2013 年 10 月 のアーカイブ

五島のはなし(190)

五島のはなし(77)で、中学一年生の、坊主頭の釣りの師匠のこと書きました。

そのころ、五島の戸楽漁港に釣りにいくと、必ず出会う少年がいて、
いつも一人で釣りしてる。かわいくて、シャイで、釣りがうまい。

なんか、すてきな少年やなあ、しかも、目の前でバンバン大物を釣るので、
勝手に「師匠」と呼んでました。もう、4年も前の話です。
それ以来会うこともないまま、ときどき、どうしてるかなあ、と思ってました。


先週五島に帰り、たまたま戸楽の防波堤に遊びに行ったら、
地元の若者が一人もくもくとエギング(イカ釣り)をやっている。
びしっびしっと、いかにもプロっぽい上手さです。
で、思いました。

もしや・・・師匠?

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すっかり大きくなって、見た目は変わってるけど、、、やっぱり師匠だ!
師匠!師匠!
大きくなったなあ。4年ぶりやもんなあ。
向こうもすぐわかってくれた!
うれしくて、背中をばんばんたたく。
聞けば、高2になったって!ふはー。高2!月日がたつのは早い!

toraku131024

記念撮影です。
今度、いっしょに釣り行こうぜ!って約束してきました。
この世に釣りというものがあって、よかった。

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1歳6カ月の育児の話し。

あんよもだいぶ安定し、この頃は階段がブーム。
最寄りのスーパーマーケットは地下にあるのですが、
階段を降りると即座にまわれ右して登り始めます。
エンドレス階段昇降の始まりです。
自宅から徒歩3分のマーケットですが、
買い物所要時間を長めに想定しておかないと
いつまでもご飯にありつけません。ぐう。

このような階段昇降症候群(早口言葉みたい)にかかる1歳児は多いらしく、
駅やらお店やらの階段で足止めされているパパやママをよく見かけます。
「この症状、一時的なものだからがんばってくださいー」と
見知らぬパパママに声をかける勇気は無いので
心の中で応援しておる私です。

さてさて。
この時期に限った話しではないのですが。
親の私が言うのも何ですが。
すーさんは顔のパーツがはっきりしている美少年(でぶ)です。
と、各所で言っていました。私が。
そんな私がお仕事でご一緒させて頂いている皆さんは
優しさやら分別やら営業能力やらを持っている大人です。
「本当だね。ハーフみたいだね」
と、多くの人が合いの手を入れるだけにとどまらず、
親の浮かれたアタマを盛り上げてくださるのです。
親ってバカだから、そーいうの、信じちゃうんです。
信じちゃうんですよ。

そして、やってしまいました。

某社の
「1歳児(ハーフ希望)をモデルにしたGR撮影」
に参加してしまったのです・・・。
ハーフじゃないのに。
両親ともに埼玉出身なのに。

結果はですね、ええ、まあ、お察しの通りなのですが。

1歳6カ月のこどもでも、なんとなーくわかるんですね。
「お呼びじゃない…」
という感じが。
(写真は帰りの電車のすーさん。シュンとしている…)

あ。でもですね。
その撮影現場のハウススタジオに、いい感じの階段があったのです。
すーさんがひとりで昇り降りできる絶妙な高さの階段が。
で、ずーっと昇り降りしておりました。
正真正銘のハーフちゃんたちが撮影している間、ずっと。階段。
ちょっぴり影を背負ったすーさんが。

もちろん、すーさんは悪くないのです。
れっきとした美少年ですよ!(純日本人の)
悪いのは親!つまり私!!
反省した。
猛反省しました。

その日以来、
すーさんの美少年っぷりを誉めてくださりつつ
「モデル登録してみたら?」
などと勧めてくれる人に対して
妙におどおどした態度で拒否する私がいます。
察して許してください。

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小野麻利江 13年10月27日放送



おやつのはなし マキコさんのシュークリーム

高野文子(たかのふみこ)の漫画
「バスで四時に」の中に出てくる、
八個のシュークリーム。

お見合い相手の家へ向かうバスの中で、
主人公のマキコさんは、手みやげに買った
シュークリームを数えだす。

あちらが三人、あちら入れて四人
あとから遅れてもうひとり 三つあまる
これはきっとあしただ
あした、あちらで一つずつ

不安と緊張、そして八個のシュークリームを抱えて
バスは未来へ進んでいく。

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小野麻利江 13年10月27日放送



おやつのはなし 池波正太郎の好事福盧

「好事福盧(こうずぶくろ)」というお菓子がある。
中身をくりぬいた紀州蜜柑の皮に
蜜柑のゼリーをぎっしりと詰め込んだ
この京都のお菓子を
池波正太郎は、こよなく愛していた。

