2014 年 2 月 のアーカイブ

古居利康 14年2月22日放送


Patent
やめない男 山本昌

マサは、やめない。

一風変わったフォームから繰り出す、
スクリューボールとカーブ。
140kmに満たないストレートで、
打者を牛耳るそのスタイルは健在だ。

昨年8月、神宮球場でのヤクルト戦。
48歳での先発登板勝利は、
日本プロ野球史上最年長の記録となった。

山本昌。愛称、マサ。
1983年、ドラフト5位で中日に入団。
以来、ドラゴンズ一筋30年。576試合に登板、
対戦した打者は延べ13795人。218勝164敗。
セリーグ最多勝3回。最優秀投手賞2回。
投手最高の栄誉・沢村賞も獲得した。

それでもマサはマウンドに立つ。
中日球団幹部は、「やめろという理由が
見つからない」と言う。

31年目のシーズン、
ローテーションの一角をめざして、
いまスプリングキャンプは佳境に入った。

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古居利康 14年2月22日放送


SaundiSeptember
やめない男 イチロー

僕は、やめない。

イチローは、その思いをこう表現した。

「まだ苦しみが足りない。
 そう思えるうちはやめない。
 まだ苦しめる。やれる、と
 思っていることがたくさんある。」

40歳で迎える、
メジャー14年目のシーズン。
ニューヨーク・ヤンキースか。別の球団か。
どこでやろうとレギュラーを約束されない、
厳しい一年がはじまる。

けれど、イチローは言う。

「年を取ることを認めつつ、前に進む。
 オレおじさんだから、と言いながら、
 胸のこのへんがフツフツしてる。」

50歳まで野球をつづけたい。
だけど、少しでも腹が出てきたらやめる。
若いとき、そう広言していた
イチローのおなかまわりのシルエットは、
2014年2月現在、若いときと何も変わっていない。

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佐藤理人 14年2月16日放送


Patent and the Pantry
Art meets Sweets ① ロダンのレモンカード

彫刻「考える人」は、何を考えているのだろう。
もしかするとそれは、恋の悩みかもしれない。

近代彫刻の父、オーギュスト・ロダン。
彼のお気に入りのスイーツは、
モデルのマダム・ルッセルが作る、
「レモンカード」というジャムだった。

フランスでは馴染みの薄い食べ物だったため、
彼女はロダンに送る際、

 クッキーにつけて食べてください

と手紙を添えた。ロダンは、

 美味しさと夫人の美しさで
 私の喜びは2倍になる

と絶賛。
しかし彼女は人妻だった。

もしもあなたの近くに叶わぬ恋で悩む人がいたら、
甘いジャムを差し入れてみてはいかがでしょう。
もちろん美味しいクッキーも忘れずに。

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佐藤理人 14年2月16日放送


Vanessa (EY)
Art meets Sweets ② プルーストのカフェオレ

紅茶に浸したひとかけらのマドレーヌ。
純白の生クリームを添えた深紅のいちご…。

20世紀初頭、ベルエポックの華やかな食生活を
詩的に描いた作家、マルセル・プルースト。
しかし彼自身は持病の喘息のため、
食が極めて細かった。
彼にとって食事とは貴重な楽しみであると同時に、
命を賭した生きるための行為だった。

この美味しさはもう二度と味わえないかもしれない。
プルーストはひと口ひと口を大切に脳裏に刻み、
美味なるフレーズに換えて文章の中に散りばめた。

そんな彼の唯一つの平穏。それはカフェオレ。

 朝のカフェオレの味は、
 我々に晴天への漠とした希望をもたらす

代表作「失われた時を求めて」でそう述べた彼は、
死の間際にはカフェオレしか口にしなかったという。

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佐藤理人 14年2月16日放送



Art meets Sweets ③ マネのブリオッシュ

服を着た男性とピクニックを楽しむ裸の女性や
娼婦など、スキャンダラスな絵を好んで描いた
19世紀の画家、エドゥアール・マネ。

彼が保守的なフランス絵画界に
受け入れられた理由は、
画家としての革新的な才能だけでなく、
その陽気で知的な性格にあった。

大ブルジョワジーだった彼の家では、
毎週盛大な晩さん会が開かれ、
大勢の上流階級が集まった。

そのまん中に置かれたスイーツが、
子どもの頭ほどある大きなブリオッシュ。

バラの花を挿し、小菓子を周りに敷き詰めた
華やかな姿はまるで、
誰にでも愛され常に人々の中心にいた
マネ自身のようだった。

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佐藤理人 14年2月16日放送



Art meets Sweets ④ ノストラダムスの生姜ジャム

もしも明日が地球最後の日なら、
あなたは何を食べますか?

