陶芸のはなし 石黒宗麿
生涯師をもたず、地道な努力を重ね、
人間国宝まで昇りつめた陶芸家、石黒宗麿。
何者にも頭を下げず、自由奔放。
当時は出来レースも多かった政府主宰の展示会などを
何より嫌っていた。
そんな性格だったため、
他人からの評価には関心がなく、
ゆえに、作品を販売することすら珍しかった。
「ぶっている」なんて風評が世間ではあるが
僕は唯、作るのに忙しく時間が無いだけです。
ただ作りたい。
純粋な熱で焼かれた陶器は、力強い。
陶芸のはなし 石黒宗麿
生涯師をもたず、地道な努力を重ね、
人間国宝まで昇りつめた陶芸家、石黒宗麿。
何者にも頭を下げず、自由奔放。
当時は出来レースも多かった政府主宰の展示会などを
何より嫌っていた。
そんな性格だったため、
他人からの評価には関心がなく、
ゆえに、作品を販売することすら珍しかった。
「ぶっている」なんて風評が世間ではあるが
僕は唯、作るのに忙しく時間が無いだけです。
ただ作りたい。
純粋な熱で焼かれた陶器は、力強い。
geishaboy500
陶芸のはなし バーナード・リーチ
「東と西の結婚」を使命に活動を続けた陶芸家。
バーナード・リーチ。
幼少時代を日本で過ごした彼は、
22歳でふたたび日本を訪れる。
衝撃を受けたのは、一級品の陶器をただ飾るのではなく、
「茶会」として日常に取り込み、
愛でる習慣がある日本、そのもの。
日本は真の芸術の国だ。
それは血液にも時間にも室内にもある。
帰国後、無事、東の日本と、西のイギリスの仲人をつとめ
完成させたリーチの作品は
上品でありながら生活になじむ、不思議な趣をかもしだす。
日本に感動して生まれた作品は、
今日もどこかで、日本人の心を捉え続けている。
tamachanhaazarashi
陶芸のはなし 白洲正子
随筆家、白洲正子。
町田市の古い農家を買い取って
能や古美術を愛して生きた。
焼きもののコレクターとしても知られた正子。
その世界に深く惹かれるようになったのは、
美術評論家の青山二郎からいわれたこんな言葉だった。
誰がもっていても一流というのではなく、
自分が持っているから値打ちがある。
そういうものを目指したらどうですか?
名のある茶碗と、名のない茶碗。
両方とも元はといえばアジアの片田舎の生まれた飯茶わんなのに、
農家の台所に埋もれているものもあれば、
展覧会のガラスケースの中に収まるものもある。
その事実に、正子は、
世の中にこれほど自由な存在があるだろうかと
胸が躍ったという。
白洲正子はこう言った。
焼きものは、すべて発見です。
陶芸とは、それを選ぶこと自体も
芸術たりえる、創作活動なのかもしれない。
Yumi Kimura
陶芸のはなし 飛田和緒
ごはんをよそうという言葉は、
装うからきているらしい。
料理を装う、和の器にみせられた
料理研究家の飛田和緒(ひだかずを)は
こう言っている。
器に誘われて料理を作る。
そうすると、とびきりおいしくなるんです。
陶器に魅せられ、はじまる、
そんな食欲の秋も悪くない。
陶芸のはなし ハンス・コパーのキクラデス・フォーム
土台の上にあやういバランスで載った、弓なりの立体。
またその上に、細長い筒状の立体。
パーツそれぞれをろくろで挽き、
くっつけ、焼き上げたあと、
細い金属の芯で、本体と土台をつなげる。
この研ぎすまされた形の名は、
「キクラデス・フォーム(Cycladic Form)」。
陶芸家・ハンス・コパーが
古代エーゲ海の「キクラデス彫刻」に惹かれ、
つくりつづけた形。
晩年、ALS・筋萎縮性側索硬化症と診断され、
身体の自由が徐々に効かなくなってからも
キクラデス・フォームを片手でつくりつづけたコパー。
どうやってつくるか、の前に、
なぜつくるか。
みずからの理想の形を追い求め、生み出す。
その衝動は、終生尽きることがなかった。
陶芸のはなし 濱田庄司
20世紀を代表する陶芸家、濱田庄司。
イギリスで陶芸をはじめ、沖縄で学び、
益子で40年以上に渡って、陶芸人生を送った。
益子の土は粗く、焼き物に最適とはいえなかったが
それを知った上で、濱田は窯を築いた。
薪は近所の山から調達。
うわぐすりの原料は隣村から出る石材の粉末。
鉄粉は鍛冶屋のくずを使い、銅粉は古い鍋からとる。
筆は飼犬の毛を生かして自らつくった。
濱田は言う。
私はいい土を使って原料負けがしたものより、
性に合った原料を生かしきった仕事がしたい。
芸術といわれる器は、
つくった人間の器をうつしだす。
JartLover
陶芸のはなし 河合寛次郎の芸術論
文化勲章や人間国宝を辞退し、
無位無冠の陶芸家でありつづけた、
河合寛次郎。
自分を貫いてぶつけて
無条件に自他に迫って行く事が芸術だ。
つねにまず、自分の為につくる。
そんな作品たちが、
今も多くの人の眼を惹きつける。
陶芸のはなし 北大路魯山人
近代陶芸を代表する芸術家、北大路魯山人。
その焼きものは、彼の食道楽から生まれたという。
料理を盛る器について、魯山人はこう語る。
古いものでは上等すぎる。
新しいものでは可哀想すぎる。
何百年もの時を経た名作では
自分の料理には重厚すぎ、
現代作家のものではしっくりこない。
自分の料理を盛る器がないことが、
自ら陶芸をはじめるきっかけとなった。
魯山人の器は、そのものだけを見ると
何か物足りない印象を受けるものもあった。
それは主役の料理の分だけ差し引いて作る、
魯山人の美学だったのだ。
使うことではじめて完成する芸術。
魯山人の器は、今日も料理が盛られるたび、
新しい作品に生まれ変わっている。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.