2013 年 11 月 10 日 のアーカイブ

佐藤理人 13年11月10日放送


jfravel
ナディア・コマネチ① 「希望」

1961年11月12日、
ルーマニアで一人の女の子が生まれた。

一週間ほどしたある夜のこと。
ひどい嵐で屋根がぶ厚い氷に覆われてしまった。

両親と祖父母が雨漏りを直す間、彼女は、
家の中でいちばん暖かい台所で寝かされていた。

祖父が通りすがりに彼女を抱きあげた次の瞬間、
屋根が崩れ落ちベッドは跡形もなく消え去った。

彼女の名前は、ナディア・エレナ・コマネチ。

ナディアはルーマニア語で

 希望

を意味する。

自分が体操と祖国の希望を救ったことを、
祖父はまだ知る由もなかった。

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佐藤理人 13年11月10日放送


Femaleprodigy
ナディア・コマネチ② 「側転」

 思い切り側転がしたい

それが、ナディア・コマネチが
体操を始めたきっかけだった。

まだ幼稚園児だった彼女は、
跳馬や平均台が持つ無限の可能性に
ひと目で魅せられてしまった。

しかしクラブには
彼女より上手な選手が何人もいた。

母は言った。

やりたいならやりなさい。
イヤならやめなさい。

ナディアはコーチの言いつけを忠実に守り、
誰よりも遅くまで練習を続けた。

6歳にして彼女は自分の進むべき道を
完璧に理解していた。

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佐藤理人 13年11月10日放送



ナディア・コマネチ③ 「モントリオール」

 「コマネチサルト」「コマネチおり」

自分の名がついた体操の技を2つ持つ選手、
ナディア・コマネチ。

彼女は現在でも最高難易度に属するその技を駆使し、
1976年のモントリオールオリンピックで
完璧な演技を披露した。

しかし電光掲示板の点数は1.00。
どういうことだ?コーチが向き直ると、
審判は指を10本広げてみせた。
当時の掲示板には10点を表示する機能がまだなかった。

その後さらに6つの満点をとり、
史上初の快挙を7回も成し遂げたナディアは、
一夜にして世界のスーパーアイドルになった。

しかし彼女は何とも思わなかった。
彼女にとってオリンピックは
競技会の一つに過ぎなかった。

それもそのはず。ルーマニアでは
政府が認めたTV番組しか流せなかったため、
彼女はオリンピックの存在を知らなかったのだ。

私はただいい演技をしただけなのに。
みんなの驚く顔が、彼女にはむしろ驚きだった。

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佐藤理人 13年11月10日放送


eye2eye
ナディア・コマネチ④ 「モスクワ」

共産主義国家で10代を過ごすのは楽じゃない。
金メダリストなら尚更だ。

モントリオールオリンピックの後、
ナディア・コマネチは荒れた。

厳しい練習。国からのプレッシャー。
国家の英雄とは思えない貧しい暮らし。
報われない虚しさが彼女から
体操への情熱を奪い去った。

彼女は10代の少女らしく、
毎日を勝手気ままに過ごした。
しかし一度特別な世界を見た者が
普通の暮らしに満足できるはずがない。
心はいつも空虚だった。

1980年のモスクワオリンピックに出よう。

 コマネチは終わった

と言うマスコミが間違ってると証明するために。
そして辞めよう。新しい人生を始めるために。

結果は銀メダル。
彼女は体操にもう何の未練もなかった。

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佐藤理人 13年11月10日放送



ナディア・コマネチ⑤ 「アメリカ」

 ルーマニアに帰るか。
 それともアメリカに残るか。

ツアーでニューヨークを訪れた日の夜、
コーチにそう尋ねられ、体操の金メダリスト
ナディア・コマネチは答に詰まった。

1980年代、ルーマニアは酷い飢餓状態にあった。
大統領ニコラエ・チャウシェスクが
国の借金返済のため食料品をすべて輸出していたのだ。

でも、家族を置いて亡命なんてとてもできない。

 国に帰ります

彼女はそう答えるのが精一杯だった。

翌朝、コーチ夫妻は姿を消した。
その日からナディアの生活は一変した。
亡命の危険性がある要注意人物として
国から徹底的にマークされた。

6歳から苦楽を共にしたコーチが去った今、
どうすればいいか教えてくれる人は
もう誰もいなかった。

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佐藤理人 13年11月10日放送



ナディア・コマネチ⑥ 「決意」

エドヴァルド・ムンクの「叫び」。

 あの絵に描かれた男性の気持ちが
 私にはわかる。

体操の金メダリスト、
ナディア・コマネチは言う。

コーチ夫妻が亡命した後、
彼女は何年間も電話を盗聴され、
24時間秘密警察に見張られた。

 白い妖精

と呼ばれたかつての英雄は、
今や囚われの反逆者だった。

このまま負けっぱなしなんてイヤだ。

亡命という今までで最も難しく
危険な技に挑むため、
彼女は秘かに助走を始めた。

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佐藤理人 13年11月10日放送


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ナディア・コマネチ⑦ 「亡命」

どんな高いジャンプだって恐くなかった。
でも今は目の前にある数mの鉄条網が恐ろしい。

体操の金メダリスト、ナディア・コマネチは
ルーマニアの国境で怯えていた。
背後から国境警備隊に射殺されたらどうしよう。
残した家族が秘密警察に拷問されたらどうしよう。

吐き気をもよおすほどの恐怖と闘いながら、
彼女は6人の仲間とともに暗闇を6時間走り続けた。

しかしようやく辿り着いたハンガリー警察は、
無名の一般人には冷たかった。

 君はいいが、残りは強制送還する。

体操には団体競技としての側面がある。
個人の点数はチームに加算されるのだ。

幼い頃から常に「チームプレイヤーであれ」
と教えられてきたナディアは思わず言った。

 全員が残れないなら、私も残りません。

ハンガリー警察は全員の亡命を認めた。

人生を賭けた大勝負で、彼女は見事、
10点満点のウルトラCを成功させた。

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佐藤理人 13年11月10日放送


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ナディア・コマネチ⑧ 「帰国」

亡命から5年後、
ナディア・コマネチはルーマニアに帰った。

チャウシェスクは処刑され、
秘密警察も消えた。でも彼女は恐かった。

国を捨てた裏切者

そう呼ばれるんじゃないか。

飛行機を降りた彼女が見たもの。
それは勇気ある一人の女性を出迎える
数千人の姿だった。

ナディアは今、優れた指導者として
子供たちにスポーツという「希望」を
贈り続けている。

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