sizima
千利休と大豆健康法
茶道を大成させた千利休。
お茶を飲むことも健康に良さそうだが、
彼はさらに大豆をすりつぶして作った
「呉汁」をよく飲んでいたという。
しかし利休の命を奪ったのは病気ではなく
時の権力者・秀吉との確執。
切腹を命じられたのは、69歳のことだった。
sizima
千利休と大豆健康法
茶道を大成させた千利休。
お茶を飲むことも健康に良さそうだが、
彼はさらに大豆をすりつぶして作った
「呉汁」をよく飲んでいたという。
しかし利休の命を奪ったのは病気ではなく
時の権力者・秀吉との確執。
切腹を命じられたのは、69歳のことだった。
伊達政宗と水健康法
東北の独眼竜として知られる武将、伊達政宗。
彼が生きたのは戦が続き、
いつ命を落としても不思議ではないような時代。
しかも幼い頃に病気で片目を失った彼が
健康の大切さを身にしみて感じていたことは想像に難くない。
残された記録によれば、
正宗はいくつもの健康法を実践していたらしい。
そのひとつが、「水分補給」。
つねに大きな茶碗を手元に置き、
こまめに水を飲むようにしていたという。
確かに現在から見ても理にかなった健康法だ。
さらに「行水」の習慣もあった。
冬の厳しい東北にもかかわらず、
正宗は四季を通して朝の水浴びをしたという。
こんな健康法が効いたのかどうか。
天下取りの夢は果たせなかったが、
政宗は戦国の世を最後まで生き抜いた。
Anny Chien 簡安妮
レンジの流儀①「レッツプレイ」
鏡の中の自分が、
本当の自分とは限らない。
俳優石橋蓮司に
そう教えてくれたのは勝新太郎だった。
役をどこまで深く理解できるかこそ
役作りだと頑なに信じていた石橋。
役の解釈をめぐって
監督とケンカになることも
珍しくなかった。
自分が思う自分と、世間が期待する自分。
その間で彼は揺れた。
世間が俺を見る目はこうなんだということを
ムキになって否定せず受け入れていこう。
勝の助言に素直に従った石橋は、
その後、演技の幅を大きく広げた。
彼はそのときのことを
役を遊べるようになった
と笑う。
そういえば劇は英語で「プレイ」という。
偶然でしょうか。
tokyoform
レンジの流儀②「演じない演技」
演技が上手い役者は演技をしない。
嘘だと思うなら石橋蓮司に聞いてごらん。
役作りなんかしてません
そう言って笑うと、彼はこう付け加える。
役は自分の一部です
警察官だからマジメとは限らないし、
殺人鬼だから素敵じゃないとは限らない。
どんな善人の中にも悪人が住んでいる。
彼は自分の中にあるいろんな自分を
意識的に強めることで役を自分に引き寄せる。
職業や肩書ではなく、人間を見る。
技術ではなく、自分自身で勝負する。
そんな彼にもひとつだけ苦手な役がある。
それは、サラリーマン。
確かに、本音と建前を
器用に使い分ける「自分」は、
彼の中にはいなそうだ。
[4k]shike
レンジの流儀③「黄金の街」
いい役者は、人間の専門家でもある。
石橋蓮司が演技を最も学んだ場所。
それは舞台でもカメラの前でもなく、
新宿ゴールデン街だった。
70年代のそこは文化の戦場。
理論武装なしではどこのバーにも入れない。
演技とは何か。人間はどう生きるべきか。
あらゆる論客が集まっては
夜毎、激論を闘わせていた。
そんな場所で若き石橋青年は、
自分だけの答を求めてもがき続けた。
役者を続ける理由を聞かれると
彼はいつも、
人が好きだから
と答える。
今でもヒマを見つけてはバーに行くそうだ。
インターネットでは絶対に見つからない
面白い出逢いを求めて。
いつかこんな男に好かれてみたい。
TANAKA Juuyoh
レンジの流儀④「弔辞」
原田芳雄に向かって自分が弔辞を言う、
こんな馬鹿げた悪ふざけはあるだろうか。
本当に悲しい時、
人は映画みたく泣いたりしない。
原田芳雄の葬儀で石橋蓮司は怒った。
芳雄の業績なんか称えたくないし
人に伝えなくていい。
ただただ、オマエが今
ここにいてくれればいい。
ほらみろ、
破綻してしまったじゃないか。
おまえが悪い。
悲しみと悔しさで千々に乱れた心で
冷静に弔辞の準備なんかできやしない。
だから彼は言った。
これは映画の一場面として、
アドリブで何か喋ってみる。
最後に共演した映画のこと。
これから二人でやりたかったこと。
たった一人の観客に向かって、
彼は思いの丈をぶちまけた。
親友を超えた戦友を失って悲しむ
ひとりの男の素顔がそこにあった。
猫バカなもんで、こんな動画をつくってしまいました。
胡留(うる)さんは私の猫です。
日曜日の午前中に撮った動画を
午後になって、音楽データ待ちの時間がちょっとありまして
データ来ないと為すすべもないもんですから
こんなのつくっていたわけですね。
待ち時間が2時間くらいあったんで
youtubeのアカウントもつくってしまいました。
このグーパーはフミフミと同じ、
仔猫がおっぱいを飲むときの仕草だと思います。
猫は眠くなるとよく布団をフミフミしていますが
胡留(うる)さんの場合は、
寝ころがるのでグーパーになるわけですね。
それにしても前足を広げたり閉じたり
ちゃんとグーパーになっていますよ(なかやま)
学びの話1 ウィリアム・ウォード
アメリカの作家であり、牧師であり、教育者でもある
ウィリアム・ウォード。
彼がのこした言葉の中で
世界の教師たちの座右の銘となっている名言がある。
平凡な教師は言って聞かせる。
よい教師は説明する。
優秀な教師はやってみせる。
しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。
教えるということは、
決して「押しつける」ということではない。
教師という言葉を
「人間」におきかえると
だいじなことが見えてくる。
学びの話2 ホイットマン
問題の渦中にいるときは
なかなかそうは思えないのだが。
悩み苦しんだことは、時がくるとたいてい、
あの時があったから今があるのだと
自然と思えてくるから不思議である。
アメリカの詩人、ホイットマンは言う。
寒さにふるえた者ほど、太陽の暖かさを感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど、生命の尊さを知る。
すべての経験は、
あたりまえの日々に感謝するための
学びの時間。
そして、その人生に必要な学びは、
一生を終えるその日まで、
果てしなく続く。
学びの話3 高峰秀子
昭和を代表する女優、高峰秀子。
5歳で子役デビューして、あっというまに人気者になった。
それは彼女を、「学校」から遠ざけた。
小学校はもちろん、いわゆる義務教育を
満足に受けることができなかった。
彼女が26歳のときに発表したエッセイ集、「私の渡世日記」。
文章の巧みさに世が驚いた。
出版社に、ほんとうに本人が書いているのか?と
問い合わせが殺到したほどだった。
高峰は、子役時代から、自分の出演する映画の脚本を、
あたりまえのように読んできた。
さらに、キャリアを積み出演作を選ぶようになると、
より脚本を精緻に読み込むようになったという。
出演作は400作を超えた。
さらに結婚した映画監督、松山善三が病に倒れると、
脚本の口述筆記を一手に引き受けた。
右手の中指に、ペンだこが固まって
指がいびつに太くなっても、
夫の言葉をかきとめ続けた。
彼女は言う。
私の生きてきた道は常に文章と道づれでした。
女優として、妻として、
読んで、書いて、生きた。
厳しく、清らかな、学びの姿勢がそこには、ある。
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