帰りたくなる話 伊達政宗
仕事の都合で転勤を強いられる。
それは昔の大名たちも同じだった。
天下を統一した豊臣秀吉に、伊達政宗は嘆願する。
「米沢は生れ故郷であるからこの地に置いていただきたい」
しかし願いは聞き入れられず、
政宗は仙台に移ることになった。
のちに徳川の命で越後高田の城を築いた帰り、
故郷米沢で詠んだ歌が残っている。
故郷は 夢にだにさえ 疎からず 現になどか めぐり来にけん
懐かしむ思いの強さは、
ふたたび離れるつらさにもなったのだ。
帰りたくなる話 伊達政宗
仕事の都合で転勤を強いられる。
それは昔の大名たちも同じだった。
天下を統一した豊臣秀吉に、伊達政宗は嘆願する。
「米沢は生れ故郷であるからこの地に置いていただきたい」
しかし願いは聞き入れられず、
政宗は仙台に移ることになった。
のちに徳川の命で越後高田の城を築いた帰り、
故郷米沢で詠んだ歌が残っている。
故郷は 夢にだにさえ 疎からず 現になどか めぐり来にけん
懐かしむ思いの強さは、
ふたたび離れるつらさにもなったのだ。
帰りたくなる話 石川啄木
石をもて 追はるるごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし
石川啄木にとって、
ふるさとである岩手県渋民村は
帰りたくても帰れない場所。
村を巻き込んだ争いで
一家は追われるように村を離れたのだ。
帰れないからこそ郷愁は募る。
かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山 おもひでの川
そんな啄木の思いが叶ったのは、亡くなって10年後のこと。
「地元に啄木の歌碑を」という声が高まり、
渋民公園に最初の歌碑が建てられたのだ。
やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
啄木の目に浮かんだ北上川の岸辺。
思い出の川を見下ろす丘の上に、その歌碑は立っている。
帰りたくなる話 大木金太郎
ジャイアント馬場、アントニオ猪木と並び、
得意技の頭突きでプロレス界を沸かせた大木金太郎。
彼の故郷は、韓国の南に位置する小さな島、居金島(コクムド)。
少年時代は、韓国伝統の相撲「シルム」に明け暮れる日々だった。
27歳の時、同郷の英雄・力道山に憧れた大木は、
島の誰にも告げず日本に渡った。
渡航費はシルム大会の優勝賞品の牛1頭を売って捻出した。
「お前は韓国人だから頭突きをやれ。それがお前の生きる道だ」
大木は、力道山の言葉を愚直に守る。
首の骨にひびが入っても猛特訓を続けた。
朝鮮半島のケンカ技をヒントに編み出した、
片脚を高く上げて勢いを付ける頭突きスタイルで大活躍。
そして島を飛び出して7年後の1965年。大木はついに韓国へと凱旋する。
外国人レスラーを頭突き一発で倒していく大木は、一躍人気者に。
「パッチギ王」と呼ばれる国民的スターとなるのにそう時間はかからなかった。
プロレス興行を積極支援した当時の大統領、
朴正煕(パクチョンヒ)に望みを聞かれた大木は、
「故郷に電気を入れてほしい」と即答した。
工事はすぐに始まり、島に電気が通った。
夜間、ろうそくの火を頼りに海産物を加工していた
故郷の人たちへのプレゼントだった。
どれだけ大物になっても、故郷はいちばん大切な場所だったのだ。
帰りたくなる話 津太夫
日本人初の世界一周。
その偉業を成し遂げたのは、憧れや冒険心ではなく、
東北に生まれ育った男たちの望郷の念だった。
1793年、仙台藩の船乗りであった津太夫らは嵐で遭難。
ロシア人に助けられてシベリアで暮らしていたが、
やがて帰国を望み大陸を西に向かう。
大西洋から太平洋を通り、
ちょうど地球を一周するかたちで日本へ。
宮城に帰れたのは、遭難から13年後。
故郷とは、それでも帰りたい場所だった。
帰りたくなる話 帰りたくなる話 デニー友利
日本名は「友利 結」。
アメリカ名はローレンス・フランクリン・デニー。
しかしその投手のことは、「デニー友利」という
登録名で覚えている人のほうが多いかもしれない。
沖縄県で生まれた彼は、1986年のドラフト会議において
横浜大洋ホエールズからドラフト1位指名を受けた。沖縄からはセリーグ初。
ハーフという生まれによってつらい思いもしてきた少年が、
突如として地元の期待を背負うことになった。
しかし、なかなか芽がでない。初勝利は9年目。
そんな彼を支えたのは、「このままでは沖縄に帰れない」という思いだった。
大洋からトレードで西武ライオンズへ。そしてふたたび古巣・横浜へ。
中継ぎ投手として活躍したが、2004年には自由契約となる。
それでも彼はまだ故郷に帰れないと感じていたのだろうか。
アメリカに渡り、ボストン・レッドソックスとマイナー契約する。
しかしメジャーには昇格できないまま彼の挑戦は終わった。
その年の秋、沖縄に帰省していたデニーのもとに、
一本の電話がかかってきた。声の主は、落合博満。
当時、沖縄でキャンプを張っていた中日の監督だった。
「キャンプを見に来いよ」
軽い調子で誘われて出かけたところ、
いきなり「この中から好きな数字を選べ」と背番号を選ばされた。
普段着のまま、そこで即席の入団会見。
つらい思い出も多い場所。けれどそこは、野球と出会った場所。
そして最後のチャンスをつかんだ場所になった。
帰りたくなる話 室生犀星
「ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの」
これは、室生犀星の詩の有名な一節。
彼のペンネームは、金沢を流れる犀川の西で
生まれ育ったことに由来している。
冒頭の詩のとおり、ふるさとと疎遠だった犀星は
犀川についてこんな詩をのこしている。
「うつくしき川は流れたり そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの 花つける堤に座りて
こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ
いまもその川ながれ 美しき微風ととも 蒼き波たたへたり」
あなたのふるさとには、
どんな花が咲き、どんな風が吹きますか?
帰りたくなる話 野口英世
「志を得ざれば 再び此地を踏まず」
野口英世が上京する時に、実家の柱に刻んだ言葉。
東京からニューヨークに渡り研究に没頭していた彼に、
日本の母から一通の手紙が届く。
「はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
これのへんちち(返事を)まちてをりまする。ねてもねむられません」
これを読んだ野口英世は、15年ぶりに故郷の土を踏んだ。
母はどのような表情で、息子を出迎えたのだろうか。
帰りたくなる話 少女ドロシー
アメリカ映画協会・AFIが選出した
名セリフベスト100というランキングがある。
第4位は、こんなセリフ。
「トト、ここはカンザスじゃないみたいよ」
映画『オズの魔法使い』。
主人公の女の子ドロシーが、竜巻に飛ばされた後に
犬のトトに言ったセリフだ。
「ここはカンザスじゃない(We’re not in Kansas anymore)」
という言葉は慣用句になっていて、
他の映画でもしばしば引用される。
知らない街でびっくりした時や、
状況ががらりと変わった時に使う。
『オズの魔法使い』のエンディング、
カンザスに帰れることになったドロシーが言うセリフは
名セリフランキングで23位に選ばれている。
「やっぱりおうちが一番だわ」
あなたにとって、一番の場所はどこですか?
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