2013 年 10 月 20 日 のアーカイブ

佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「フェルマー」

17世紀フランスの法律家、
ピエール・ド・フェルマー。

大の数学好きだった彼は、
読んだ数学書の余白に数多くのメモを残した。

彼の死後、それらは全て解明された。
たった一つを除いては。

 3以上の自然数 nについて xn + yn = zn となる
 0 でない自然数 ( x, y, z ) の組は存在しない

これが

 フェルマーの最終定理

と呼ばれるもの。

 この定理に関して
 私は真に驚くべき証明を見つけたが
 この余白はそれを書くには狭すぎる

そう記してこの世を去ったフェルマー。

それから350年もの間、
自分のメモが数学史上最大の謎として
大勢の人生を狂わせることになるとは、
彼は夢にも思わなかったに違いない。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「谷山と志村」

戦後の日本でいち早く復興したのは
数学だった。

1955年の国際シンポジウムで、
東京大学の谷山豊は楕円曲線について
ある重要な発表を行う。

しかし3年後、
谷山は自らの説を証明することなく、
謎の自殺を遂げる。

谷山の遺志を継いだのは、
東大の先輩、志村五郎。

彼はそれから10年もの間、
親友が打ち立てた理論と取り組み、
遂に証明を完成させた。

この

 谷山=志村予想

こそ、
350年間誰も解くことのできなかった
フェルマーの最終定理に、
初めて風穴を開けた画期的な理論だった。

世界中の数学者を飲み込んできた魔の山に、
遂にルートが見つかった。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「ワイルズ① 登頂前夜」

1963年、10歳のアンドリュー・ワイルズは、
図書館で「フェルマーの最終定理」に出会った。

 いつか自分が解いてやる

そう誓った彼はケンブリッジ大学に進む。
しかし教官は無茶な夢は捨てるよう諭した。

1986年、「谷山=志村予想」が証明できれば
「フェルマーの最終定理」も証明できることを
アメリカの数学者ケン・リベットが発表する。

ワイルズの全身に震えが走った。
33歳の少年が夢に向かって再び歩き始めた。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「ワイルズ② アタック開始」

イギリスは冒険家の国だ。

クック、スコット、リビングストン、ヒラリー。
冒険に命をかけて死んだ男たちの血が、
数学者アンドリュー・ワイルズにも流れていた。

断崖絶壁に囲まれた数学史上最高の未踏峰、
「フェルマーの最終定理」。

ワイルズは誰にも内緒で証明を開始する。
数学者のキャリアを溝に捨てる恐怖と闘いながら、
彼は何年間も考えつづけた。

論文も書かず、学会にも出席しない彼のことを、
同僚たちは「ワイルズは終わった」と笑い者にした。

7年目、ようやく光明が訪れた。
不得意な幾何学をかなり駆使したが、自信はあった。

1993年、ワイルズは突然講演会を開き、
満員の聴衆の前で史上最大の難問を解き始めた。

終わりに近づくにつれてシャッターの音が増え、
シャンパンの栓が抜かれた。

いつまでも止まない喝采の中、
ワイルズは静かに証明を終える。

しかし、本当の試練はこれからだった。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「ワイルズ③ 滑落」

発表しただけでは正しいことにならない。

アンドリュー・ワイルズが発表した
「フェルマーの最終定理」の証明。

この数学史上最大の難問を証明する論文は、
6人の一流数学者たちの目で審査されることになった。

彼らは疑問が生じるたびメールで質問を送った。
ワイルズはどのメールにもすぐ返事を返したが、
ある一通にだけ返信が遅れた。

一週間たっても、一ヶ月たっても返事はなかった。

世紀の証明に、重大な誤りが見つかった。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「ワイルズ④ 遭難」

惜しみない賞賛は、
耐えがたい非難に変わった。

アンドリュー・ワイルズが発表した
「フェルマーの最終定理」の証明には
重大な欠陥があった。

ジーンズ会社から
広告出演依頼まで受けた男は、
いまや世界的なペテン師だった。

彼の下には完全な証明を求める声が殺到した。
メールを無視し、電話番号を変えてまで
ワイルズは修正を急いだ。
しかし1年経っても進展はなかった。

彼はかつての教え子、
リチャード・テイラーに助けを求めた。
テイラーは言った。

 あと1ヶ月。
 1ヶ月だけ頑張ってみましょう。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「ワイルズ⑤ 登頂成功」

350年間、世界中の数学者の前にそびえ続けた、
数学史上最大の未踏峰「フェルマーの最終定理」。

イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズは
頂上まであと一歩のところで遭難しかけていた。
ザイルを投げたのは、またも日本人だった。

1994年9月19日、月曜の朝。
天啓がワイルズを打った。

岩澤健吉の編み出した「岩澤理論」。
この代数的整数論を使えば
証明が完成することに気づいたのだ。

 なぜ今まで気づかなかったのか不思議なほど
 単純で優雅なとても美しい瞬間でした

翌朝、彼は証明をもう一度精査すると、
妻に「できたと思う」とだけ告げた。
350年間の謎がついに雪解けを迎えた。

数学者ヤコービは言った。

 数学は人間精神の栄光のためにある

非難と恥辱に塗れた8年間。
ワイルズは努力と信念と勇気、
何より数学への愛でそのすべてを乗り越えた。

それは、まぎれもなく人間精神の勝利だった。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「セーガン」

 宇宙人に聞きたいことはありませんか?

アメリカの天文学者カール・セーガンは時々、
宇宙人とコンタクトできると称する人から
そんな手紙をもらうことがある。

聞けば、宇宙人はとても進歩しているらしい。
だからセーガンは決まってこう尋ねる。

 フェルマーの最終定理を証明してください

返事をもらったことはまだ一度もないそうだ。

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