道山智之 14年11月8日放送
チャイコフスキー 1
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。
彼の「ピアノ協奏曲第1番」は、
それをささげたモスクワ音楽院院長のルビンシテインに
酷評された。
「ほとんどを書き直さなければ、演奏することはできない」
チャイコフスキーは答えた。
「私は1音も変える気はありません。このまま出版します」
翌年、この曲はボストンでの初演で大成功。
まず彼はアメリカで認められた。
それにつづくサンクト・ペテルブルグでの演奏では、
なんとルビンシテインが指揮をつとめることになった。
その3年後に完成した「ヴァイオリン協奏曲」は、
評論家に「悪臭を放つ音楽」とまでも言われる。
しかしその後、ヨーロッパ中で人気を獲得していく。
チャイコフスキーが生まれ育ったロシアの田舎の体温と、
ヨーロッパの感性が絶妙に融合した、
新しい時代の音楽。
認められるには、少しばかり時間が必要だった。
バレエ振付家、ジョージ・バランシンは語る。
「曲がはじまるや否や、チャイコフスキーだとわかる。
“まぎれもなく彼だ!”と。
そうまでさせる人は、多くはありません」