2013 年 7 月 のアーカイブ

大友美有紀 13年7月7日放送



「七夕」夏の大三角

きょうは、七夕。
中国で7月7日に牽牛と織女が会う日とされていたのは、
天の川をはさんで、ひときわ輝く二つの星があることが
広く知られていたからだという。

日本で、おり姫、ひこ星と呼ばれる星の名は、
こと座の一等星・ベガと、わし座の一等星・アルタイル。
この二つの星は、伝説と違って、実際には移動したりしない。
江戸時代には、たらいに水を張って二つの星を映し、
水面を揺らして星たちが出会うようにする行事があった

ベガとアルタイルの間は、14.4光年ほど離れている。
光の速さで天の川を渡っていっても、
14年半もかかることになる。
一年に一度会うのは、現実では不可能だ。

今夜、あなたの空が晴れていれば、
ちょうど今頃、午後9時前後に
東の空を見上げてほしい。

ベガとアルタイルが輝いていることでしょう。
この2つの星に白鳥座のデネブを加えると夏の大三角となる。
探してみてください。

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大友美有紀 13年7月7日放送



「七夕」七姫

織り姫のもととなった棚機津女(たなばたつめ)。
他にも七種類の呼ばれ方をする

 秋去り姫、薫物姫(たきものひめ)、ささがに姫、
 百子姫(ももこひめ)、糸織り姫、朝顔姫、梶の葉姫

それぞれ、神に捧げる衣を織る神事から派生している。
いずれも、かなえたい願いを持つ姫の名。
おり姫は、ただ、ひこ星を待つだけの存在ではなく、
神へ願いを届ける、重要な役割を持っていた。

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大友美有紀 13年7月7日放送


herbraab
「七夕」フィンランド

七夕伝説は世界各国で語り継がれている。
アジアの地域では、天の川は渡るに渡れない川。
フィンランドの伝説は、少し違う。

仲むつまじい夫婦がいた。
いつも一緒だった。
死んだ後は、一緒というわけにはいかない。
別々の天にのぼり、星となった。
二人は、空にただよう星屑を集めて、
星の間に光の橋を作ろうと決めた。
毎日懸命にすくっては、集め、すくっては集め、
そして千年ののち、見事な光り輝く橋ができあがった。天の川だ。
二人は光の橋をわたり、シリウス星のところで、
再び出会うことができた。

天の川は隔てるものではなく、
出会うためのものだった。

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大友美有紀 13年7月7日放送



「七夕」今宵の天気は

今日は、7月7日、七夕さま。
七夕の夜に雨が降ると、
おり姫様とひこ星様が
会えなくなってしまう。
夜空を見上げて、晴れますようにと
願ったことはないですか?

地方によっては、
短冊が流れるぐらい雨が降るのが良い、
ともいいます。
農作物には、恵みの雨。
七夕雨(たなばたあめ)という季語がある。

今夜、あなたの空は、
七夕晴れですか?
七夕雨ですか?

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佐藤延夫 13年7月6日放送


The Gouger
俵万智さんの記念日1

歌人、俵万智さんの代表的な一首、サラダ記念日。
歌の中に登場する七月六日という日付には、
ちゃんと理由があるそうだ。

元旦やクリスマスなど、特別な日ではないこと。
初夏という季節が、サラダに合いそうなこと。
「サラダ」と「しちがつ」、サ行が並ぶ語感の気持ち良さ。
あとは七夕の前の日ということ。

それは、特別な日ではないけれど、ちょっとだけ特別な一日。

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

今夜のメニューに、どうかサラダをお忘れなく。

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佐藤延夫 13年7月6日放送


Weird Beard
俵万智さんの記念日2

歌人、俵万智さんは、
神奈川県にある高校の先生だった。

「サラダ記念日」を出版してからの2年は、
歌人と教師、二足のわらじで
24時間営業の店のようにがんばってきたそうだ。

どちらも心のゆとりが必要な仕事。
お昼どきの喫茶店のように、閉館後の美術館のように、
緊張とくつろぎ、両方の時間が必要だと気がついた。
そんな彼女の心を表すような歌をみつけた。

 蛇行する川には蛇行の理由あり急げばいいってもんじゃないよと

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佐藤延夫 13年7月6日放送


Nam2@7676
俵万智さんの記念日3

学生時代、成績優秀だった俵万智さん。
しかし、高校2年のとき成績が、がくんと下がった。
その理由は、失恋。

本人の言葉を借りれば、
「悲しいときはじっくり悲しむ。寂しいときはじっくり寂しむ」
毎日悲しみに暮れて、日記ばかり書いていたそうだ。

そして、ふと自分の置かれた状況に気付く。
恋は、私と彼の間にあるのではなく、私一人の中にあるのだ。
そんな恋の結末は、もちろん歌になっている。

 恋という自己完結のものがたり君を小さな悪党にして

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佐藤延夫 13年7月6日放送


yurayura_naoko
俵万智さんの記念日4

歌人、俵万智さんは
学生時代、実家によく葉書を出したそうだ。

「お父さん、お母さん、太一くん、元気ですか?」

お決まりの書き出しで始まる葉書は、
3日に2枚のペースで投函された。
その内容は、ご本人曰く
とても他愛ないもので、
学校のこと、クラブ活動のこと、アルバイトのことなど
日常のありとあらゆるものを、思いつくままに書き連ねた。

授業の始まる前。喫茶店で誰かを待つ間。
まるで家族とおしゃべりをするかのように、
暇さえあればペンを走らせた。

何百枚と送った葉書は、
お母さんが大切に、箱に入れて保存していた。
そして久しぶりに見返した一枚から、この歌が生まれたという。

 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

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佐藤延夫 13年7月6日放送


Weird Beard
俵万智さんの記念日5

宮城県仙台市で暮らしていた歌人、俵万智さんは、
東日本大震災をきっかけに、この土地を離れた。

幼い一人息子の手を引き、石垣島へ。

一番大切なもののために、
ほかのあらゆるものを、かなぐり捨てる。
そこには並々ならぬ決意が必要だった。
多くの批判にもさらされた。

 子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え

生き方が正直な人でないと、この歌は書けない。

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佐藤延夫 13年7月6日放送



俵万智さんの記念日6

歌人、俵万智さんの「サラダ記念日」が
出版されたのは、1987年のこと。

五・七・五・七・七
学生時代から書き溜めてきたという
愛のかたちや心の模様が、31文字の中で踊った。

あれから26年。
俵万智さんは、140文字のつぶやきも
毎日のように更新している。

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