Taishi
わび 前衛 利休
千利休。
わびの世界を極めた男。
その男がなぜ、黄金の茶室を作ったのか?
派手好きの秀吉の命だったとはいえ。
壁も天井も茶碗も金。
畳と障子は赤。
昼の明るさには、
まばゆいばかりの空間。
しかし、利休が企んだのは夜だったという。
闇に一本の蝋燭をつけるのだ。
すると、まわりが
ぼーっと鈍い金色に浮かびあがる。
派手な小さな空間に
わびの無限の宇宙ができあがる。
蝋燭の炎がゆれれば、
金色の宇宙もゆらゆら、ゆれただろう。
Taishi
わび 前衛 利休
千利休。
わびの世界を極めた男。
その男がなぜ、黄金の茶室を作ったのか?
派手好きの秀吉の命だったとはいえ。
壁も天井も茶碗も金。
畳と障子は赤。
昼の明るさには、
まばゆいばかりの空間。
しかし、利休が企んだのは夜だったという。
闇に一本の蝋燭をつけるのだ。
すると、まわりが
ぼーっと鈍い金色に浮かびあがる。
派手な小さな空間に
わびの無限の宇宙ができあがる。
蝋燭の炎がゆれれば、
金色の宇宙もゆらゆら、ゆれただろう。
KYR
わび 前衛 利休
完全は不完全である。
不完全は完全である。
千利休は息子の少庵が
茶室につづく露地を掃除するのを見ていた。
掃除を終えたとき、利休は
「まだきれいになっていない」と
何度もやり直させた。
「父上、これ以上は無理です。
小枝一本、木の葉一枚も地面にはありません」
利休はたしなめた。
「露地の掃除はそのようにするものではない」
利休は一本の木に手をかけて揺すりはじめた。
すると、はらはらと紅葉が舞い、
露地に散った。
そこには人工の完全な美しさではなく、
自然な不完全な美しさがあった。
わび 前衛 利休
千利休が竹で作った花入の傑作。
『圓城寺の筒』
ある茶会でのこと。
利休がこの花入に花を生け、床の間に掛けた。
竹の表面には大きなひび割れがあったため、
水がしたたり落ち、畳を濡らしてしまう。
客たちが、これはどうしたものでしょうと
たずねると、利休は答えた。
この水が洩れるところこそ、命なのです。
花入から流れゆく水のしずく。
そこには既成概念を逆転する美があった。
現代美術にも通じる「破格の美」だった。
Christian Kaden
わび 前衛 利休
秀吉の
好きな色は、派手な赤。
嫌いな色は、陰気な黒。
それを知りながら、
千利休は平然と黒樂茶碗に茶をたて
秀吉に出した。
利休いわく
黒は古き心なり。
強烈な美意識の対決。
目の前に出された黒が
秀吉の茶の権威を試しているようだった。
同じ年、さまざまな理由があったと言われるが、
秀吉は利休に切腹を命じた。
秀吉の好きな色は、赤。
赤は黒に混じると黒になる。
2月28日、利休命日。
黒は古き心なり。
Alex Dram
猫と人①佐野洋子
「100万回生きたねこ」は、
出版から約40年経った今も、たくさんの親子に愛され続けている絵本だ。
実は、作者の佐野洋子は、猫がキライだった。
「何でも分かったような顔をしてこっちを見る」とぼやくように、
佐野の描くねこは、どこか人間臭く、小憎らしい。
しかし、キライといいながら、知人から貰い受けたり、引き取ったり…
佐野の人生は、たくさんの猫にかこまれていた。
「動物は立派に死ぬ。あたしもそうしたい」
死んだ飼い猫を引合いに出しながら、そう語った。
立派な死に方、幸せな死に方を教えられる絵本は、そう多くない。
「死」がわかる大人になって読むと、また一味違うものだ。
樹/Tatsuru
猫と人②谷啓
「ずるぬるの技」は、
横たわり、両手を伸ばして爪を立て、
何かをたぐりよせるしぐさ。
「そば粉練り」は指を広げて爪を出し、モノを掴むように動かす。
「スゴツオ」は、顔を強く擦りつける。
これらはすべてコメディアン谷啓が考えた、猫のしぐさの
前である。
「ガチョーン」「ハラホロヒレハレ」などのギャグを生んだ谷は、
猫との暮らしの中でも、たくさんの造語で遊んだ。
サービス精神旺盛で、
いつでも人を楽しませ、自分も楽しんでいた谷啓。
そんな彼の人柄は、猫との暮らしのひとコマからもうかがい知れる。
K-nekoTR
猫と人③長谷川燐二郎
柔らかな布地の上に緩んだ体を横たえ、
スヤスヤと眠る一匹のトラ猫。
しかし、なぜか左側にしかヒゲがない。
その絵を描いたのは、画家の長谷川燐二郎。
モデルとなった猫タローは、毎日同じポーズをとってくれたが、
寒い季節になると、丸まってしまう。
九月の気候だけが、タローにこのポーズをとらせるということが判った。
この画を続けて描くのは、来年の九月まで待たなくてはならない。
現実を描くことにこだわる燐二郎は、
カンバスを戸棚の奥にしまいこんだ。
そうして何年もかけて描き、残すはヒゲだけ。
ところが、同じポーズをとらせるべく、季節を待っているうちに、
タローは他界してしまう。
のちに、燐二郎は想像でヒゲを書き足した。
申し訳程度に、左側だけ。
猫と人④歌川国芳「おぼろ月猫の盛」
幕末を代表する浮世絵師、歌川国芳。
権威を嫌い、羽織・袴などを身につけず、
人から「先生」と呼ばれるのも嫌がる生粋の江戸っ子だった。
遊女の絵が禁じられた頃、
国芳が描いた遊郭の絵がある。
座敷の奥の遊女を覗く楽しそうな遊客たち。
羽織の紋はウナギや魚。着物の模様は小判や鈴。
提灯に書かれた店の名は「やまとや」ならぬ「にゃまとや」。
そう、国芳は、遊女も遊客も「猫」の遊郭を描いたのだ。
権威がなんだってんだ、とでも言うように、
国芳の絵は、時代のしがらみをすりぬける。
まるで、江戸の小路をするりと抜けゆく猫のように。
猫と人⑤T.Sエリオット「CATS」
猫とうまくやるのは、難しい事だろうか?
T.Sエリオット。
猫好きの詩人は、猫の目線でこう答える。
我々の性格を理解するのに解説はいらない。
猫はあなた方にとても似ている。
信頼できる友と思われるには、
帽子を取り、おじぎをしよう。
猫にも威厳を求める資格があるのだ。
ちょっとした尊敬の証もいる。
たとえば、一皿のクリーム。
時折、キャビアやストラスブールパイなんかもいい。
そのうち目的は達成される。
そうしたら呼びかけてごらん。猫の名を。
猫と付き合うのは、手がかかる。
とはいえ、簡単にすり寄られては、調子が狂う。
そんなところもまた、私たちとよく似ている。
猫と人⑥ルイス・キャロル「チェシャ猫」
ルイス・キャロルの名作、
『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫は、
でたらめばかり言う気ままな猫。
アリスが道を尋ねても、
口元に不敵な三日月を浮かべてこう笑う。
どっちへ行けばいいかだって?
それは、あんたがどっちへ行きたいかさ。
それがないなら、道を聞くことはないわけだ。
どっちへ行っても同じこと。
その言葉にアリスは面食らう。
進むべき道を人に尋ねても、意味はない。
答えは、自分の中にしかないのだ。
でたらめな猫の言葉を通して、
ルイスが真理を教えてくれる。
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