2014 年 8 月 のアーカイブ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-03
Mundoo
「悲壮感のない少数派」トーベ・ヤンソン

ムーミンを生み出した作家。トーベ・ヤンソンは、
フィンランドの首都ヘルシンキで生まれた。

しかし父も母も話すのはスェーデン語。
家庭や仲間の共通語もスェーデン語だった。
フィンランドでは言語的少数派。
ムーミンの物語は、その環境を反映している。

 わたしが描いたのはスエーデン語系フィンランド人の家族です。
 どんな少数派グループにもある
 一種の孤立がみてとれるはずです。
 ただし悲壮感はありません。
 ムーミンたちは互いに一緒にいて
 幸せだと思っているし、
 自分たちが住んでいる環境や場所に場所に満足しています。

 
とはいえ、そこにははっきりと
スェーデン語系フィンランド人の特長があると言う。
それは、無謀な権力には屈しない、自由と自立を愛する気質だ。

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大友美有紀 14年8月3日放送

140803-04

「嵐」トーベ・ヤンソン

今なお愛される「ムーミン」を発明した作家、
トーベ・ヤンソン。
あまり知られていないことだが、
ムーミン以外の物語も書いている。
「夏について」という短編で
嵐にのために言葉を発明するシーンがある。

 嵐が小屋をぐるりと回り、
 なかに入って来ようとする。
 嵐が吼えた。
 嵐をいいあらわす言葉を探してみる。

 
ムーミンの物語に、
嵐のシーンがいくつも登場する。
ヤンソンは、たくさんの嵐の表現も発明していた。

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大友美有紀 14年8月3日放送

140803-05

「ムーミン一家の不在」トーベ・ヤンソン

今年で生誕100周年のトーベ・ヤンソンが描いた
ムーミンの物語は、全部で9巻。
意外と少ない。
その最終巻にはムーミン一家が登場しない。
ミムラ、スナフキン、ヘルムやフィヨリンカたち、
残された者たちがいなくなったムーミン一家を思って、
ほんとうの自分を見つけ出すお話。
この「ムーミン谷の11月」が刊行される数ヶ月前、
トーベの母、シグネが亡くなっている。

 母は、自ら望んでいたように逝きました。
 麻痺するのでもなく、
 長く待つのでもなく、
 知性をわずかなりとも失うこともなく。

娘のトーベにとって母は、
すべての意味で「ムーミンママそのもの」だった。
大らかだが気配りができて、
機転はきくがでしゃばらず、
どこまでも楽天的なムーミンママ。
生まれながらの画家であったことが
「ムーミンパパ海へ行く」で明かされている。
トーベは、10冊目のムーミンを待ち望む人たちに、
もう書かない、いや、もう書けないのだときっぱりと言った。

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大友美有紀 14年8月3日放送

140803-06

「フリーダ」トーベ・ヤンソン

ムーミンを「もう書けない」と言ったトーベ・ヤンソンは、
けして筆をおいたわけではない。
その後も執筆を続けていた。
彼女が描く物語には、独特な人物が登場する。
たとえば、「事前警告」という短編のフリーダ。
あらゆる事件が自分のせいだという強迫観念に
取りつかれている。
あるとき彼女は、
公道を拓くための爆破でとんできた
花崗岩に頭を直撃される。
包帯でぐるぐる巻きになったフリーダ。
 
  何にも気に病まずにいるなんて
  わたしにゃ生まれて初めてなんだよ。
  最高にいい気分だね。

大きな不幸に出会って、安心する。
心配性のフィヨリンカのようだ。

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大友美有紀 14年8月3日放送

140803-07
o_Ozzzzk
「謎」トーベ・ヤンソン

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンが書き綴る短編小説には、
抑制されたパロディ、くすりと笑えるユーモアがある。
そして、冗長な修飾を削って行間を読ませる手法をとる。

