礒部建多 13年7月21日放送



沖縄と野球

沖縄野球の父と呼ばれた、
栽弘義(さい ひろよし)の姿である。
栽は、豊見城高校や
沖縄水産高校の監督を歴任し
沖縄高校野球のレベルアップに
大きく貢献した。

1990年、沖縄水産時代には
夏の甲子園で沖縄県勢として初の準優勝を成し遂げた。
翌年にも準優勝し、栽は名将の座を
ゆるぎないものにした。

春夏合わせて17回、
甲子園に出場した栽だが
念願の全国制覇を達成することなく
65歳で世を去った。
病床で、死の直前まで
こうつぶやいていたと言う。

もう一度甲子園に行きたい。優勝したい。

沖縄県勢はその後、
2008年に沖縄尚学が選抜優勝。
2010年には春の優勝校、興南が初めて夏を制した。

沖縄の強い野球を日本中に見せたい。
栽の熱い闘志は、球児たちに確かに受け継がれている。

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