2013 年 11 月 のアーカイブ

礒部建多 13年11月24日放送


mrhayata
OLを描く 中園ミホ

「やまとなでしこ」や「スタアの恋」。
脚本家、中園ミホの作品は次々ヒットを飛ばす。

中園のこだわりは、
時代と共に移り変わる、
働く女性像の描き方だ。
彼女たちをリアルに表現するためなら
努力は厭わない。

「取材の中園ミホ」と呼ばれるほど、
自分の足を使って、徹底的に取材を行う。
「ハケンの品格」を書く際には
何人もの女性派遣社員に会いに行った。

取材を受けてくれた人の
生の声を届けなければ。

中園はセリフを書くことで、
働く女性たちの声にならない声を
代弁している。

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奥村広乃 13年11月24日放送



OLの恋

1929年、昭和4年のヒット曲。
西條八十作詞の『東京行進曲』にこんな一節がある。

恋の丸ビル あの窓あたり
泣いて文(ふみ)かく 人もある

当時の丸ビルは、地下一階、地上八階建て。
その大きさや、モダンな外観から「東洋一のビル」と称された。

働く女性が、モダンガールと呼ばれ、
ひざ下スカートにショートカットのファッションで
生き生きと活躍し始めた時代。

職場で出会い、
恋心を燃やした男女も多かっただろう。

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礒部建多 13年11月24日放送



OLの曲

OLの教祖と呼ばれ
働く女性たちから多くの支持を受けている、
シンガーソングライター、古内東子。

本人がメディアに出ることは滅多にないが
その歌はテレビドラマのテーマとしてよく使われた。
古内の楽曲は、デビュー当時から変わる事なく、
恋愛に向かう女心をリアルに歌い続ける。

彼女の切なくも温かい音楽に、
OLたちは自分の体験を重ねながら、
聴いているのだ。
古内は言う。

 含みの美学、みたいなものが表れていると思います。
 自己投影できたり、少し余白があった方が
 気持ちを込めやすい気がしています。

古内のつくる余白は
恋や仕事に疲れたOLたちの心を癒し
優しく背中を押している。

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蛭田瑞穂 13年11月23日放送



野茂英雄①

1995年、野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースで
メジャーリーグデビューをした時、
正捕手を務めていたのが、マイク・ピアッツァだった。

メジャーリーグ史上最も攻撃力に溢れた捕手
とも賞賛されるピアッツァは、
1995年には打率3割4分6厘、32本塁打を記録し、
打者としても新人の野茂を援護をした。

野茂がピンチになる度に、ピアッツァはマウンドに
駆け寄り日本語で声をかけた。

 ノモ、シューチュー

「野茂、集中しろ」。
優れた投手と捕手は、短い言葉で
心をひとつにすることができる。
野茂とピアッツァがそれを教えてくれた。

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蛭田瑞穂 13年11月23日放送



野茂英雄②

1996年9月17日、
ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄は
コロラド・ロッキーズを相手に
ノーヒット・ノーランを達成した。

野茂が記録を達成したケア―ズ・フィールドは
ホームランが出やすい球場として知られる。
その理由は球場の場所にある。
標高1600メートルという高地に位置するため、
気圧が低く、空気抵抗が少ない。
そのため打球の飛距離が伸びるのだ。

1995年に開場して以来、ケア―ズ・フィールドで
ノーヒット・ノーランを達成した選手は、
野茂英雄以外には誰もいない。

野茂自身初のノーヒット・ノーランの価値は
そこにもある。

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蛭田瑞穂 13年11月23日放送


Chickens in the Trees
野茂英雄③

野茂英雄がメジャーリーグで活躍するまで、
アメリカは日本のプロ野球を明らかに格下に見ていた。

野茂英雄のメジャーリーグ1年目は
マイナー契約からのスタート。
年俸はメジャーリーグ最低保障の十万ドルだった。
日本で4年連続最多勝を挙げた投手は
その程度の評価しかされていなかった。

1年目に新人王を獲得するほどの
活躍を野茂が見せたことにより、
メジャーリーグの日本に対する見方も変わった。

のちに松坂大輔は1億3百万ドルで
レッドソックスに入団し、
今年、上原浩治はワールドシリーズの胴上げ投手となった。

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蛭田瑞穂 13年11月23日放送



野茂英雄④

野茂英雄は1989年のドラフト会議で、
史上最多の8球団からの1位指名を受けた。

野茂はどの球団に指名されても
プロ入りすることを公言していた。
野茂は野球さえできればそれでよかった。

抽選の結果、野茂の交渉権を獲得したのは
近鉄バファローズだった。
くじを引き当てたのは当時の監督仰木彬。

野茂の特徴はその投球フォームにあった。
のちにトルネードとも称される独特のフォームに、
プロ野球界からは批判の声も上がっていた。

しかし野茂はプロ入りするにあたり
フォームを矯正されることだけは拒んだ。
そして仰木彬はそれを認めた。

仰木の判断が正しいことが証明されたのは
それから1年後。
新人の野茂は最多勝、奪三振王、新人王など、
あらゆる賞を総ナメにし、1年目にして
日本プロ野球界の頂点に立った。

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薄景子 13年11月17日放送


Chickens in the Trees
アーティストの話 棟方志功

 愛してもアイシキレナイ

そう言いきるほど
板画を愛した世界的巨匠、棟方志功。
彼は一生の朝の数を

 三万六千五百朝

と表現した。
1年365日、100歳まで生きても
朝は3万6500回だけ。
だから、ひと朝だってムダにしない。
そんな棟方の板画家魂がこめられた言葉だ。

1日が生まれる朝は、
新しい何かが生まれる瞬間でもある。
うかうかしてはいられない。

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薄景子 13年11月17日放送



アーティストの話 淡谷のり子

20世紀を駆け抜けた
ブルース界のアーティスト、淡谷のり子。
戦時下で多くの慰問活動を行っていた淡谷の楽屋に、
ある時、若い兵士たちが来てこう言った。

自分たちは特攻隊員だから、
歌の途中で出ていくこともある、
その無礼を前もっておわびに来たのだと。

淡谷が一番を歌い終わると同時に、
その兵士たちはいっせいに立ち上がり、
舞台に向って敬礼をして出て行った。

もう帰ってこないかもしれない。
彼女は涙で、歌えなくなった。

 歌手は舞台で泣くものではありません。

淡谷のり子の信条が破られたのは、
生涯でこの一度だけ。

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茂木彩海 13年11月17日放送


quicheisinsane
アーティストの話 アニエス・ヴェルダ

フランス初の女性映画監督として知られる
アニエス・ヴェルダ。85歳。

ベルギーで幼少時代を過ごし、
第二次世界大戦に逃れて家族でフランスに渡った。

写真家として活動したのち、26歳で映画をつくり、
さらに2003年からはコンテンポラリーアーティストとしても活躍。

80歳半ばにして、3つ目の人生を歩みはじめた。

自分にしか撮れない写真を撮った。
監督した映画が話題になった。
新しい作風にチャレンジした。

誰が聞いてもアーティストらしい人生を送っている彼女だが、
自分の作品をアートと呼ばれるのは、あまり好きではないようだ。

 私は自分の作品を見てもらうのは嬉しいけれど、
 “芸術作品”なんて強制するのは大嫌い。
 重すぎるわ。ケーキに乗るさくらんぼのようなものよ。

無くても大丈夫だけれど、あったらもっと嬉しいもの。

自分の作品をそんな風に気楽に感じられたとき
アーティストはもっと自由になれるのかもしれない。

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