好事福盧が3つ手に入ると
ホテルですぐさま1つ食べ、
残る2つは冬の冷えたベランダに出しておき、
ほどよく冷えたものを、
缶ビールで楽しんでいたという。

ゼリーをすくい口へ運ぶと広がる、キュラソーの香り。
そのさわやかさに酔いしれながら、
池波は感慨にふけっていた。

 菓子をあんまり食べなくなった私だが、
 こういう菓子なら、いくつでも食べられる。

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熊埜御堂由香 13年10月27日放送


nurpax
おやつのはなし 小林カツ代 母のフライパンケーキ

料理研究家小林カツ代。
豪快に笑い、優しい味の家庭料理を
つくる、まさに日本のおっかさん。

そんな彼女は、子どもの頃
内気で、小学校も休みがちだったという。
家がなにより好きで、
お母さんも彼女に登校を無理強いしなかった。

そんなある日、お母さんは遠足のおやつに
大きな大きなフライパンケーキをつくった。
その名のとおり卵とバターと小麦粉を
フライパンでこんがり焼いたやわらかなケーキ。
それをまあるいままもっていかせた。
すると同級生たちがワッと集まってきた。
「カツ代ちゃん、ちょっとちょうだい」
「少しでいいからわたしも!」
つぎの遠足も、そのつぎの年も、お母さんは
フライパンケーキを焼いてくれた。

小林カツ代は
のちにこんな子育て論を披露している。

 子どもにはそんなにごたいそうなこと
 伝えなくても、おいしいもの作って育てたら
 スクスク育つんやないでしょうか?

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石橋涼子 13年10月27日放送



おやつのはなし ジョージ・ハリスン

ビートルズに「サヴォイ・トラッフル」という曲がある。
ジョージ・ハリスンによる作詞・作曲で
親友のエリック・クラプトンへ捧げた曲だという。
と言っても友情を歌っているわけではなく。
大の甘党で虫歯になったクラプトンをからかい、
チョコレートの名前をたっぷり歌いこんだ後に、歌詞はこう続く。

 what is sweet now, turns so sour
 今は甘いものが、あとで酸っぱくなるぞ

親友だから言える、甘い皮肉。

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茂木彩海 13年10月27日放送


jordanmit09
おやつのはなし 川端康成のクッキー

日本を代表する小説家、川端康成。
小さなお弁当を4回に分けて食べるほど食が細かったが、
どうも甘いものは別腹だったよう。
急性糖尿病にかかるほどの甘いもの好きだった。

そんな川端が「フランスでも滅多に味わへない本格的な良心的な作品」
と絶賛し、幾度となくおやつにした東京駒込の洋菓子店、カドのクッキー。

初代店主の高田壮一郎は、
日本人としてフランスへの菓子留学を果たした第一号生。
当時から珍しいお菓子がある店として有名だったという。

店内には川端直筆の推薦状が、いまでも額に入って飾られている。

 洋菓子のほんとうを同好の人びとに知ってもらへるのは、
 私の自慢でもある。

この「同好の人びと」の一人は、川端と師弟関係だった三島由紀夫。
彼もまた、カドの洋菓子をよくおやつに食べていたという。

おやつの好みが合えば、2人の絆はずっと深い。

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薄景子 13年10月27日放送


Brief Gasp
おやつのはなし 向田邦子の水羊羹

砂糖壺にいっぱいの砂糖があったらなぁ
いつその日が来るんだろう

そうつぶやくのは、少女の頃の向田邦子。
食糧事情が最悪だった戦前に、
まわりの人を喜ばせたい一心で
さつまいもの茶巾絞りや、
アルミの大きな弁当箱で寒天菓子をつくった。

少女はやがて、お菓子を見極める天才になり、
南青山の水羊羹をこよなく愛したという。

 新茶の出るころから店に並び、
 うちわを仕舞う頃にはひっそりと姿を消す、
 その短い命がいい

向田邦子に書かれると、
おやつはみんな生き物になる。

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茂木彩海 13年10月27日放送



おやつのはなし 手塚治虫の漫画

手塚治虫は生前、こんな言葉を残している。

 将来、漫画が子供の”おやつ”から”主食”になって、
 そのうち空気のように偏在する時代がくる。

予想は的中。今や漫画は世界に誇れる文化になった。

手塚先生、
あなたが愛したおやつはちゃんと、日本を支える主食になっています。

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薄景子 13年10月27日放送


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おやつのはなし 安藤鶴夫の鯛焼き

しっぽまであんこが入った鯛焼き。
今ではすっかり主流となったが、
そのきっかけをつくったのが
演劇評論家の安藤鶴夫である。

昭和28年、各界の著名人が
名店の美味しいものを紹介する連載で、
安藤は自宅近くにある駄菓子屋の
ひとつ10円の鯛焼きをとりあげた。

なんでも上げ底の世の中にあって、
尻尾まで餡の入るたいやきに人間の誠実さを味わった。

安藤はうまいまずいの話ではなく、
しっぽのあんこで豊かな気持ちになってほしいと願う
鯛焼き屋の心意気に感動したのだ。

記事は大反響を呼び、店は一躍有名に。
世の中の鯛焼きたちのしっぽには
あんこがぎゅうっとつめられていった。

人間に感動する男、安藤鶴夫は、
「カンドウスルオ」と呼ばれたという。

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