2014 年 7 月 12 日 のアーカイブ

道山智之 14年7月12日放送

140712-01
よっちん
北原白秋 1

詩人、北原白秋。
堀割で有名な福岡県の水郷、柳川に生まれる。
福岡県屈指の造り酒屋の長男として幼年期をすごし、
詩人への道を志した。

16歳のときに酒蔵が火事で焼失。
家業をついで立て直してほしいという父の願いを振りきり、
19歳で上京した。
そして24歳のときに、実家は破産する。

そんなとき、彼が詩にしたのは
みずからが捨てたふるさとのこと。
有明海の広大な干潟をのぞむ故郷の、
けだるく、美しく、鮮烈な色彩に満ちた風景と、
いとおしき人々への想いを描いた。

白秋26歳のときに刊行した詩集「思ひ出」。
出版記念会で、当時の権威・上田敏にはげしく賞賛された。
「筑後柳川の詩人北原白秋を崇拝する。」

白秋は、感激のあまり言葉を失い、泣いた。
ここに北原白秋は国民詩人としての一歩をふみ出した。

「思ひ出」を朗読する彼の声が、
70年以上の歳月をこえて、今ものこる。
その声にのこるイントネーションは、
彼の故郷の海の、やさしい波音のようにも聞こえる。

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道山智之 14年7月12日放送

140712-021

北原白秋 2

詩人、北原白秋。
30代の彼は、実家の破産で困窮していた。
葛飾区ののどかな村に居を構え、
つつましく暮らす彼の庭には、
毎日のように村の子どもたちが遊びにきた。

ある朝、妻がたたんだ蚊帳の中から、
蛍が出てくる。
それを庭の蓮の葉にとまらせていると、
いつものように遊びにくる子どもたち。

ふと思いついた白秋は、
ひとりの子どもの手のひらに
絵を描いてやった。
喜びの声を上げる子どもたち。
みんなの手や指に、金魚や花や、すずめの絵を描いた。

子どもたちが帰った後、
妻が「私にも描いてください」と言う。
彼は妻の小指の爪に、小さな蛍を描いてあげた。

お金はなくても、
村の子どもたちや妻との
無邪気でささやかな心のやりとり。

のちに、今も歌いつがれる
数々の童謡を書いてゆくことになる国民詩人の心のありようは、
このころの生活の中に生まれた。

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道山智之 14年7月12日放送

140712-03
tokitsu-kaze
北原白秋 3

詩人、北原白秋。
彼は生涯に、1200もの童謡を残した。
そのうち多くの曲が、
ひとつ年上の作曲家・山田耕筰とのコンビでつくられている。
「この道」「ペチカ」「待ちぼうけ」など、
時をこえて今も愛される歌は多い。

「からたちの花」もそのひとつ。
10歳で父を亡くし、印刷工場で働きながら苦学した山田耕筰。
工場でしごかれ、近くにあった、からたちの垣根にかくれて泣き、
酸っぱいその実を食べ空腹をしのいだ。
そんな耕筰の思い出を、白秋が詩にした。

白秋が故郷の小学校に通った道にも、
からたちの垣根があり、それは彼にとっての原風景だった。
ふたりの想いがとけあって、かたちとなったのだ。
耕筰が、言葉の1音に対して1つの音符をつけたこの曲は、
言葉の響きをやさしく伝える。

 からたちのそばで泣いたよ。
 みんなみんなやさしかったよ。

ふたりは仲がよかった。
耕筰の家でいっしょに酒を酌み交わし、
白秋が酔って、耕筰の坊主頭をペロリとなめたときも、
耕筰は笑っていたという。
そんなふたりが魂をひとつにしてできた歌をうたうとき、
私たちの魂も彼らとひとつになる。

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道山智之 14年7月12日放送

140712-04

北原白秋 4

詩人、北原白秋。
「赤い鳥」や「コドモノクニ」など多くの雑誌で、
投稿されてくる詩の選評を担当した。

作家・新美南吉も「赤い鳥」に投稿して来たひとり。
代用教員をしていた18才のときに書いた童謡「窓」が
白秋に選ばれる。
その後「ごんぎつね」などの名作を書いた南吉のスタートラインとなった。

今年2月に旅立った詩人、まど・みちおも、
公務員だった25才のときに「コドモノクニ」に投稿し、
白秋が特選にした。
その後「ぞうさん」「ふしぎなポケット」などの
名曲をつくった詩人の才能は、ここに初めて見出された。

白秋はほかにも、萩原朔太郎や室生犀星を世に送り出し、
たくさんの一般の子どもたちの作品を丁寧に見て、
よいところをほめたたえた。

蛍とすずめ、そして子どもの無垢な心を愛した詩人、
北原白秋。
彼のやさしいまなざしは、多くの門下生に受けつがれ、
その歌をうたう今の子どもたちにも、きっとつながっている。
純粋であることの尊さを信じる気持ちは、
今の私たちの心のなかのどこかにも、生きている。

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