2013 年 8 月 のアーカイブ

佐藤理人 13年8月10日放送



ルーブル美術館④「革命」

 「暴動か?」

王が聞くと、側近は答えた。

 「いいえ、革命です」

1789年7月14日、
バスティーユ牢獄の襲撃を皮切りに
フランス革命が勃発。

国王ルイ16世と
妃マリー・アントワネットは投獄され、
フランスは王から国民のものになった。

それは同時に、
宮殿に収められた美術品の数々も
国有の財産となったことを意味する。

議会はルーブル宮殿を

 学問と芸術における
 あらゆる記念碑的な作品を集めた場所

と定め、内部を美術館に作り変えた。

かくして今から220年前、
1793年の今日、
ルーブル美術館が誕生した。

それは、

 世界で最も美しい
 国民主権の象徴

だった。

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佐藤理人 13年8月10日放送



ルーブル美術館⑤「ナポレオン」

オーストリア王女
マリー・クルーズとの結婚式場に
ナポレオンが選んだのは、
ルーブル美術館だった。

当時、

 ナポレオン美術館

と改名されていた建物の中は、
ヨーロッパ各国から略奪した
厖大な美術品で溢れかえっていた。

 大いなるものは常に美しい。

そう言ってナポレオンは、
急増する戦利品を収めるために
宮殿の大増築を始めた。

彼はルーブルを
世界一の美術館にしようと目論んだ。

しかし1815年、ワーテルローの戦いで
イギリスやドイツの同盟軍に大敗すると、
元の持ち主たちは、
美術品の返還をフランスに求めた。

ところが美術館の上層部は
要求に応じなかった。

それどころか彼らは美術品を
自分のコレクションに紛れ込ませて
隠匿しようと試みた。

おかげでいくつかの傑作は
そのまま美術館に留まり、
今も私たちの目を楽しませ続けている。

大いなる美はすべてを正当化する。

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佐藤理人 13年8月10日放送



ルーブル美術館⑥「美術館学」

戦争で略奪するだけが、
美術品の入手方法ではない。

19世紀から20世紀にかけて、
ルーブル美術館はその作品数を
爆発的に増やした。

その多くが寄贈品だったことは、
ルーブルが真に
民衆のための美術館だった証である。

所蔵品の増加に伴い、

 美術館学

が生まれた。

それまで所狭しと並べられていた作品は
年代・地域・流派ごとに分類し直された。

国民に正しい美術教育を施すことも
美術館の使命である、
と考えられるようになったのだ。

作品を解説する鑑賞ツアーが組まれ、
日曜には家族連れで賑わった。

そこにはフランス革命が掲げた

 自由と平等

の精神が確かに生きていた。

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佐藤理人 13年8月10日放送



ルーブル美術館⑦「疎開」

「モナ・リザ」は3度疎開した。

最後の疎開は1939年。
第二次世界大戦が始まると「彼女」は、
フランスの片田舎でジッと身を潜めた。

しかしナチスの追跡は執拗だった。
世界で最も美しい微笑みを守るために、
大勢の命が犠牲になった。

世界一の入場者数を誇るルーブル美術館。

その栄光は、

 人類の財産を所有する者は
 それを守る責任も有する

という、名もなき人々の
崇高な使命感に支えられている。

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1歳3カ月の育児の話し。

1歳を過ぎると、悩ましいのが「卒乳」の時期です。
いつが良いのだろう。。。

お母さんの考え方だけでなく、体調やら仕事の有無やら、
こどもの性格やら兄弟構成やら、
いろんな要素があって卒乳に至るワケですから
もちろん正解は無いのです。

周囲の友人のケースをざっと書きますと。

・5カ月:ママが体調を崩したため(疲れる頃ですから)
・6カ月:歯が生えてきて噛むようになったため(いたたた)
・8カ月:ママがお酒を飲むため(おい)
・10カ月:母子ともに体調を崩したため(大事に至らずホッ)
・1歳:誕生日を節目に(複数)
・1歳10カ月:母乳継続中(働きながらすごい)
・2歳1カ月:母乳継続中(まだ出るのがすごい)

うむ、時期も理由もそれぞれ。

私は母乳主義ではないものの、
添い乳で寝かしつけをしていたこともあり(ラクなのです)
急いで卒乳する必要性はあまり感じませんでした。

保育園のお迎えの時は平然としているすーさんですが、
家に入った途端、おっぱい出せよ!という感じで甘えてきて
満更ではないぜ、なんぞと思っていた私です。
要するに何も考えていなかった、と。

ところがですね。
1歳を過ぎたあたりからおっぱいの供給量が減ってきたのです。
離乳食もほぼ終了しており、
栄養補給という意味でも母乳の役割は終わっていました。
これは、店じまいの時期なのではなかろうか。

というか、出が悪いということは、つまり、
ちうちうされると痛いということなのです。
いたいのにがて。

・・・よし、おっぱい卒業だ!

