げた。

寿衛子が亡くなった年、
富太郎は感謝の意をこめ、
発見した新種の笹にスエコザサと名付ける。

牧野富太郎が植物学の父なら
寿衛子はその業績を支えた母だといえる。

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松岡康 13年6月16日放送



タワーの父

1923年。関東大震災で
多くの建物が被害をうけるなか、
日本興業銀行はほぼ無傷だった。
設計者は耐震構造の父と呼ばれる内藤多仲。

地震国日本において、
独自の構造理論を打ち立て実践した内藤は
タワーの父としても知られている。

名古屋テレビ塔、通天閣、
別府テレビ塔、さっぽろテレビ塔、
東京タワー、博多ポートタワー。

内藤が設計したこれらのタワーは、
タワー6兄弟と呼ばれ、
今も日本各地の人々に愛されている。

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奥村広乃 13年6月16日放送



医学の父

食べ物で治せない病気は、医者でも治せない

2500年以上前のギリシアで、こう唱えた人物がいた。
後に医学の父とよばれる、ヒポクラテスである。

400種以上の薬草の知識をもち、
脱臼や骨折を治す器具を考案し、
ペストの流行を抑えるなど功績は数えきれない。

彼にはこんな逸話がある。
マケドニアの王さまが不思議な病にかかり、診察を頼まれた。
王さまの脈をはかると、普通の男性よりも極端に少ない。
顔も青白く、やつれている。
しかし、ある女性がそばを通る時だけ脈が正常に戻る。
名医ヒポクラテスはこんな診断をくだす。
「これは、恋という病です。
この病気を治すことができるのは、愛だけです。」

健康は、食べる物に左右される。
心のありかたにも影響される。
医学がどれだけ進歩しても、
人間そのものは2500年前と
あまりかわっていないのかもしれない。

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三島邦彦 13年6月15日放送



その男、チェ・ゲバラ

哲学者のサルトルは彼を「20世紀で最も完璧な人間」と呼び、
ジョン・レノンは「世界で一番かっこいい男」と呼んだ。

革命家チェ・ゲバラ。
アルゼンチンに生まれ、ラテンアメリカを旅し、
キューバに革命をもたらした男。

生涯にわたりラテンアメリカの解放を訴え続け、
各地でゲリラ戦を繰り返し、最後はボリビアで命を落としたその人生。

革命へのあくなき情熱。
その原動力はなんだったのか。
ゲバラは、こう答えた。

滑稽だと思われるかもしれないが、
真の革命家は偉大な愛に導かれていると言わせてもらおう。

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三島邦彦 13年6月15日放送



その男、チェ・ゲバラ

革命には血がつきもの。
キューバに革命をもらたしたチェ・ゲバラも、
いくつもの戦闘を経験した。
しかし、彼自身は決して戦いが好きなわけではなかった。
ゲバラは語る。

戦争に備えることを努力の中心に据えてしまったら、
われわれが望むものを建設することは不可能だし、
創造的な仕事に集中することができないからである。

また、ゲバラはこうも言っている。

国立銀行の金庫から出て行くお金で一番わびしく思えるのは、
破壊兵器を購入するために支払われるお金である。

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