古居利康 13年9月28日放送
その後の堀越二郎 ②
1945年、日本は
連合国の占領下に入った。
残存していた戦闘機や爆撃機は
占領軍の手ですべて破壊され、
航空機の設計、製造はもとより、
研究も禁じられた。
大学の授業からは、
航空力学の科目が削除され、
飛行機の製造会社は
ことごとく解体された。
いわゆる「航空禁止令」が
発令されたのだ。
堀越二郎が勤めていた
三菱名古屋航空機製作所も
例外ではなかった。
堀越二郎、
この時42歳。働き盛りの歳で、
飛行機づくりという天職を
奪われることになった。