ワールドカップ第1回大会②
1930年にウルグアイで開催された
第1回FIFAワールドカップ。
大会を制したのは地元のウルグアイ代表だった。
キャプテンを務めたのは、
当時世界最高のプレイヤー、ホセ・ナサシ。
チームは司令塔ナサシの叫び声に合わせて
ボールを前線へと運び、
相手チームのゴールネットを次々揺らした。
ホセ・ナサシは言う。
ピッチというのは、
漏斗(じょうご)のようなものだ。
先に向かってボールを運べば、
自然とペナルティエリアがあらわれるのさ。
ワールドカップ第1回大会②
1930年にウルグアイで開催された
第1回FIFAワールドカップ。
大会を制したのは地元のウルグアイ代表だった。
キャプテンを務めたのは、
当時世界最高のプレイヤー、ホセ・ナサシ。
チームは司令塔ナサシの叫び声に合わせて
ボールを前線へと運び、
相手チームのゴールネットを次々揺らした。
ホセ・ナサシは言う。
ピッチというのは、
漏斗(じょうご)のようなものだ。
先に向かってボールを運べば、
自然とペナルティエリアがあらわれるのさ。
ワールドカップ第1回大会③
1930年に開催された
第1回FIFAワールドカップウルグアイ大会。
7月13日におこなわれた
開幕第1戦のフランス対メキシコ戦。
前半19分にフランスのリュシアン・ローランが
ゴールを決めた。これがワールドカップ史上初の
ゴールである。
それから68年後の1998年。
フランスで開催されたワールドカップで
地元のフランス代表は参加10回目にして
悲願の初優勝を遂げた。
90歳になったリュシアン・ローランは、
その「初」の瞬間もしっかりと見届けていた。
ワールドカップ第1回大会④
1924年のパリ・オリンピックで、
ヨーロッパの人々は初めてウルグアイ代表チームの
サッカーを目の当たりにした。
リズムとスピードにあふれるウルグアイの
サッカーは、ロングボールを放り込む
ヨーロッパの単調なサッカーを翻弄した。
フランスの作家アンリ・ド・モンテルランは
その驚きをこう記している。
これこそ真実のサッカーだ。
これにくらべたら僕らのサッカーは
学校のひまつぶしでしかない。
その6年後に第1回目のワールドカップが
南米の小国ウルグアイで開催されることになるが、
サッカーのレベルを考えれば、
それも当然のことであった。
ワールドカップ第1回大会⑤
1930年に開かれた第1回FIFAワールドカップ
ウルグアイ大会。ウルグアイ代表の
ハーフバック、ホセ・アンドラーデは
主力選手として自国の優勝に貢献した。
準決勝のユーゴスラビア戦では
頭によるリフティングでボールを運び、
その間に相手選手を5人かわして
50メートル以上も進むという離れ業も披露した。
ワールドカップでの「5人抜き」といえば
ディエゴ・マラドーナが有名だが、
マラドーナの50年も前に、
ホセ・アンドラーデという男がいた。
ワールドカップ第1回大会⑥
第1回FIFAワールドカップの得点王は
アルゼンチン代表のギジェルモ・スタービレ
という選手である。
デビュー戦でいきなりハットトリックを記録し、
出場した4試合すべてで得点、通算8ゴールを挙げた。
ゴールへの鋭い嗅覚と独特のポジショニングを
持つことから、スタービレは
「エル・フィルトラドール=侵入者」と呼ばれた。
ワールドカップ第1回大会⑦
第1回FIFAワールドカップが開かれた当時、
開催国のウルグアイはヨーロッパから見て
あまりに遠い辺境の国だった。
FIFAから招待を受けたヨーロッパの国で、
参加したのはわずか4カ国。
決勝戦の結果をイタリアの日刊紙
「ラ・ガゼッタ・デッロ・スポルト」は
わずか20行のコラムで伝えたのみだった。
しかし、そんなヨーロッパの無関心をよそに、
スタジアムの中では世界最高のサッカーが
繰り広げられていた。
過去2回のオリンピックも連破したウルグアイが
鮮やかな逆転劇の末にアルゼンチンを下し、
キャプテンのホセ・ナサシは最初の
優勝トロフィーを高々と掲げた。
「七夕」今宵の天気は
今日は、7月7日、七夕さま。
七夕の夜に雨が降ると、
おり姫様とひこ星様が
会えなくなってしまう。
夜空を見上げて、晴れますようにと
願ったことはないですか?
地方によっては、
短冊が流れるぐらい雨が降るのが良い、
ともいいます。
農作物には、恵みの雨。
七夕雨(たなばたあめ)という季語がある。
今夜、あなたの空は、
七夕晴れですか?
七夕雨ですか?
「七夕」きんぎんすなご
ささのは さらさら のきばに ゆれて
童謡「たなばたさま」。
作詞は、童謡詩人の権藤はなよ。
野口雨情に師事。
昭和16年に発表されたこの歌には、
のきば、きんぎんすなご、ごしき、
いま聞くと、ちょっと何のことだかわからない
言葉がある。
のきばは、軒の端。
笹飾りが屋根に届きそうな様子が目に浮かぶ。
きんぎんすなごは、金箔銀箔を粉にしたもの。
夜空にちりばめられた星の瞬き。
ごしきは、五色。
わからないけれど、リズムがある。おぼえてしまう。
幼い子が、おしゃべりした言葉そのままが、
メロディにのっているよう。
作者・権藤はなよの兄は、アララギ派の歌人、
その影響だろうか。
「七夕」ななつのゆう
村を離れた神聖な水辺に、
棚をつくり出し、降臨する神のために、衣を織る神女。
棚機津女(たなばたつめ)。
これは、日本の祭儀。
中国では、6世紀中頃の民間風俗を記した文献に
「7月7日は、牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)、
聚会(しゅうえ)の夜と為す」とある。
牽牛は、農耕の神への生け贄とも考えられている。
織女は、儀式として機織りを行う聖女。
中国のこの風習が日本に渡って、
七夕になったという。
では「ななつのゆう」と書いて、
七夕(たなばた)になったのは、なぜ。
もともと、七夕は宮中の五節句のひとつで
「しちせき」と呼ばれていた。
同じ時期に行われていた3つの儀式が
ひとつになって、七夕になった。
ずっとずっと昔のグローバリゼーション。
「七夕」万葉集
七夕の風習は、奈良時代には、
すでに日本に伝わっていた。
万葉集にも、七夕を詠んだ歌が
いくつかある。
ひさかたの 天の川瀬に船浮けて
今夜か君が 我許(わがり)来まさむ
一年(ひととせ)に 七日(なぬか)の夜(よ)のみ逢ふ人の
恋も過ぎねば 夜は更けゆくも
不自由な恋への
憧れと切なさ。
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