2013 年 9 月 のアーカイブ

大友美有紀 13年9月7日放送



「ふるさとグルメ」鳥取県 いただき
秋になって、涼しくなると、お弁当を持って、
山登りにでも出かけたくなる。
鳥取県には、漁師や農家の人がお弁当に持って行った
「いただき」という郷土料理がある。
大きな油揚げの中に、
生米、野菜を詰めて、だし汁でじっくり炊き上げる。
つくり置きがきいて、腹持ちがいいのが特長。

 その昔は、特別な行事があったときに
 近所に振る舞っていた。
 お米が貴重な時代、「もらう」のではなく
 「いただく」料理だからこの名になった。

大山のかたちに似ているから「いただき」と呼ぶ、
という説もある。
家庭ごとに味つけの違う「いただき」。
最近では、作る人も減ったと言う。
貴重なふるさとの味、ぜひ、受け継いでいただきたいものだ。

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大友美有紀 13年9月7日放送



「ふるさとグルメ」秋田県 なんばこ

9月、そろそろ新米の季節。
米どころ秋田には、古くからうるち米を使ったお菓子がある。
今、流行の米粉スイーツではない。
「なんばこ」
上新粉をこねて、砂糖、ごまなどを混ぜて煉って、
油で揚げる。

 出来上りの形状が「南蛮」、
 つまり唐辛子に似ていて、
 それに小さいものを表す秋田弁の「こ」がついた。

長い間、家庭で食べ継がれてきた地域密着のお菓子だが、
その発祥や歴史については、地元の人もよくわかっていない。

いつの間にか、そこにあった。
ずっと一緒にいた。
ふるさとというのは、そういうものかもしれない。

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大友美有紀 13年9月7日放送



「ふるさとグルメ」大分県 やせうま

秋になって、食欲が増すと、
なにか特別なおいしいものが食べたくなる。
平安時代、藤原鶴清麿(つるきよまろ)という若君が、
豊後の国、今の大分県に隠れ住んでいた。
身のまわりの世話をしていたのは、
京都・八瀬出身の乳母。「やせ」と呼ばれていた。
若殿は、八瀬お手製のだんごが気に入っていた。

 八瀬、うまい!
 やせ、ウマッ!
 やせ、うまがほしい。

若殿の口癖がそのまま「やせうま」という
大分の郷土料理になった。
小麦粉をねって、寝かせ、
きしめんのように伸ばしてゆで、
きな粉をまぶす。
団子というよりは、短めのほうとうのような形。
きな粉をまぶさずに味噌仕立ての汁にいれれば、
「やせうまだんご汁」になる。

幼子の「うまい」のひとことが今に繋がる料理になった。
おいしいものの魅力は時を越える。

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小林慎一 11月から参戦

小林慎一さんが
11月からVisionに参戦してくれることになりました。
奇特であります。助かります。
いままで休みが足りなかった人たちが
休めるようになるかもです。

よろしくお願いします。

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佐藤延夫 13年9月1日放送



遅咲きの人 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)

不遇という長いトンネルにも、いつか終わりがくる。
彫刻家、平櫛田中の人生も遅咲きだった。

名が売れ出したのは、60歳を過ぎてから。
72歳で東京美術学校の教授となり、
代表作「鏡獅子」を発表したときは、86歳になっていた。

  六十、七十は洟垂れ小僧 男盛りは百から百から

そう語る平櫛さんは、90歳で文化勲章をもらい、
107歳の長寿を全うした。
遅咲きと言われる人の中でも、ひときわ大きな花を咲かせた。

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佐藤延夫 13年9月1日放送



遅咲きの人 大山康晴

もしも50歳を目前にして、
今まで築き上げたものを全て失ったら
正気を保っていられるだろうか。

将棋の世界で数々のタイトルを手にした大山康晴は、
49歳で絶頂から奈落へと転がり落ちた。

名人戦に破れ無冠となった大山は、そのとき、
自分が過去に名人であったことも忘れようとしたそうだ。
そして、50歳の新人として戦おうと決意する。

  自分で自分の逃げ道を断ち、この道しかないと覚悟を決めるべきである。

その潔さを、実践できる人は少ない。

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佐藤延夫 13年9月1日放送



遅咲きの人 松本清張

15歳、電気会社の給仕。
19歳、印刷会社の見習い職人。
28歳、新聞社に入る。
44歳、芥川賞を受賞。
そしてこの男、松本清張の作家生活が始まったのは、
47歳のときだった。

小説家として世に出るのが遅かったから。
ただそれだけの理由で、
趣味に見向きもせず、
酒にも翻弄されず、
時間と競争するように執筆を重ねていった。

「巨匠とは何ぞや」という問いに対して、
いかに長い時間、原稿用紙に向かっていられるかだ、と
答えたそうだ。

およそ40年の作家活動の間に、
作品は1000編を超え、
著書は700冊にも及んだ。

人生の花が、いつ咲き誇るのか。
それは誰にもわからない。

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佐藤延夫 13年9月1日放送



遅咲きの人 遠藤周作

出来のいい兄を持つと、弟は苦労する。
作家、遠藤周作もそんな弟のひとりだ。
何から何まで兄と比較され、コンプレックスを抱え込む。
大学に入るときも、3年もの浪人生活が必要だった。

しかし、32歳で芥川賞を受賞してから、
彼の人生は少しずつ光を帯びてくる。

  今ふりかえってみると、
  まずしいながら私だけの作風を
  やっとつかむことができたのは
  五十歳になってからである。

早熟な才能ばかりが注目されがちだが、
遅咲きの花も、また美しい。

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佐藤延夫 13年9月1日放送



遅咲きの人 本居宣長

学問をするうえで最も大切なのは、継続すること。
そのためには、生活を安定させるべき。

人類の永遠のテーマとも言えそうな、
時間と生活の管理を実践した人は、200年前にいた。
江戸時代の国学者、本居宣長だ。
近所や親戚との付き合い方や、
時間の作り方、支出を減らす方法などを
マニュアル化した資料が膨大に残っているそうだ。

彼が「古事記伝」を書き始めたのは34歳のとき。
全44巻が完成したのは68歳で、
その3年後に亡くなっている。
一切無駄のない人生だ。

  されば才のともしきや、学ぶことの晩(おそ)きや、
  暇(いとま)のなきやによりて、思ひくづれて、止むことなかれ

才能がないから。始めるのが遅かったから。時間がないから。
そんな言い訳の虚しさは、200年前に証明されている。

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佐藤延夫 13年9月1日放送



遅咲きの人 徳富蘇峰

ギネスブックで、最も作品の多い作家と言われた
日本人がいた。
明治から昭和に活躍したジャーナリスト、徳富蘇峰だ。

作品の中でも特に目をひくのが、
織田信長の時代から明治までの歴史を収めた、
近世日本国民史。
全100巻、4万2468ページにも及び、
34年の歳月をかけて完成させた。

  世に千載の世なく 人に百年の寿命なし

徳富蘇峰はそんな言葉を残し、
近世日本国民史を完成させた5年後、
94歳で亡くなった。

限りある人生、どうか悔いのないように。

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