 私は、35の言葉を使うところを5つですませるべく
 文体を切り詰めるマニア

 
そしてあえて曖昧なままの結末も多い。
謎めいた存在の、ニョロニョロやスナフキンのようだ。

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大友美有紀 14年8月3日放送

140803-08

「100年かかる」トーベ・ヤンソン

トーベ・ヤンソンは幼い頃から夏は家族で島に住んでいた。
大人になった彼女が見つけた自分だけの島は「クルーグハル」。
フィンランド湾の沖合に浮かぶ小さな島だ。
電気も水道もない、島を一周するのに数分しかかからない。
太陽が水平線上に昇ると起きだして、机の前に座り、
太陽が波間に沈むと、寝支度をする。

 よい芸術家になるには、100年かかるのよ。
 
島の素朴な暮らしは、
時間とエネルギーのすべてを仕事につぎ込む、
という贅沢を与えてくれた。
いつでも手を動かしていたというトーベ・ヤンソン。
100年を待たずして87歳でなくなった。
でも、よい芸術家にすでになっていた。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

140802-01
izunavi
勉強入門 ニュートン

夏は受験の天王山、というけれど、
夏休みは、自分なりの勉強法を探す貴重な時間なのかもしれない。

イギリスの科学者、アイザック・ニュートンの三大業績といえば
万有引力、光のスペクトル、微積分。
ニュートンはそのほとんどを、学生時代の長い休暇中に思いついたそうだ。
どうやって大発見を成し遂げたのか。
それは、彼の言葉が教えてくれる。

  「問題をいつも自分の前におき、暁の一筋の光が射し込み
   それから少しずつ明るくなり、本当にはっきりしてくるまで
   じっと待っているのです」

考えて、考えて、考え抜いて、答えを見つける。
ニュートンの勉強法は、頭が疲れそうだ。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

140802-02
cjohnlang
勉強入門 ダーウィン

幼いころからの趣味嗜好が、
いつしか、将来の仕事になっている。
それはとても幸せなことかもしれない。
イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィンの場合、
ものを集める収集癖が、その後の人生を決めたと言っていい。

少年時代は、貝殻や封筒のシール、石ころをかき集め、
ケンブリッジ大学に入ると、カブトムシに異常な愛情を示した。
そして、観察する力が鍛えられた。

  「容易に見逃されてしまう物事に気付き、
   それらを注意深く観察することにかけては、
   世間並みの人たちより優れていると思う」

ダーウィンは、自分でも認めているように、
「大きくなりすぎた子ども」なのである。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

140802-03

勉強入門 チャーチル

たとえ成績が悪くても、
ひとつでも大好きな科目があれば、救いになる。
イギリスの政治家、ウィンストン・チャーチルは、
自分の得意な分野で能力を開花させた。

少年時代のチャーチルは、
6歳離れた弟と、いつも、おもちゃの兵隊で遊んでいたという。
その影響か、元々できの悪い生徒だったが
陸軍士官学校に入ると、戦術などの分野で輝かしい成績を収めた。

卒業すると、砲弾の飛び交うキューバに赴き、
また、従軍記者という肩書きながら、
インドの奥地で白兵戦を体験する。
南アフリカのボーア戦争では、捕虜となってしまうが
収容所から脱出し生還した。

そして落第生は、イギリスの首相になった。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

140802-04

勉強入門 ナポレオン

夏休み、1日10時間の勉強を目標にする受験生も多い。
そのために睡眠時間を削ることもあるだろう。
かのナポレオンは、1日3時間しか寝なかったと言われているが、
実際のところは、7時間の睡眠に昼寝付きだったようだ。

そうは言っても、決してナポレオンが不真面目なわけではなく、
本屋の本を食いつぶすほどの読書家だったのは本当の話。
専門の戦術書、歴史、地理、文学・・・。
セント・ヘレナ島に向かう船では数学の問題を解き、
さらに、ゲーテに会ったときには「若きウェルテルの悩みを7回読んだ」と自慢した。

驚くべきことに、彼は読書ノートを付けていたそうだ。
本を読み、要点を書き記す。
これぞ、ナポレオンの勉強法。

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