美味のはなし フェイエルバッハ
19世紀のドイツの哲学者、フェイエルバッハは言った。
人間とは、その人の食べたものである。
なるほど。
1日3食、365日で1095食。
何を食べるか、どこで食べるか、
誰とどんな会話をして食べるかで
身体も、心も、そして命もちがうものになる。
60兆の細胞は、
そんな食の記憶のアルバムなのかもしれない。
さて、きょうは何をいただこう。
美味のはなし フェイエルバッハ
19世紀のドイツの哲学者、フェイエルバッハは言った。
人間とは、その人の食べたものである。
なるほど。
1日3食、365日で1095食。
何を食べるか、どこで食べるか、
誰とどんな会話をして食べるかで
身体も、心も、そして命もちがうものになる。
60兆の細胞は、
そんな食の記憶のアルバムなのかもしれない。
さて、きょうは何をいただこう。
spinster cardigan
美味のはなし 平松洋子の手
フードジャーナリストとして知られる平松洋子さん。
手にペンを握り、世界中を旅して食文化を伝えてきた。
平松さんが料理をするとき、
一番活躍するのは、やっぱり彼女自身の手だ。
手で食材を扱うことで、料理が美味しくなることを
よく知っていた。野菜や、豆腐や、肉も、包丁で形をそろえて切るよりも
割ったり、ちぎったり、握ったりして、食感を楽しめる工夫をこらす。
そんな彼女が、手で調理する喜びを1冊の本にした。
タイトルは、
世の中で一番おいしいのは
つまみ食いである。
台所での彼女の手は、とっても働き者で、
くいしんぼうなのである。
Junya Ogura
美味のはなし 伊丹十三とスパゲッティ
俳優、デザイナー、エッセイストののち、
映画監督としても名を馳せた伊丹十三は、
食に関しても、ひと言もふた言もある人だった。
そんな伊丹が、エッセイ集『女たちよ!』の中で、
「スパゲッティ・ナポリタン」に憤慨している。
なにゆえに日本人はスパゲッティに
鶏やハムや海老やマシュルームを入れて
トマト・ケチャップで和えるようなことをするのか。
なんでも、トマトケチャップの味が
「甘ったるくて貧しい味」だというし、
一品だけ食べれば満足できるという
日本の洋食の考え方じたいも、「貧しい」という。
話はそこから、スパゲッティの理想の茹で加減へと進む。
いまはすっかりポピュラーな「アル・デンテ」を伝えるべく、
ページを割き、ひとつひとつ手順を説いていく。
最後にもう一度、「天敵」スパゲッティ・ナポリタンを
揶揄して終わる、このエッセイ。
低い次元にまで引きずりおろし、
歪曲するということをするべきではない。
根本精神をあやまたずに盗め!
日本人がつくるスパゲッティに苦言を呈しながら、
日本人の文化の取り入れ方を、嘆いていた。
美味のはなし ミシュランガイドの成り立ち
「美食のバイブル」として名高い、
「ミシュランガイド」。
1900年フランス。自動車旅行が活発になれば
タイヤも売れる、と目論んだ
タイヤメーカーのミシュラン社が発行をはじめた。
当初は無料で配られていたが、
ある修理工場で、作業台の足がわりに
積み重ねられているのを見た
創業者・ミシュラン兄弟は、こう考えたという。
人間は、金を払って買ったものしか大切にしない
こうしてミシュランガイドは、
有料で販売されるようになった。
美味のはなし 辻静雄
新聞記者からフランス料理家へ転身した男、辻静雄。
大学卒業後、読売新聞の記者をしていたが結婚を機に退社を決意。
妻の実家が経営する料理学校を手伝うため
鉛筆を包丁に持ち替えて料理の世界に入る。その年、25歳。
今まで洋食と言えば、カレーライスやオムライスだった男が
突然フランス料理の勉学に励むわけだが、
どうもレシピ通りにつくったところで美味しくならない。
辻は実際にフランスへ飛び、美味いと聞いた店には片端から出向いて
シェフと会話をする中で、その本質を学ぶことにした。
フィールドワークは、記者時代に染み付いていた。
帰国した辻が執筆した「フランス料理研究」は、その重量、11キロ。
気づけば、フランス料理の第一人者になっていた。
辻は言う。
料理の世界だけは自習のきかない世界です。
誰か相手がいて、その場でこれはどう思うと、と言ってもらわなければ
全部成り立たない世界なんです。
食べる人の「美味しい」が、料理のおいしさをまた一歩、前進させる。
美味のはなし 東海林さだお
美味とは、食材同士の組み合わせで生まれるもの。
そんな洞察をするのは、
食べ物のウンチク、雑学などを、あらゆる視点でとらえ、
「丸かじりシリーズ」として出版するエッセイスト。
東海林さだお。
彼は堂々と言う。
イカも大根も、いわゆる“心中もの”として解釈できる。
食卓に並ぶおかずが、
なんだか急にドラマチックに見えてきた。
Sanjo
美味のはなし 世界のお弁当
美食の都、パリでも、最先端の街、ニューヨークでも、
流行っている日本の食がある。
それは「BENTO」(ベント)」お弁当のこと。
日本人のだす、お弁当店に、昼時に行列ができるほど。
おいしいものは、こうして軽々と、国境を越えていく。
美味のはなし 村上信夫と田中健一郎
帝国ホテルの総料理長、田中健一郎。
子どもの頃、帝国ホテルの元総料理長であった
村上信夫の料理番組を見てハンバーグをつくり、
家族がよろこぶ姿をみて、
料理は人を幸せにするものだと知った。
田中は高校卒業後、迷わず帝国ホテルに入社。
40代にして、30人抜きで、総料理長村上の後継者となり
反発や逆境を乗り越えながら、
400人の部下ひとりひとりに声をかけて引っ張った。
あるとき田中は村上からこう質問される。
「一番美味しかった料理は何か」
答えに戸惑う田中に、村上はこう言ったという。
「一番美味しい料理は、お母さんの料理だよ。
本当に美味しいものを食べさせてあげようという愛情がこもっているから。」
料理は人を幸せにするもの。
田中が幼いころに目覚めたその歓びは、
今もひと皿ひと皿に大切にこめられている。
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