2014 年 10 月 12 日 のアーカイブ

茂木彩海 14年10月12日放送

141012-01

陶芸のはなし 石黒宗麿

生涯師をもたず、地道な努力を重ね、
人間国宝まで昇りつめた陶芸家、石黒宗麿。

何者にも頭を下げず、自由奔放。
当時は出来レースも多かった政府主宰の展示会などを
何より嫌っていた。

そんな性格だったため、
他人からの評価には関心がなく、
ゆえに、作品を販売することすら珍しかった。

 「ぶっている」なんて風評が世間ではあるが
 僕は唯、作るのに忙しく時間が無いだけです。

ただ作りたい。
純粋な熱で焼かれた陶器は、力強い。

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茂木彩海 14年10月12日放送

141012-02
geishaboy500
陶芸のはなし バーナード・リーチ

「東と西の結婚」を使命に活動を続けた陶芸家。
バーナード・リーチ。

幼少時代を日本で過ごした彼は、
22歳でふたたび日本を訪れる。

衝撃を受けたのは、一級品の陶器をただ飾るのではなく、
「茶会」として日常に取り込み、
愛でる習慣がある日本、そのもの。

 日本は真の芸術の国だ。
 それは血液にも時間にも室内にもある。

帰国後、無事、東の日本と、西のイギリスの仲人をつとめ
完成させたリーチの作品は
上品でありながら生活になじむ、不思議な趣をかもしだす。

日本に感動して生まれた作品は、
今日もどこかで、日本人の心を捉え続けている。

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熊埜御堂由香 14年10月12日放送

141012-03
tamachanhaazarashi
陶芸のはなし 白洲正子

随筆家、白洲正子。
町田市の古い農家を買い取って
能や古美術を愛して生きた。
焼きもののコレクターとしても知られた正子。
その世界に深く惹かれるようになったのは、
美術評論家の青山二郎からいわれたこんな言葉だった。

誰がもっていても一流というのではなく、
自分が持っているから値打ちがある。
そういうものを目指したらどうですか?

名のある茶碗と、名のない茶碗。
両方とも元はといえばアジアの片田舎の生まれた飯茶わんなのに、
農家の台所に埋もれているものもあれば、
展覧会のガラスケースの中に収まるものもある。
その事実に、正子は、
世の中にこれほど自由な存在があるだろうかと
胸が躍ったという。

白洲正子はこう言った。

 焼きものは、すべて発見です。

陶芸とは、それを選ぶこと自体も
芸術たりえる、創作活動なのかもしれない。

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熊埜御堂由香 14年10月12日放送

141012-04
Yumi Kimura
陶芸のはなし 飛田和緒

ごはんをよそうという言葉は、
装うからきているらしい。
料理を装う、和の器にみせられた
料理研究家の飛田和緒(ひだかずを)は
こう言っている。

 器に誘われて料理を作る。
 そうすると、とびきりおいしくなるんです。

陶器に魅せられ、はじまる、
そんな食欲の秋も悪くない。

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小野麻利江 14年10月12日放送

141012-05

陶芸のはなし ハンス・コパーのキクラデス・フォーム

土台の上にあやういバランスで載った、弓なりの立体。
またその上に、細長い筒状の立体。

パーツそれぞれをろくろで挽き、
くっつけ、焼き上げたあと、
細い金属の芯で、本体と土台をつなげる。

この研ぎすまされた形の名は、
「キクラデス・フォーム(Cycladic Form)」。

陶芸家・ハンス・コパーが
古代エーゲ海の「キクラデス彫刻」に惹かれ、
つくりつづけた形。

晩年、ALS・筋萎縮性側索硬化症と診断され、
身体の自由が徐々に効かなくなってからも
キクラデス・フォームを片手でつくりつづけたコパー。

 どうやってつくるか、の前に、
 なぜつくるか。

みずからの理想の形を追い求め、生み出す。
その衝動は、終生尽きることがなかった。

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薄景子 14年10月12日放送

141012-06

陶芸のはなし 濱田庄司

20世紀を代表する陶芸家、濱田庄司。
イギリスで陶芸をはじめ、沖縄で学び、
益子で40年以上に渡って、陶芸人生を送った。

益子の土は粗く、焼き物に最適とはいえなかったが
それを知った上で、濱田は窯を築いた。

薪は近所の山から調達。
うわぐすりの原料は隣村から出る石材の粉末。
鉄粉は鍛冶屋のくずを使い、銅粉は古い鍋からとる。
筆は飼犬の毛を生かして自らつくった。

濱田は言う。

 私はいい土を使って原料負けがしたものより、
 性に合った原料を生かしきった仕事がしたい。

芸術といわれる器は、
つくった人間の器をうつしだす。

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小野麻利江 14年10月12日放送

141012-07
JartLover
陶芸のはなし 河合寛次郎の芸術論

文化勲章や人間国宝を辞退し、
無位無冠の陶芸家でありつづけた、
河合寛次郎。

 自分を貫いてぶつけて
 無条件に自他に迫って行く事が芸術だ。

つねにまず、自分の為につくる。
そんな作品たちが、
今も多くの人の眼を惹きつける。

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薄景子 14年10月12日放送

141012-08

陶芸のはなし 北大路魯山人

近代陶芸を代表する芸術家、北大路魯山人。
その焼きものは、彼の食道楽から生まれたという。
料理を盛る器について、魯山人はこう語る。

 古いものでは上等すぎる。
 新しいものでは可哀想すぎる。

何百年もの時を経た名作では
自分の料理には重厚すぎ、
現代作家のものではしっくりこない。
自分の料理を盛る器がないことが、
自ら陶芸をはじめるきっかけとなった。

魯山人の器は、そのものだけを見ると
何か物足りない印象を受けるものもあった。
それは主役の料理の分だけ差し引いて作る、
魯山人の美学だったのだ。

使うことではじめて完成する芸術。
魯山人の器は、今日も料理が盛られるたび、
新しい作品に生まれ変わっている。

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