突如、卒乳を決行。

案の定ですが、
いつも通りおっぱいちうちうしながら眠ろうと思っていた赤子は激怒です。
私が下手な子守り歌をうたって誤魔化そうとするものだから、
さらに火に油。
1歳児に胸ぐら掴んで怒られました。

一時間近く泣いて暴れて暴れて暴れて疲れて寝て・・・
と思ったらまた起きて怒って泣いて暴れて暴れて・・・
(どうでもいい感想ですが、暴れるすーさんを抱きかかえながら
マグロをつかみ取りするとこんな感じかな、と思いました)

両親は一睡もできませんでした。
当然の報いです。

ちなみに卒乳を思い立ったのは、なぜか木曜日。
翌金曜は、ふらふらで出社。
すでに息も絶え絶えのところに打ち合わせで、
「3日は寝れない」
「長い子だと一週間かかる」
「ていうか、なぜ平日にやる?」
と諸先輩方に言われ、
もともと大して硬くない私の意志は、ぽっきり。
折れました。きれいに折れました。

・・・よし、おっぱい再入学だ!

というわけでしばらく卒乳延期となったのでした。

おしまい。

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大友美有紀 13年8月4日放送



「夏の職人」花火師 野村陽一

夏の夜空に咲く大輪、花火。
数々の全国花火大会で優勝を勝ち取ってきた
野村花火工業・社長の野村陽一。
花火は打ち上がって、
開いて燃え尽きるまでたった5秒。
その5秒のために1年を費やす。

 一切の未練を残さず、鮮やかに散った時にこそ、
 花火は見る者の心に永遠に焼き付くのです。

野村は花火の魅力を「潔い人生」のようなものだと言う。

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大友美有紀 13年8月4日放送


tangerinaok
「夏の職人」風鈴職人 篠原儀治(よしはる)

夏の涼を耳から感じる風鈴。
丸いガラスに鮮やかな色で
絵付けがしてある「江戸風鈴」は、
その呼び名がついたのは、
1965年頃だったという。

名付け親は、江戸川区の無形文化財保持者でもある
篠原儀治(よしはる)。

 江戸時代から伝わり、
 今もここ東京で受け継がれていることから、
 つけた名前です。
 よき時代の風雅を楽しまれることをおすすめします。

もともとは江戸風鈴は、赤いガラスでつくられていた。
そこに宝船や松の絵が描かれていた。
裏側には米俵が一俵。
米俵は庶民にとって夢の夢。
大金が入ったら米俵を買おうと願う。
かつての風鈴は、涼だけでなく夢も奏でていたのだ。

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大友美有紀 13年8月4日放送



「夏の職人」加賀小紋染 坂口幸市

今年は、男性のゆかたが売れているという。

そのゆかたにも使われる、
型紙を使って手染めの小紋をつくる技法。
石川県に一軒だけ残る坂口染工場の職人、
坂口幸市は二枚白小紋という染めを継承した唯一の存在だ。
1つの模様を2つの型紙に彫り分け、
重ねて二度、型染めをし、1つの模様に染める。
濃淡のある繊細緻密な小紋ができある。

 着物として着たときの姿を創造し、
 柄の組み合わせや色の濃淡をつけて作っています。
 彫りの職人さんと相談しながら、
 新しい物を発見できないかと常に考えています。毎日が勉強です。

型紙は、伊勢型紙。
坂口は明治・大正・昭和初期につくられた型紙を使っているが、
今でも新しい紋様を考案している。

型紙染め職人が減り、型紙の彫り師も減っているという。
日本の夏を上品に染めあげる小紋が、なくなりませんように。

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大友美有紀 13年8月4日放送



「夏の職人」駿河塗下駄 佐野成三郎

夏祭り。
浴衣と下駄で出かける人も
多いでしょう。

漆器の技術を応用した駿河塗下駄には、
美しい蒔絵が施されている。
その職人は現在5人。
塗下駄職人・佐野成三郎は、
今、塗下駄の魅力を全国に広めようとしている。

 下駄は和服という観念があるが、
 ジーパンやスカートにも合うよう、現代風にしてある。
 若い人に履いてもらいたい。

カランコロンと足音響かせて、
お洒落な下駄で、熱い街に出かけてみよう。

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大友美有紀 13年8月4日放送


ichigami
「夏の職人」四代目氷屋徳二郎 山本雄一郎

口に入れると、すっと溶けてなくなる。
フワフワのかき氷。
冷蔵庫の氷では、この食感はつくれない。
天然のだからこその食べ心地。
自然の寒さで凍った氷は、ほんのりと甘い。

かつて日光では、製氷業が盛んだった。
今ではわずかしか残っていない。
そのうちの一軒の氷屋徳二郎も
先代が高齢のため2006年に
製造を打ち切ろうとしていた。
しかし、日光の文化を残したいと強く思った
山本雄一郎は、引き継ぎたいと申し出た。
先代は振り返る。

 この仕事はとても無理だから、やめたほうがいいと断った。
 でも、継がせた。しつこかったからね。

天然の氷には線が入る。
夜から朝にかけて凍ったしるし。
次の線ができるのは、
また次の夜から朝にかけて凍ってからだ。

一晩かけてじっくりと凍る。
山本のしつこさに近い。

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