2014 年 4 月 のアーカイブ

村山覚 14年4月13日放送

140413-05

アディ・ダスラーの逆転ゴール

1954年、サッカーワールドカップの決勝戦。
西ドイツチームのベンチに、ひとりの靴職人が座っていた。

対戦相手はハンガリー。
4年間無敗、1試合の平均得点は4点以上と
名実ともに世界最強チームだったハンガリーは
予選から準決勝まで順当に勝ち進んだ。
決勝戦も試合開始後わずか8分で2得点リード。

やはりハンガリーか。
そんなムードが流れるスタジアムで、
ボールや選手ではなく「選手の靴」を見つめていたのは
靴職人ただ一人だったかもしれない。

決勝戦のピッチは大雨の影響でぬかるみ、滑りやすくなっていた。
試合前、靴職人は靴底の金具を長くて固いものに付け替えていた。

その後、西ドイツが2点を入れて同点。
歓喜の瞬間、ハンガリーにとっては最悪の瞬間は、
後半の試合終了間際にやってきた。
雨のピッチでも踏ん張りがきく西ドイツチームの靴が
蹴り込んだ逆転ゴール。
この決勝戦の番狂わせは「ベルンの奇跡」と呼ばれている。

靴職人の名は、アディ・ダスラー。
そう、アディダスの創業者である。

ワールドカップ授与の瞬間、西ドイツの監督は
ベンチに座っていたアディを表彰台にひっぱり上げた。
その優勝写真により、アディとアディの靴はますます有名になり、
ヨーロッパ中から注文が殺到したそうだ。

