熊埜御堂由香 14年5月18日放送
学びの話3 高峰秀子
昭和を代表する女優、高峰秀子。
5歳で子役デビューして、あっというまに人気者になった。
それは彼女を、「学校」から遠ざけた。
小学校はもちろん、いわゆる義務教育を
満足に受けることができなかった。
彼女が26歳のときに発表したエッセイ集、「私の渡世日記」。
文章の巧みさに世が驚いた。
出版社に、ほんとうに本人が書いているのか?と
問い合わせが殺到したほどだった。
高峰は、子役時代から、自分の出演する映画の脚本を、
あたりまえのように読んできた。
さらに、キャリアを積み出演作を選ぶようになると、
より脚本を精緻に読み込むようになったという。
出演作は400作を超えた。
さらに結婚した映画監督、松山善三が病に倒れると、
脚本の口述筆記を一手に引き受けた。
右手の中指に、ペンだこが固まって
指がいびつに太くなっても、
夫の言葉をかきとめ続けた。
彼女は言う。
私の生きてきた道は常に文章と道づれでした。
女優として、妻として、
読んで、書いて、生きた。
厳しく、清らかな、学びの姿勢がそこには、ある。