 1999年7の月に
 天から恐怖の大王が降ってくるだろう

そう予言して世界中を震撼させたノストラダムス。
オカルトイメージの強い彼だが、
実際は博学で人望の厚い医者であり、作家だった。

彼の生まれたプロヴァンス地方は、
有数の果物の産地だったが、
収穫期には食べきれず大量に破棄していた。

どうにかしてこれらを
冬や飢饉に備えて保存できないか。
そう考えたノストラダムスは、
果物を砂糖や蜂蜜漬けにして保存する方法を研究。
1555年、「化粧品とジャム論」という本にまとめた。

お気に入りの生姜のジャムをはじめ、
彼が考えた数々のレシピは、
現在でも使われている非常に高度なものだった。

今、私たちがジャムや缶詰を楽しめるのは、
ひとえに彼の研究成果と、
何より、予言がハズれたおかげなのです。

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佐藤理人 14年2月16日放送



Art meets Sweets ⑤ ヘミングウェイのアップルパイ

アメリカの「おふくろの味」は
ヘミングウェイにとって「おやじの味」だった。

 結婚してくれたら、
 家事はしなくていい

プロポーズの言葉通り、
彼の父は自ら台所に立った。

幼いヘミングウェイのお気に入りは、
アップルパイ。

作家になり、パリに住んだ彼は
自分でもパイを焼いた。
ただしそれは上を皮で覆わない

タルト・オ・ポム

というフランス風。

駆け出しの作家らしい、
材料費を節約する工夫だった。

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佐藤理人 14年2月16日放送


Moonik
Art meets Sweets ⑥ デュマのビスキュイ

「三銃士」の成功で巨万の富を築くと、
作家アレクサンドル・デュマはパリ郊外に大豪邸を建てた。

その名も「モンテクリスト城」。彼はそこで
夜な夜な大宴会を催し、美食と恋の限りを尽くした。

しかし晩年には浪費のツケが崇り、
一転、借金に追われる身となった。

 戦争ですばらしい功績をあげるより、
 おいしい料理を発明した方が、
 どれほど人のためになり、名誉なことだろう

執筆や旅行、恋愛にさえ興味を失ったデュマが、
最後に得た人生哲学。それは「食べる喜び」。

遺作「料理大辞典」は、
デュマが世界中をまわって探し求めた
あらゆる食の知識を盛り込んだ傑作である。

彼が「スイーツ」の項の1ページ目に載せたのが、

 サヴォワ風ビスキュイ

欲望のままに生き、甘い生活を味わいつくした文豪デュマ。

そんな彼が最後に愛したのは、最小限の味付けを施した
スポンジケーキの優しい甘さだった。

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佐藤理人 14年2月16日放送



Art meets Sweets ⑦ ヴェルディのコンポート

 土地は裏切らない

オペラ「アイーダ」の作曲家、ヴェルディ。
手にした巨万の富で、彼は土地を買った。

豪邸を建てるためではなく、
農作物を育て、家畜を育てるために。

彼が作曲に行き詰ると、
妻のジュゼッピーナは採れたての洋ナシを
丸ごと赤ワインで煮た甘いコンポートを作った。

決して独りでは食事をしなかったヴェルディ。

最初の妻と2人の子どもを亡くした彼にとって、
食卓は愛情を味わえるかけがえのない場所だった。

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佐藤理人 14年2月16日放送


Cremo
Art meets Sweets ⑧ コクトーのスミレアイス

 食べてはいけないものが好き

常識に異を唱え続けた詩人らしく、
ジャン・コクトーはスイーツの好みも
一筋縄ではいかなかった。

お気に入りは、
スミレのアイスクリーム。

砂糖でコーティングした
スミレの花びらをバニラアイスに混ぜる。

紫の糖衣が割れるとバニラの甘さに乗って、
花の香りが口いっぱいに広がるという、
シンプルでありながら高貴な味わい。

彼にとってデザートは別腹ではなく、
正面から向き合うべきアートであった。

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