佐藤延夫 14年4月5日放送

140405-04

苦節の時代 嵐寛寿郎

明治36年、京都で生まれた少年は、
小学校を卒業するとすぐ、丁稚奉公に出された。
着物の襟の製造販売店だった。

朝五時に起きて、荷車や自転車に油をさす。
冬でも足袋を履くことを許されず、一日中、配達で走り回る。
夜は十二時までミシンがけという重労働で、月給はわずか一円。
今の金額に直すと、4,000円ほど。
月に一度の休みは、チャンバラ映画やアメリカの喜劇映画を見て過ごした。

この少年は、十数年後、嵐寛寿郎という名前で
大衆の心を鷲掴みにする。
あのころ見た銀幕の世界に、自分の生きる場所を見つけた。

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