東京駅
いまから100年前。
東京駅の開業式典の冒頭で
ときの首相大隈重信は
招待客1,500人余りを前にこう述べた。
「物はすべて中心を欠くべからず。
あたかも太陽が八方に光を放つがごとく、
鉄道も光線のごとく四通八達せざるべからず」
東京駅を太陽に。
そしてそこから延びる線路を
太陽の光に例えたこの言葉。
100年もむかしに大隈は
いまの東京を
思い描いていたのだろうか。
東京駅
いまから100年前。
東京駅の開業式典の冒頭で
ときの首相大隈重信は
招待客1,500人余りを前にこう述べた。
「物はすべて中心を欠くべからず。
あたかも太陽が八方に光を放つがごとく、
鉄道も光線のごとく四通八達せざるべからず」
東京駅を太陽に。
そしてそこから延びる線路を
太陽の光に例えたこの言葉。
100年もむかしに大隈は
いまの東京を
思い描いていたのだろうか。
塔の名前
1958年。
新しい電波塔の名称を決める審査会が行われた。
日本全国から86,269通もの応募があり、
一番多い名称は「昭和塔」、続いて「日本塔」「平和塔」だった。
大もめの審査会で、
審査委員の一人、漫談家の徳川夢声は、
自信満々にこう言った。
「ピタリと表しているのは『東京タワー』を置いて他にありませんな」
コトバのプロである徳川が推したのは、
普通すぎる名前だった。
彼の推薦により、塔の名称は東京タワーに決まる。
もしも、昭和塔という名称になっていたら。
東京タワーはこんなにも愛されていただろうか。
今日もその塔は、
東京の空にまっすぐ立っている。
glowingstar
東京の愛し方
東京は、
どんなふうに愛しても許される街。
日本を代表する写真家、荒木経惟。
花や人妻ヌードと並んで、
彼が永年撮りつづけるのが東京の風景だ。
1984年発行の、
特に愛されている写真集がある。
「東京は、秋」。
数年後に亡くなる最愛の妻、陽子と
東京を散歩するように撮った一冊だ。
妻:建物の裏側を撮るのが好きでしょ?
夫:裏側ってのはね、ディテールとか、染みとかがある。
裏へ行くまで気づかなかったとか、そういうのがある。
東京の裏側っていうか、それが見える。
どの写真にも
妻、陽子との何気ない会話がつけられている。
昔と今が混ざり合い、急激に変わり続ける街を、
愛する人と歩きながら、いつくしむように、
荒木はシャッターを押した。
いつかは別れる大切な人と、
こんなふうに歩いてみたくなる。
それが、東京。
Dick Thomas Johnson
日本武道館
東京都九段下にある、日本武道館。
1966年6月30日を境に
ロックの殿堂と呼ばれるようになった。
その日、
初めて武道館でライブを行ったのは、ビートルズだ。
それまで、厳粛な武道の場であったため管理側は猛反対。
しかし、ライブの企画担当だった
読売新聞の鈴木啓正(すずきひろまさ)は、
こう説得した。
「英国女王陛下から
勲章をもらった芸術家に
貸してもらいたい。」
その一言が、
武道館を日本一のライブ会場に変え、
東京を日本の音楽の中心にした。
今日もたくさんのミュージシャンが、
そこで演奏する日を、夢見ている。
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