その試合は、ひとりの靴職人の晴れ舞台であると同時に、
サッカーシューズ新時代のキックオフでもあった。

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村山覚 14年4月13日放送

140413-06
Schnobby
フィレンツェの子猫・深谷秀隆

1998年。
深谷秀隆は靴職人になるためにイタリアに渡った。
靴の木型と「靴づくりを学びたい」と書いた紙を持って
靴屋を何十軒とまわり、やっと修業先を見つけた。

深谷の作る靴は、今やイタリア最高級。
全て手作りなので週に1足しか作れないが、
40万円以上の値段がつく。

靴工房の名前は「イルミーチョ」。子猫という意味だ。
自由気ままで誰にも媚びない子猫のようでありたいと願う
深谷はこう語る。

 急いでも良いものは作れない。
 徹底的に良い靴を作らないと意味がない。

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阿部広太郎 14年4月13日放送

140413-07

ジョセフ・ケネディと靴磨きの少年

ケネディ大統領の父、
ジョセフ・ケネディは投資家だった。

ある日、靴磨きの少年から
株の話をされたジョセフ。
こんな少年まで相場を語るのが
異常だと感じた彼は、
株から手を引き大恐慌を切り抜けたという。

最高の投資とは、
自分の感覚を磨くことだ。

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阿部広太郎 14年4月13日放送

140413-08

大塚岩次郎と明治天皇の革靴

明治維新後、14歳にして上京。
日本人に合う西洋靴をつくりたい。
その一心で大塚商会を興した大塚岩次郎。

ある日、紳士が岩次郎に靴の修繕を依頼。
イギリス製の靴を見るなり岩次郎は紳士に懇願する。

 同じ靴を新たに作って納めるからその靴を分解させて欲しい。

西洋の靴を知るなら今しかない。
常識外れの申し出を拒否する紳士。
それでも諦めずに懇願した結果、
紳士は渋々承諾せざるを得なかった。

靴を分解し、調べ上げ、新品を届けた所、
紳士はイギリス製にも優ると絶賛する。

実はこの人、宮内省の長崎省吾氏であった。
これが縁となり岩次郎は日本人として初めて
明治天皇の革靴製作を拝命する。

若き青年の靴作りへの情熱を、
日本中が知ることになったのだ。

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佐藤理人 14年4月12日放送

140412-01

ヘンリー・ダーガー① 「サバイバル」

41年前の春、一人の老人がこの世を去った。

いつも不機嫌でみすぼらしく、
たまに口を開けば天気の話ばかり。
身寄りも友人もいない彼の死を悼む者はいなかった。

遺品を片付けにアパートに入った大家は
トラック二台分のゴミを捨てた後、
旅行鞄の中から奇妙なものを見つけた。

それは15巻に及ぶ壮大な物語と、
300枚の巨大で色鮮やかな挿絵。

花模様の表紙には金色の文字で

 「非現実の王国で」

と記されていた。

老人の名はヘンリー・ダーガー。
40年に及ぶ彼の秘密のライフワークは
世界最長の小説であり、
アウトサイダーアートの傑作として名高い。

ダーガーにとってアートとは、その語源である

 「生き延びる技術」

そのものだった。

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佐藤理人 14年4月12日放送

140412-02
Insignifica
ヘンリー・ダーガー② 「アウトサイド」

芸術を世間の評価や値段で判断する人に
ヘンリー・ダーガーの良さはわからない。

「非現実の王国で」という名の通り、
彼の絵には様々な異形の生き物が登場する。

極めつけは、男性器を生やした裸の少女たち。

 私は少女の姿をした少年、
 少年の体をした少女であり続けたかった。

ダーガーは男女の性差を知らなかった。
いや同性愛者だった。そんな議論は無意味だ。

正式な美術教育を受けてない人による芸術を

 アウトサイダーアート

と呼ぶ。

それは常識の檻から脱出した人だけが、
見ることを許された新しい世界の景色。

アートの外側にいるのは
きっと私たちの方だ。

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佐藤理人 14年4月12日放送

140412-03
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ヘンリー・ダーガー③ 「ホットライン」

かつて天国につながる
ケータイを発明した男がいた。

アウトサイダーアートの傑作
「非現実の王国で」の作者ヘンリー・ダーガー。

81年の生涯を孤独と貧困にまみれて生きた
彼のたった一人の友達。それは、

 神様

彼は毎日欠かさず教会に通い、辛い現実を訴えた。
悲しいことが起きると、
絵の中で少女たちを残酷に殺した。

描くことは話すこと。彼にとって絵は
現実逃避の手段であるだけでなく、
捧げ物であり、怒りを表現する言語だった。

スケッチブックという液晶画面の中で、
彼は絵文字を駆使して神との通話を試みた。

一度くらい返信は来たのだろうか。

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佐藤理人 14年4月12日放送

140412-04
Billa
ヘンリー・ダーガー④ 「ギフト」

体が小さすぎて軍隊には入れなかった。

まともな仕事にもつけず、
恋人も友人もできなかった。

だから男は絵を描いた。
自分が空想した理想の世界の絵を。

その中で彼は、
子供を奴隷にする邪悪な国の大人から
少女たちを守る反乱軍のリーダーだった。

アウトサイダーアートの傑作、
「非現実の王国で」の作者ヘンリー・ダーガー。

40年間、ボロボロのアパートで
夜な夜な紡ぎ続けたちっぽけで広大な世界。
王国は最後、創造主である彼が起こした
巨大な竜巻に破壊されて終わる。

思い通りに生きられる人は少ない。
だから神は人間に
想像力を与えたのかもしれない。

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大友美有紀 14年4月6日放送

140406-01

「長新太」ペンネーム

絵本画家、イラストレータ、漫画家。
多彩な肩書きを持つ、ナンセンスの作家。
長新太。

最初の仕事は、映画の看板描き。
22歳の時、「東京日日新聞」の懸賞漫画に応募。
「ロング狂」という作品が当選する。
ロングスカートがテーマの作品で、
「ロング」で「長」、新人だから「新」、
太くたくましくいきなさいと「太」。
当時のデスクが命名したペンネームだった。

以来77歳で亡くなるまで、長新太として
絵を描き続けた。

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大友美有紀 14年4月6日放送

140406-02

「長新太」安い絵本

絵本作家、長新太。
生涯で手がけた子どもの本は400冊を越える。
信じられないほどの多作。
73年のエッセイで、安い絵本をつくりたいと言っている。

 絵が良くて、高価な絵本もいいと思うけれど、
 わたしは少し印刷が悪くても、
 というより、たくさんのインクを使用しなくて、
 二色ぐらいでも、それから少しぐらい紙がわるくとも、
 安い絵本がもっとつくれないかな、と思っているのです。
 本屋さんの前のクルクル廻るケースに入っている、
 いわゆる「百円絵本」によいものが出てきてほしいのです。
 そうして百円絵本が子どもたちに広く読まれることをねがう。
 絵本は百円ぐらいで買えなくてはいけない、と思うのです。

多作の影には、こんなねがいが隠れていたのかもしれない。

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