2013 年 7 月 20 日 のアーカイブ

佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ①「ケネディ」

宇宙で何をしたかが、
地球で何ができるかを意味した時代。

それが1960年代。

世界初の人工衛星「スプートニク」、
ガガーリンによる人類初の宇宙飛行で、
ソ連は一気に
宇宙開発レースのトップに立った。

ケネディ大統領は尋ねた。

 どうすればソ連に勝てる?

NASAのロケット開発責任者
ウェルナー・フォン・ブラウンの答えは、
アメリカがこれまで直面した
どんな問題より難しかった。

1961年5月25日。
アメリカの威信を取り戻すため
ケネディは国民に宣言する。

 60年代のうちに
 人間を月に着陸させ、
 無事に帰還させてみせる。

宇宙開発史上、
最も熱い10年間が幕を開けた。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ②「ブラウンとヒムラー」

1944年のある日、
ナチスの幹部ハインリヒ・ヒムラーが
ドイツロケット開発の第一人者、
ウェルナー・フォン・ブラウンを呼び出した。

ナチスの下で
新兵器を開発しないかと言うのだ。

 宇宙に行けるなら
 悪魔に魂を売ってもいい。

そう思っていたウェルナーだったが、
そこにいるのは
悪魔より恐ろしい人間だった。

丁重に断った数日後、
彼はゲシュタポに逮捕される。

危うく処刑寸前になったウェルナーに、
選択肢は残されていなかった。

ロケットは
月ではなくイギリスを目指し、
大勢の命を奪った。

それから25年後。
彼はそのロケットに改良を重ね、
再び宇宙を目指す。

さすがの悪魔も
月までは奪えなかった。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ③「ブラウンとアメリカ」

ナチスの敗北を予見するのに
ロケット工学の知識は必要なかった。

ドイツのロケット開発チームの責任者、
ウェルナー・フォン・ブラウンの
関心事はただ一つ。

 つくべきはアメリカか、それともソ連か。

宇宙に行く夢を叶えてくれるのは
どちらの戦勝国か、彼は冷静に計算した。

基地を死守せよという命令に逆らい、
大量の機材、設計図、技術者たちを
彼は秘かに脱出させる。

ラジオがヒトラーの死を報じた二日後、
アメリカは世界最高のロケット技術と
その頭脳を確保した。

戦後、

 宇宙旅行の亡者

と揶揄されながらも
ロケットを開発し続けたブラウン。

彼の祖国はもはや、
ドイツではなく宇宙だった。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ④「アポロ1号」

1967年はアメリカの試練の年だった。

人種間の対立は深まり、
ベトナム戦争は泥沼化。
政府の責任を追求する声は
日増しに強まった。

ジョンソン大統領にとって
「アポロ計画」は
有権者の心を取り戻す絶好の切り札。

そのためには選挙期間中に月に着陸し、
無事帰還してもらわねばならない。
彼はNASAに計画の前倒しを求めた。

圧力に負けたNASAは
よりによって最も大切な

 無人テスト

を省略してしまう。

グリソム、ホワイトという2人の大ベテランと、
史上最年少の宇宙飛行士チャフィーを乗せた
「アポロ1号」は、むきだしのコードから出た
ほんの小さな火花が元で火だるまになった。

ヘルメットのホースから
大量の炎が3人の肺に入り込み、
その命を燃やしつくすまで
わずか8秒半しかかからなかった。

手を伸ばせば届きそうな月。

しかし地球との間にある見えない壁は、
どこまでも高く、険しかった。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ⑤「アポロ8号」

ロケットを打ち上げるたび
新たな不安が生まれる。
そんな日々が何ヶ月も続いた。

1968年のクリスマス、
ついに事態は急変する。
アポロ8号が月の周回に成功したのだ。

乗組員のボーマン、
ラヴェル、アンダーズの3人は
世界で初めて月の裏側を見た人間になった。

彼らは月から地球が昇る

 アース・ライズ

と呼ばれる写真を撮影した後、
地球に帰還するため
月の裏側でエンジン噴射を行った。

失敗すれば2度と地球には戻れない。

電波が遮られるため、
月の裏側では交信は中断される。

100秒間の沈黙の後、
無事噴射に成功したラヴェルが
嬉しそうに言った。

 みんなに伝えてくれ。
 月にはサンタクロースがいる。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ⑥「アポロ11号」

 ワシは舞い降りた。

1969年の今日、
宇宙船「イーグル号」に乗った
2人のアメリカ人が月に降り立った。

ニール・アームストロングとバズ・オルドリン。

38万キロの距離と重力の壁を、
信念と科学と勇気で飛び越えた
人類初の快挙であった。

アームストロングは言った。

 これは一人の人間にとっては
 小さな一歩だが、
 人類にとっては大いなる飛躍である。

元々「アポロ計画」はアメリカがソ連を抜いて
宇宙開発レースのトップに立つために始まった。

しかしアームストロングは
「人類にとって」と言った。

彼らが背負っていたのは
もはやアメリカの威信だけではなかった。

月の砂を最初に踏みしめた彼の左足。

それは宇宙に一生を捧げた科学者の夢と、
事故で散った飛行士たちの無念と、
名もなき無数の人々の願いを乗せた
大きな大きな一歩。

勝ったのはアメリカでもソ連でもない。

絶対にあきらめなかった人類の、
執念の勝利だった。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ⑦「報告」

自らの公約通り、60年代のうちに
人類を月に送り届けたケネディ。

しかし月面に立つ宇宙飛行士たちの勇姿を、
彼がその目で見ることはなかった。

公約から2年後の冬、
ダラスで凶弾に倒れたのだ。

地球に帰還した後、
アポロ11号の3人の英雄たちは
ワシントンのアーリントン墓地を訪れた。

そしてケネディの墓の傍らに
静かにこんなメッセージをおいた。

 大統領、ただいま帰って参りました。

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