総理の沖縄
第84代内閣総理大臣、小渕恵三。
官房長官時代に
平成の新年号を日本中に伝え
「平成おじさん」と親しまれた小渕は、
沖縄に並々ならぬ想いがあった。
学生時代、何度も沖縄を旅して
激戦地だった摩文仁村(まぶにそん)を訪れ
遺骨を収集した小渕。
26歳で議員に当選。
「もはや戦後ではない」という流行語に小渕は
「沖縄の戦後は終わっていない!」と憤慨した。
首相としてサミットの会場を決める際、
福岡や宮崎などの有力候補地を退けて
沖縄にすると決断したのも、
新しく発行した2000円札に
首里城の守礼門を採用したのも彼だった。
その心にはいつも、すべての国民に
沖縄を忘れないでほしいという想いがあった。
2000年5月。
沖縄での開催が大きな話題になり
世界が注目したサミットの直前に倒れ、
62歳の若さで世を去った小渕総理。
支持率も上がり、長期政権も視野に入れた時期の
あまりにも突然の別れだった。
あれから13年。
今の沖縄を見て、彼ならば何を思うだろうか?