2014 年 3 月 のアーカイブ

澁江俊一 14年3月2日放送



受験生のための言葉

ああ、試験はいやだ。
人間の価値が、わずか一時間や二時間の試験で、
どしどし決定せられるというのは、恐ろしい事だ。
それは、神を犯す事だ。
試験官は、みんな地獄へ行くだろう。

太宰治の小説「正義と微笑(せいぎとびしょう)」の
主人公「僕」の言葉だ。
彼が慕う若き教師、黒田先生はこう語った。

 日常の生活に
 直接役に立たないような勉強こそ、
 将来、君たちの人格を完成させるのだ。
 何も自分の知識を誇る必要はない。
 勉強して、それから、
 けろりと忘れてもいいんだ。
 覚えるということが大事なのではなくて、
 大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
 カルチュアというのは、
 公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、
 心を広く持つという事なんだ。
 つまり、愛するという事を知る事だ。

迷いながら生きる16歳の主人公の心に
深く届いたこの言葉。
今日もがんばる受験生にも
届きますように。

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奥村広乃 14年3月2日放送



努力論

『五重塔』『運命』などの作品で知られる
明治の小説家、幸田露伴。
彼には『努力論』という随筆がある。

努力は即ち生活の充実である。
努力は即ち各人自己の発展である。
努力は即ち生の意義である。

努力は、
楽しいものでも、
すぐに報われるものでもない。

それでも、
幸せに生きたいと思ったときは、
理想にむけて地道な努力を続けることが
一番の近道なのだ。

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澁江俊一 14年3月2日放送



ロボットと受験

人工知能は今、
どこまで進化しているのだろうか。

人工知能と人間との戦いは
チェスでは人工知能が人間を上回り、
将棋でも日本を代表するプロ棋士だった
米長邦雄を破り、
人工知能が人間を超えたと言われている。

囲碁となると、
まだ人間の方が有利なようだが、
大学入試はどうだろう。

2013年、
「東ロボくん」という名の人工知能が
大学入試センター試験と
東大の2次試験の模擬試験に挑戦した。

結果は、東大は不合格。
しかし私立大学ならばけっこうな確率で
合格する点数を獲得した。

東ロボくん、
苦手な科目は
国語と英語だそうだ。

2021年までに
東大に合格できるよう
人工知能は今日も進化を続けている。

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礒部建多 14年3月2日放送



宝塚受験

定員40名前後の狭き門に、
応募者は全国から1000人を越える、宝塚音楽学校。
天海祐希は、同校を代表するトップスターだ。

当時通っていた高校の先生に薦められ、
宝塚を目指すようになった天海。
バレエや歌のレッスンに通い始めると、
すぐに才能を開花させ、「10年に1人の逸材」とも呼ばれた。

しかし、誰もが天海の受験を後押しする中
レッスンの先生だけは、こう言った。

 「今、あなたが宝塚を受験したら、
  受かってしまうかもしれない。
  それでは入学してから、あなたが大変な苦労をする。」

天海は、その年の受験を見送り、
翌年の試験でトップ通過を果たす。
そして、最年少で月組トップスターに就任するなど
輝かしい実績を収めた。

ゴールは目先の合格だけではない。
ずっと先の人生と、真摯に向き合うこと。
それを受験と呼ぶのだろう。

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松岡康 14年3月2日放送

140302-07

3度目の失敗

彫刻家オーギュスト・ロダン。
「考える人」で世界的に知られ
近代彫刻の父と言われる彼は、
意外にも美大の受験に3度失敗し
入学を諦めている。

その後ロダンは
室内装飾の職人や修道士を経験。
彫刻家として活動を再開するまで
10年以上かかった。

ロダンはいう。

 経験を賢く活かすならば、
 何事も時間の無駄にはならない。

回り道だからこそ、見える景色がある。
考える人は、今日もそんなことを
考えているのかもしれない。

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松岡康 14年3月2日放送



受験の神様

学問の神様、菅原道真。
彼が祀られている太宰府天満宮には、
毎年日本中から何万人もの受験生が
合格祈願に訪れる。

道真はわずか18歳で
国家公務員試験の「進士」の試験に合格、
23歳でさらに上級の「秀才」に合格し、博士となる。
以後、その才を遺憾なく発揮して順調に出世し、
55歳で右大臣に上り詰めた。
絵に描いたようなエリートコースである。

しかしその後、
彼の出世をねたむ藤原時平の陰謀で
太宰府へ左遷。
わずか2年後に無念の死を遂げている。

 難しい試験に受かることが、
 幸せになれることではない。

そう知っている学問の神様は
今、受験生たちを、
どんなふうに見守っているのだろう。

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佐藤延夫 14年3月1日放送



ゴーストの役割 ダルトン・トランボ

アメリカの映画脚本家で、
ダルトン・トランボという男がいた。
第二次大戦後、政治思想による弾圧で禁固刑となり
映画界を追放されると、妻とともにメキシコに移り住んだ。

偽名を使ってハリウッド映画の脚本を書き、
知人の脚本家の名前を借りたこともあった。
そして、ロバート・リッチ名義で参加した「黒い牡牛」は
アカデミー原案賞を受賞。
かの有名な「ローマの休日」も、
トランボが執筆したことが彼の死後、明らかになった。

ゴーストライターだけが、真実を知っている。

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佐藤延夫 14年3月1日放送


gullevek
ゴーストの役割 重松清

「流星ワゴン」「ビタミンF」など
数々の作品で知られる小説家、重松清。

編集者からフリーライターに転身し、
作家として売れる前から、ペンネームを使って仕事をした。
その名前は、田村章。
雑誌の記事、映画のノベライズ、テレビドラマの脚本、
芸能人のエッセイの構成なども手がけ、
伝説のゴーストライターと言われた。

実のところ、田村章のほか、
岡田幸四郎など20以上の別名を持っているそうだ。

プロのゴーストライターは、自分のゴーストになっている。

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佐藤延夫 14年3月1日放送



ゴーストの役割 川端康成

日本で最も美しい文章を書いた作家と言われる
川端康成。
その素顔は無口で、何を考えているかわからない
一風変わった性格だったそうだ。
本業の小説でも、筆が遅かったため、
何人ものゴーストライターを抱えていたという。

たとえば「東京の人」という作品は梶山季之によるもの。
「乙女の港」は中里恒子、
「文章読本」は伊藤整の代筆と言われている。

さすがノーベル賞作家は、格が違う。

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佐藤延夫 14年3月1日放送



ゴーストの役割 ディック・フランシス

イギリスの小説家、ディック・フランシス。
競馬のジョッキーを引退したあと、新聞記者を経て文壇デビューを果たした。
ジャンルは、競馬ミステリー。
40冊以上の本を世に出し、日本にも根強いファンが多い。

しかし、最愛の妻メアリーを亡くしたときの
彼の告白が世間を驚かせた。

「作品を書かせてくれたのは妻だった。
 もう、手紙などのほかには何も書かないだろう。
 私の作品のほとんどは、彼女との仕事だった」

執筆の際に多大なる協力をしたメアリー夫人は、
著者のひとりとして本に名前が載ることを頑に拒んだという。
もちろん、この事実が明らかにされても、
ディック・フランシスの人気が衰えることはなかった。

美談になるか、後ろ指をさされるか。
それは、本人たちの心掛け次第なのかもしれない。

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